陸奥国周遊の旅 宮古市の風景②「宮古市の町並み」 | 果てなき旅路

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浄土ヶ浜からぐるりと坂道を上り、やって来たのが岩手県立水産科学館🐟️🐡🐠





入り口付近には水槽がいくつかあり、水族館的な要素も楽しむことができます。






( ̄□ ̄;)!!









おい!重たいよ!





!? 川魚のヤマメとイワナは海へと下るそうです波





熱帯魚までいるお願い


科学館内は漁業にまつわる展示が、とても充実しており…





縄文時代の漁法から現代の様々な漁業、技術、道具の他…





岩手特産の海産物についての展示…





サケ、アワビ、ワカメの養殖など、漁業に関する展示が分かりやすく…





館内はコンパクトの科学館ですが、興味深く見学ができますウインク





また、後世のために伝えなければならない、東日本大震災の記録も、コーナーが設けられていました。





岩手県立水産科学館から浄土ヶ浜ビジターセンターへと戻り、宮古駅へと戻るバスを待ちますキョロキョロ





ビジターセンターの中では、三陸復興国立公園の自然情報、周辺散策情報などを提供しており…





2階では地域の自然や歴史、産業などを展示するコーナーやシアター映像の放映があり、興味深く見学することができます。





また1階には、浄土ヶ浜エリアの詳細ガイドが展示されており、綺麗な施設の中で、分かりやすく楽しく学ぶことができます。





浄土ヶ浜での大変有意義な時間を過ごし、宮古駅へと戻りますビックリマークビックリマーク





東日本大震災は多くのかけがえのない命を奪い、甚大な被害をもたらしました。





あれから10年が過ぎた現在も、尊い命を守るため、そしてこの美しい景観を存続させるために、新たな活気を生み出していました。





宮古駅からは三陸鉄道で久慈方面へと北上するのですが、少し時間があるので、宮古駅周辺をのんびりと散策開始音譜音譜





三陸と言えば、リアス式海岸が造る美しい海岸美と海の幸、その対局にある自然の脅威…





いつ起こるかわからない津波への備えを常に忘れることなく、リアスの海とともに心豊かな暮らしを営んでいる三陸で暮らす人々…





古くは869年の貞観地震津波に始まり、明治以降は100余年の間だけでも3度の大津波を乗り越えてきました。





特に宮古市はその地形から、過去に多くの津波災害による大きな被害を受けてきました。





こちらの中華そば「たらふく」さんラーメン





岩手県へと旅立つ前に、色々と事前チェックをしていたところ、屋台からスタートした老舗店で、今は三代目ご主人が腕をふるいます。


震災の被害では店は津波で1階部分が天井近くまで2mも浸水しました。


それでも、お店は奮闘し、地域住民の協力を得て、50日後には営業を再開しました。


そして連休中には、復興中華そばを2日間無料でふるまったそうです。





私、震災前にこの店で、確かに食べているのですよね。

けれども、その味まで思い出せなくて…

だがら、どんな味だったかを確かめたくて、この店に、再び訪れるのが楽しみでした。




湯気とともに立ち上る煮干の香りに、これぞ港町と心が躍らされ、金色に透き通ったスープを飲んでみると…


そんな煮干しの旨味がしっかりと効いていて、優しさの中に力強さもあり…


骨身にしみる “中華そば”、ここに健在おねがい





懐かしい味に再開し、再びの宮古駅。


ここからは三陸の沿岸を久慈駅まで三陸鉄道で北上します。





明治時代以降では、明治三陸大津波(1896)、昭和三陸大津波(1933)、チリ地震津波(1960)と幾度も大きな津波被害を受けた経験から、津波に対する市民の防災意識は高く…





防災施設の整備や避難訓練の実施など考えられる限りの対策を進めてきました。





しかしながら、東日本大震災はこれらの対策をはるかに上回り、宮古市では8.5m 以上の大津波が襲来し、沿岸から市街地一帯にかけて広く浸水、最大値でマイナス50cmもの地盤沈下 も発生し、大きな被害をもたらしました。





宮古市にとって、未曾有の被害をもたらした東日本大震災は、決して忘れることのできないものです。 


けれども、浄土ヶ浜のあの美しい光景を思い出せば、宮古の自然は変わることなく海岸美を讃え、宮古の町は生き生きとしたエネルギーに満ち溢れています照れ



次回は三陸鉄道で北上します…☆