紫陽花の咲く情景 北鎌倉 明月院 | 果てなき旅路

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旅、温泉…たまには歴史。時の徒然に、好きな事を綴っております。

5月は西洋館にて「端午の節句」からの北鎌倉の円覚寺へ、6月は西洋館にて「花と器のハーモニー」からの北鎌倉の明月院へと向かいます口笛





「京浜東北線」で終点の大船駅で降り、横須賀線へと乗り換えて北鎌倉の明月院あじさいあじさいあじさい


因みに「京浜東北線」は、大船駅を始発となると、東京都を越境し、埼玉県の南浦和や大宮へと約2時間かけて走りますバス





横須賀線で大船駅のお隣となる北鎌倉駅へは5分ほど、近代的な鎌倉駅とはひと味違う、どこか懐かしい駅舎照れ





いつ訪れても賑やかな円覚寺の総門前ですが、特に紅葉の季節はもはやカオス…


インバウンドの来襲に、修学旅行が重なり、今良く聞く “オーバーツーリズム” を最も連想させるエリアが、まさにこちら鎌倉界隈…





なのだけれど、私も明月院に紫陽花を見に来ているのだから、偉そうなことは言えない😳





平日の日中と言うこともあり、明月院の総門は群衆で溢れることはなく、比較的平穏…





境内へと突入するのに、若干、並びはしましたが、これが週末になると北鎌倉の駅まで列が続くとのことで、さぞかし写真撮影も儘ならないことでしょうショボーン





新緑と鮮やかなブルーに彩られた紫陽花を、この明月院では…





明月院ブルーあじさい

と呼んでいますおねがいおねがいおねがい





もちろん、境内には明月院ブルー以外にも、ガクアジサイやヤマアジサイ、アナベル等の品種も咲き誇っています照れ





パープルは明月院ブルーに交じると、より一層、品がありますね~




!? そもそも何故に明月院が紫陽花の名所となったのか??




これは明月院と言うよりも、鎌倉で紫陽花がこれほど有名になった起源はと、言い換えた方が良いようですが…




第二次世界大戦(太平洋戦争)で荒れ果てた人々の心を慰めるために、明月院の住職が紫陽花を植え始めたことがあるようで…





これをきっかけに、昭和40年頃から鎌倉の街やお寺に紫陽花が増えていったそうですウインク





石の上で成長していく “モミジ” のパワーを感じてくださいとのことですが、やはり、明月院は紫陽花の名所あじさいあじさいあじさい





前述をしましたが、鎌倉といえば紫陽花の名所として、全国でも指折りの地域に数えられますが…





三方向を山に囲まれていることで強い日差しがさえぎられ、低地に向かって雨水が流れ落ちることで、程よい湿り気が保たれる鎌倉の地形は紫陽花が育つのにぴったりの場所のようです。





いつも優しい表情の花地蔵さん、季節の花を抱えているのが印象的ですが、その中でも、やはり紫陽花が良く似合う爆笑




そもそも、梅雨の風物詩として多くの日本人に親しまれている紫陽花とは…





雨の降る中でしっとりと落ち着いた風情を醸し出していて、梅雨の曇天に塞ぎ込みがちな私たちの心を和ませてくれる存在なのだそうです。





この日は多少の雲に覆われながらも、まるで7月のような日差しに夏の空…




連日、30℃前後の日々が続き、梅雨よ何処へ!?ガーン




明月院の名物と言えば、紫陽花ですが、さらにもう一つ、こちらの天窓…

平日なのでそれ程の列もなさず…




天窓の向こうに見えるのは、緑の世界…

当然ながら、紅葉の季節は「紅」に染まるのですが、新緑も美しいですねラブ




そしてこちらが明月院の中でも、最も有名な紫陽花の撮影スポットでもある中門へ続く石段の参道ですが…




両側に美しく咲き誇る明月院ブルーの左側が、花が全体的に小粒なのか、痛んでいるのか、とても対照的だったのが気になりましたショボーン




が、紫陽花の数も少ないですし、私が訪れたタイミングが、まだ早すぎたのかもしれませんねニヤリ





言うまでもなく、鎌倉には数多くのお寺が存在していて、「あじさい寺」という言葉があるように紫陽花とお寺には深いつながりがあり…





これは紫陽花が元々は、死者を弔うための花だったということが関係しているようです。





医療技術が確立されていない時代、梅雨特有の急激な気温の変化によって日本各地で流行病が伝染し、多くの人が命を落としたと言われており…





亡くなった方への弔いの意味を込めて、人々は梅雨に咲く紫陽花の花をお寺の境内に植えたのだと伝わります。


今回も先月同様に、西洋館と鎌倉の寺院巡りをダブルヘッダーで慣行グラサングラサン



これにておしまいニコニコ