毎度、インパクトのある装飾が印象的な館内ですが、質素とは言いませんが…
やはり「端午の節句」と言えば、鎧と兜。
子どもの災厄を代わりに受け、願いを背負う化身という意味を持っているそうです。
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広々としたリビングルームにも、装飾で彩られますが、中でも…
日本庭園を模した鏡の池に、花菖蒲が絶妙のアクセントになり、まさに、花を添えます
横浜山手にある西洋館の内、かなり大きめのベーリックホール、そして2階へと上り
元町公園内にある新緑に囲まれた西洋館…
「端午の節句」の飾り付けは、言うなれば、ここまで、どの館も “質素倹約” がポイントのようで…
桃の節句のような華美な装飾ではないのが、端午の節句の特徴の模様。
もはや、“わび・さび” のお茶の世界
そもそも、 端午の節句に男の子を祝う理由とは、戦国時代になり「菖蒲」が「尚武(しょうぶ)」という言葉につながり、端午の節句は男子の武運と成長を願う行事になったのだとされています。
尚武は「武道、軍事を重んずること」という意味で、武家に生まれた男子にとって大切な心得とのこと。
エリスマン邸から街道を挟み、次なる西洋館へ
因みに、端午の節句で兜・鎧が飾られる理由は、まるで我が子を戦いに行かせるようだと考える向きもありますが、そもそも武士にとって兜や鎧は身を守るための道具。
これらを飾ることは、病気や事故などから男児を守り、困難に勝ち、丈夫に成長してほしいという願いが込められているとのこと。
菖蒲の持つ強い香りが邪気を祓うとされていたため、邪気払いに菖蒲が使用されていたようです。
では、「端午の節句」は、何故に5月5日なのでしょうか。
従来、端午の節句は、奈良時代に始まったとされており…
端午の「端」という文字には、始まりという意味があり、端午の節句の「午(うま)」の日を意味しているため、もともと端午の節句は5月に限ったものではありませんでした。
その後、端午の「午」という字の「ご」という読み方が、数字の「五」に通ずるとされ、毎月5日を指すようになります。
それから次第に「五」の字が重なる『5月5日』が、「端午の節句」として定着したとのことでした。
「端午の節句」の最後の装飾です
日本国内で「端午の節句」が本格的に行われるようになったのは江戸時代とされ、現在に近いお祝いのスタイルになったとされています。