Go West… Go to OSAKA… 2023.9 | 果てなき旅路

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旅、温泉…たまには歴史。時の徒然に、好きな事を綴っております。

新しい旅のはじまりNEWNEW


この日は「ワールドカップラグビー2023 フランス大会🏈」において、日本🆚イングランド戦が行われた早朝晴れ





前半がほぼ互角の戦いをしていながら、まさかあれ程の大差が着くとは思わず…





かなり、がっかりとした旅のはじまりだったことを思い出されますショボーン





と言うことは、今回は前年9月の旅の記録…

旅行、観光等のピークから一段落し、新幹線の3列シートを独占出来る状況グラサン




今回の旅の目的は、同年の6月以来、近畿日本鉄道が「近鉄線2日間乗り放題きっぷ」を発売し、その金額が3000円と言う破格なものだったので…





その6月以来、また、近鉄線に乗りに行ってしまったびっくり


因みに、3ヶ月クールで発売されるのかと、12月の販売が気がかりではあったが、この2回で終了してしまった模様チーン。。





「近鉄線2日間乗り放題きっぷ」は乗車券のため、別途、特急券を購入すると特急にも乗車できるのだが、さすが近鉄…


特急の種類も半端ない!?びっくり





前回、訪れた時はこの「ひのとり」に乗車したのだけれど、今回は「ひのとり」ではなく…





こちらの「汎用特急(スタンダード)」でもなく…





こちらの「アーバンライナー」へと乗車音譜音譜





相も変わらず、旅に出れば華麗なる曇天!?ガーン





結局、降ってきた雨雨雨雨雨





等としているうちに、近鉄名古屋駅から乗車し約1時間50分、大和八木駅に到着DASH!





音なりのホームには、鳥羽行きの「ビスタカー」が停車中目





なのだけれど、大和八木駅からは各駅停車へと乗り換えて、この日、最初の目的地へと向かいますビックリマークビックリマーク





大和八木駅からは近鉄線の「各駅停車」を、3ヶ月ぶりに訪れた橿原神宮前駅で繋ぎ…





古市駅からは「準急」河内長野行きに乗車し、この日の目的地のある最寄り駅に到着DASH!





“とんだばやし” は…


富田林


このような漢字を充てますが、そもそも、「富田林」と言って、思い充たるのが…





“寺内町” と呼ばれる歴史ある町並み。

因みに “寺内町” とは、中世に起こった浄土真宗の寺院を中心とした宗教自治都市のことです。

富田林駅から南に400mほどの場所に位置しており、東西約470メートル・南北約400メートルにわたるエリアをさし、大阪府で唯一の「重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)」に指定されている地域となっています。




そんな “寺内町” エリアだけは現在もなお、周辺とは対照的に整然とした別世界を保っているため、すぐにそれとわかりますひらめき電球ひらめき電球ひらめき電球

!? 別世界へと向かう前に、駅前には「とんだばやし きらめきファクトリー」あるので、まずはこちらを拝見目





そして何より富田林と言えば、高校野球ファンであれば、「PL学園」を思い浮かべてしまいます⚾


宗教団体・パーフェクト リバティー教団本部敷地内に立地しており、学校法人PL学園が運営。


その昔は、数多くのプロ野球選手を輩出してきた名門高校だったのですが…





けれども、度重なる不祥事や事件によって、監督が退任し、後任の監督も見つからなかったということで、徐々に衰退していき、教団もPL学園野球部を廃部する方向にかじを切っていったようです。


そして、2015年に4月入学の野球部員の受け入れ停止をして、その後も、部員を受け入れずに、2017年に大阪府高野連に対して脱退届が提出されて、事実上の廃部ということになりました。


現在、寺内町からはPL教団の大平和祈念塔の特徴あるフォルムが遠望でき、今も昔も宗教に縁の深い町とも言えますね。





また、大阪・富田林市など、4つの市町村を中心に路線バスを運行する「金剛バス」について、運営会社は運転手不足などを理由に、昨年の12月に路線バス事業を廃止することになりました。


路線バス事業を廃止するのは、富田林市に本社がある「金剛自動車」です。





この会社は、現在、「金剛バス」として4つの市町村を中心に14の路線を運行していますが、運転手不足や利用者の減少を理由に、昨年の12月20日で路線バス事業を廃止することになりました。





金剛バスの路線が廃止されたあとは、自治体が事業主体となり、運行をバス会社に委託する「コミュニティーバス」の形で、14の路線のうち通勤や通学などの利用客が多い10の路線を中心に存続させることになったとのこと。


バスの便は少なくなったようですが、完全に廃止されたわけではなく、まだまだ、地元の利用者の足として運行が続くことを願うばかりです。





さて、色々と話題が豊富で前置きが長くなりましたが、こちらがかつて “寺内町” と呼ばれた古い町並み等が残された「重伝建」地域です。


以前訪れたのが、確か、2008年位だったと思うので15年ぶり…



葛原家住宅 
1781年頃当地で酒屋を始めたと伝わり、
大商人の実力が偲ばれる建物

日本史上において、室町後期から戦国期にかけて多くの都市の発展がみられ、各地の都市は、その発展の形態によって、城下町・門前町・寺内町・港町などに大別されるのですが…



南葛原家住宅 
北向にある葛原家の分家として、
1854年に建てられたもので、3階蔵が印象的な建造物


戦国大名の築いた城を中心に発展した城下町の例としては、周防の山口、相模の小田原、越後の春日山、越前の一乗谷などの他に…



仲村家住宅
1715年に酒造株を取得してから河内一の酒造へと発展


薩摩の島津氏によって開かれた鹿児島や、豊後の大友氏によって開かれた府内などが挙げられます。


城下町は行政・経済・軍事の中心地として、大名たちの領地経営の要となりました。



上野家住宅
この建物の建築時期は不明で、幕末頃の建て替え説あり


何だか、これを暗記しなければならない日本史の勉強のようでスミマセングラサン


とは言え、この時代に発展した都市は、前述した通り、まだまだ有り叫び叫び叫び





では、その続きをと言いたいところですが、この大阪の旅も長編になりそうなので(笑)


次回へと続きます…☆