しばらく高校野球ネタが続いたため、昨年秋の北近畿の旅へと戻ります(笑)
あくまでも本線は北近畿の旅ですが、脱線しまくりの旅路でございます
街道より望む、夕暮れ時の続日本100名城…
福知山城🏯
福知山城は弥生時代の土器が発掘されるなど、古くから利用されていた由良川に突き出す丘陵の上に築かれた城であり…
織田信長の命を受けて、1579(天正7)年に、丹波を平定した明智光秀が、西国攻略の拠点として城と町を築き…
明智の「智」の字を用いて「福智山」と名付けたと伝わります。
急激に弧を描くように架かる橋で、勾配が結構、きつめなので、歩き回った足にはしんどい
で 橋を渡りきると、福知山城公園の一角にあたり、そこはお城の外観をした美術館で、福知山市出身で文化勲章を受章された現代日本画家・佐藤太清画伯の作品を中心に展示がなされているとのこと。
では、この日最後の目的地、福知山城へ向かうとしましょう
なので、龍が天に昇るように様(昇龍橋)を、上空より見下ろしましょう
時刻は16時半
残念ながら、この時間を持って、福知山城の天守閣内部は閉館してしまいましたが…
築城当時から残る個性豊かな石垣と、北近畿唯一の天守が福知山城の魅力とのことで、外観だけでも良いので見学をしましょう
廃城令で取り壊しを逃れた建物の一つ、銅門(あかがね)番所…
かつては二ノ丸の登城口、現在の市役所の東側にありましたが大正年間に本丸に移されたとのことで、城の歴史を物語る貴重な建物です。
西の空へと消え行く、眩しいほどの夕日…
一度は敗退した光秀ですが、2度目の攻略の際には、智略をつくし、5年にも及ぶ壮絶な戦いを経て、遂に丹波を平定しました。
その功績は、信長にも大いに称えられ「丹波国日向守働き、天下の面目をほどこし候」と名指しで称賛されたほどでした。
福知山城築城後、光秀は初代城主となり、娘婿の明智秀満(左馬助)を城代に置き…
その後、城主が度々変わる中、城の改修と増築が進められ、大天守・小天守連立式の現在の福知山城の姿は、江戸時代初期にはほぼ完成していたと考えらています。
因みに、スタンプ帳を忘れたり、設置場所の営業時間が終了していたりして、「日本100名城」に関しては、あまり、躍起とはなっていないのだけれど…
取り敢えず、福知山駅前の観光案内所で押せるとの事だったので、帰りに押そう
で 画像でも分かるのですが、肉眼ではもっと分かりやすく、石垣と天守のバランスが、微妙に不釣り合いに感じてしまう
実の所、1873(明治6)年の廃城令以降、天守は失われ石垣などのみとなり、現在の城は、1986(昭和61)年に「瓦一枚運動」によって再建されました。
瓦一枚運動とは、
城の瓦の裏には、寄附者一人ひとりの名前が墨でしたためられているとのこと。
続日本100名城に行こう🏯
福知山城を押印(9城目)
のんびりとしたペースで更新している北近畿の旅の振り返り…
次回へと続きます…☆