河内国周遊の旅 富田林市の風景「富田林寺内町」 | 果てなき旅路

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今回の「大阪の旅」は、近鉄線の乗り放題きっぷを利用して、歴史ある名所を巡り、2日間で元を取るせこい旅です(笑)


では、前回からの続きをグラサン


旧杉山家住宅

富田林市の寺内町には古い建物が残っていて、重要な物には案内板がついているのですが、ところがそのなかでも旧杉山家住宅は別格。





なぜならば、これが寺内町に現存する建物で最も古いとされ、かつ国の重要文化財に指定されているからです。





古い住宅の中には子孫など、個人所有のものが多く、そのため、多くの建物では内部の見学ができません。





しかしながら、旧杉山家住宅は、現在杉山家のものではなく富田林市が所有管理、したがって、入館料(400円)を支払えば内部が見学できます爆笑





そう言えば、私、全く知らずに室内を写真撮影をしていて、係の人に声をかけられることも無かったのですが、今回、旧杉山家について調べていると、写真撮影禁止の場所があったらしく…


🆖🙅そうな写真は、残念ながらカット真顔





!? こちらは1階の部分となり、建物は17世紀中ごろの建造とのことで、旧杉山家住宅の母屋は2階建てとなり、こちらの螺旋階段で2階部分に上がると…





って言うか、この螺旋階段がとても品があり、旧杉山家の格調の高い雰囲気を醸し出していますねウインク





2階は旧杉山家の貴重なものを展示している史料館のようになっており、実はこの旧杉山家住宅は、明治時代の歌人「石上露子」の生家でもあるとのこと。





2階からの望む光景は、まるで江戸時代!?びっくり





1階へは螺旋階段ではなく、この傾斜のきつい、落ちたら大変な階段を降りるのですが…





そうそう、私の母の実家が山形県の米沢市にあり、その家の階段がまさにあれ程の傾斜で、小学生の頃はビビりながら上り降りしていた記憶がよみがえりました照れ





最後に、この屋敷には西蔵があるそうなので、そちらへと向かうのですが、母屋からこちらの中庭へと出ると…


“萩” の咲く頃に訪れた大阪でしたグラサン





!? そもそもが、室町時代の寺内町創設にかかわった富田林八人衆のひとりが杉山家。


代々当主は「杉山長左衛門」と名乗っており、その杉山家は商家として、木綿問屋をやっていたとされますが、はっきりしていません。





但し、江戸時代初期の1685(貞享2)年に酒造株を取得し、この住宅内で酒の醸造が開始されたと伝わります。






最後に訪れた西蔵の中も、貴重なものが展示されている資料館でしたキョロキョロ



 

さて、見どころのとても多かった旧杉山家を後にして、もう少しだけ、寺内町を散策しましょう音譜音譜



木口家住宅

主屋は18世紀中頃の建築とされ、木綿商を

営んでいましたが、後に瀬戸物商に転じたとのこと


私が訪れた富田林は寺内町と呼ばれていますが、その寺内町が発展した中世は、国内に様々な都市が現れました。





港町を中心に、自治都市としての機能を備えた町が発展したのも、この時期の特徴です。



興正寺別院

富田林市にある寺内町は、

約450年前に興正寺別院とともに発展


瀬戸内航路の東端にあたる「堺」は、会合衆・納屋衆と呼ばれる有力商人の会合によって自治運営されており…



杉田家住宅
18世紀後半頃の建築とされ、当家は代々「樽屋善兵衛」
と称し、元は油屋を営んでいたとのこと


ポルトガルの宣教師・ガスパル・ヴィレラは、「堺はベニスのような自治都市である」と、ローマのイエズス会本部に報告しています。



妙慶寺
1603(慶長8)年の創立で、柳渓上人をか開基とし、
真宗本願寺一派に属しているとのこと

「博多」や「平野」では、年行司・年寄衆と呼ばれる自治組織を持っていたし、室町幕府のお膝元である「京都」でさえ、下京では独自の町掟が定められ、富裕な商工業者を中心とした町衆によって自治運営が行われた時代でした。



田守家住宅
当屋は「黒山屋」と称して、寛永年間より
明治中期頃まで、代々、木綿屋を営んでいたとのこと

言い換えれば、これらの都市の発展は中央統制の緩みを示すとともに、近代の地方自治にも繋がる動きでもありました。





「和」の古建築が連なる棟の中に、洋式建築がポツリ、これがまた、寺内町に融合しており、違和感がないから不思議🙄



佐藤家住宅
当家は仲村家(佐渡屋)出で、紅梅酒味醂の酒造を営み、
現在も敷地内に多くの土蔵を有しているとのこと


また、寺社の周辺に発達した門前町の例としては、伊勢神宮を核とした「宇治・山田」や善光寺を中心とした「長野」、延暦寺・園城寺を核とした「近江坂本」や興福寺・春日大社を中心とした「奈良」などが挙げられます。



越井家住宅
当家は代々「平尾屋庄兵衛」を名乗り、材木商を営み、
安政年間には庄屋を務めた家柄とされています

いずれも古くからの由緒ある神社仏閣として多くの参拝者を集め、それが安定した需要を生み出し、商工業が発達したと考えられています。





越井家住宅の長々と続く米蔵がインパクト大!?ガーン



奥谷家住宅
当家は代々「岩瀬屋」と称し、3代目「伊右衛門」
の時には、村方(名主)を務めていたと考えられている

門前町が自然発生的な発展形態をとるのに対し、富田林のような寺内町には、戦略的な色彩が強いと考えられます。



旧東奥谷家住宅
当家は西側に位置する奥谷家の分家で、主屋は
1829(文政12)年に建てられたのが明らかとのこと

北陸一向一揆の中心となった越前吉崎・加賀金沢をはじめとして、摂津石山・山城山科・河内富田林・大和今井など…



南奥谷家住宅
当家は北側に位置する奥谷家(岩瀬屋)の分家で、
分家の年代は明らかではないが明治前半頃と推定

一向宗寺院を核として建設された寺内町は、他宗派の攻撃に備えて濠や土塁を築き、宗教都市・城塞都市の様相を呈し、寺内町の多くは免税特権を獲得し、商工業者が集住のが特徴です。





旅先で遭遇する古い町並み…

それはまるで、江戸時代にでもタイムスリップしたかのような不思議な感覚に陥ります照れ


大阪の旅はまだ、始まったばかりキラキラキラキラ

次回へと続きます…☆