鈴木愛理の20年ーー21世紀に音楽をビジネスとして成り立たせることの困難とともにーー | 不条理に抗う:女性アイドル最高評議会

不条理に抗う:女性アイドル最高評議会

不条理な経験について記します。その逆も書こうかな。
「アイドル最高評議会」とは「ジェダイ最高評議会」のパロディ。
記事を投稿するにあたっては時間をかけて推敲しています。しかし、まちがったこと、書き忘れたことをあとから思い出して加筆修正しています。

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[21世紀以降、鈴木愛理がデビューしたころと同じ時代の展開として、K-POP、韓流について触れることを忘れていたことに気づきました。K-POPについていずれ加筆しますが、モーニング娘。はK-POPが台頭するまえにデビューしたことは売れるためには大きかったですね。2024年3月13日]


こんにちは。

 

本当は20周年記念ライヴの追加公演について書きながら、書いてみたかったことなのですが、ライヴについて書く機会を逃したので、独立させて書きます。

 

この度デビュー20周年を迎えた鈴木愛理さん、その鈴木愛理の20年とは何だったのか。私はそのことを考えてみました。そして、ある答えを得ました。その答えとは、

 

鈴木愛理の20年とは、CDが売れ、TVが影響力をもっていた20世紀が終わって、インターネットが台頭し、CDは売れなくなり、マス=メディアは影響力を失い、国民的ヒット曲は出にくくなり、俳優よりも歌手を続けることのほうがはるかに困難になった21世紀にどうやって歌手を続けていくかという問題と苦闘した20年だった

 

です。

先日のサイン会で鈴木さんご本人に伝えようとしても短い時間では真意が伝わるかどうかわからないので、やめておきました。ラジオ番組にメールを送ることもご本人のInstagramアカウントにDMで伝えることもファンクラブにファンレターを書くことも考えなかったわけではありません。しかし、内容が文化批評なので、それはやめてここに書くことにしました。

   

 

・モーニング娘。とは何かーーCDバブルやTVの影響力の強い時代に間に合い、TVの力を借りながら、「LOVEマシーン」で一発当ててミリオンセラーを連発することに成功した、のちに「アイドル」と呼ばれることになるガール・グループーー

 

モーニング娘。にもうヒット曲が出なくなったあと、ハロヲタのあいだでは「『ラブマ』の貯金」ということばが使われました。つまり、今は、『LOVEマシーン』のヒットで得たお金と知名度を切り崩すようにしてやっていけている、と。

モーニング娘。はTVが大きな力をもち、CDが売れる最後の時期にキャリアを始めて、一発当ててヒット曲をいくつか出して音楽の力でCDを売ってみせたグループなんですよね。当時ドラマの主題歌などつければCDが売れるタイアップはありませんでしたが、しかし、彼女たちは当時おもしろくてしかたがなかった日本のリアリティーショーーーほかには『電波少年』『ウリナリの世界征服宣言』ーーのはしり『ASAYAN』の「シャ乱Qプロデュース女性ロック・ヴォーカリスト・オーディション」出身でもあり、苦悶、苦闘する姿が視聴者の共感を呼びました。

(ですから、モーニング娘。は元々はアイドルではありません。ヒット曲が出なくなってから、曲、音楽よりも人、メンバーに食いついてもらってグッズなどを売って生き延びていくためにハロー!プロジェクトをアイドル集団にし、「アイドル」というカテゴリーに自分たちを分類するようになったのです。

アイドル女優はともかく、女性アイドル歌手はダサいと思われて90年代に一度死滅しています。(雑誌『Myojo』は昔は『明星』で、女性アイドルも表紙にも中身にも掲載されたんですよ。それなのに、女性アイドルが完全に衰えたので、載せられなくなった。)はっきりと「アイドル」を名乗ると、もしくは宣伝すると、売れにくくなったのです。モーニング娘。が登場する前のライジングが手掛けた安室奈美恵、MAX、SPEEDも「アイドル」としては絶対に売り出さない戦略を取っていました。「ダンス&ヴォーカル」。

2001年8月昼ドラのタイアップでZONEが「secret base〜君がくれたもの〜」で大ヒットを飛ばしますが、彼女たちは自称「バンドル」。「アイドル」と言いたいけれど、言うと嫌われるかもしれないので、言い訳がましく「バンドでもあります」と弁解するところに、若い女性歌手でも「アイドル」と言うとバカにされる時代の雰囲気が表れています。

完全にデビューから「アイドル」として売り出すようになった現代的なアイドルの元祖はZONEと同じ時期にブレイクした松浦亜弥です。先輩のモーニング娘。は松浦を売り出す資金などを作ってくれましたが、アイドル・ビジネスに転換するさいには、アイドルを積極的なのものとして蘇らせたこの妹分の大成功から多大な恩恵も受けています。ただし、松浦亜弥自身は母親から松田聖子の話は聞かされても、自分自身でアイドルを見ていないので、「アイドル」と呼ばれることに困惑していました。それでも、だからこそ、松浦がいなければ、あのタイミングでPerfumeもAKB48もアイドル活動を始められていません。AKB48以降は東京のアイドルでもアイドルを名乗ることにまったく躊躇しなくなります。そのことを考えると、この21世紀を振り返って、女性アイドル歌手のMVPを個人で私が選ぶなら、松浦亜弥か、鈴木愛理かになりますね。)

モーニング娘。と同じ時期に出てきたMISIA、椎名林檎、aiko、宇多田ヒカル、浜崎あゆみあたりは、今でも、CDが売れない時代に成功したアーティストよりも多くの人々の意識に深く浸透して、カリスマ性で優位を保っています。

 

 

・鈴木愛理が芸能界入りした2002年ーー事務所がアイドルに大きな投資を控えていく時代ーー

 

しかし、鈴木愛理がハロー!プロジェクト・キッズ・オーディションに合格し、芸能界に入った2002年は、PC,MP3などの普及によって容易な違法コピーが蔓延し、もうCDが売れなくなっていく時代でした。

音楽業界はCDが売れない時代に対するとんちんかんな対症療法のひとつとして生まれたコピーコントロールCD問題に揺れていきます。

2002年、モーニング娘。も、ヒット曲を出せず、ハロマゲドン、後藤真希の卒業もあって、失速していきます。

2001年にデビューしたソロ、松浦亜弥の成功のあとの第二弾のソロ藤本美貴は波に乗り切れず、アップフロントは翌年モーニング娘。に藤本を吸収することになります。おそらくあのまま藤本美貴をソロで活動させ続けても、最初に行った巨額の投資を取り戻せない、つまりソロアイドル歌手・藤本美貴をいわゆる黒字化できないと判断したのでしょう。要は藤本美貴のソロ活動は失敗でした。こういうマス=メディア型のアイドルはお金を食うので、「もうダメだ」と思ったら、素早くプロジェクト終了、損切りすることが大切なのです。

鈴木愛理を含む℃-uteよりも前にデビューした松浦亜弥、藤本美貴はマス=メディアの力を借りたし、億単位の投資もしてもらったし、オーディションに受かったあと、東京の住居、つまり衣食住も用意してもらったと思います。

それまでアイドル、歌手をみつけて育てて売るというのは、億単位、少なくとも何千万円単位のバクチだったのです。アップフロントという芸能・音楽事務所であれば、一か八かのバクチが成功して森高千里が売れて、ほかの歌手でバクチが失敗することもあるけれど、森高のあとシャ乱Qでやったバクチが成功して、そのお金を元にモーニング娘。でバクチを打てて、モーニング娘。のバクチが成功したから、松浦亜弥、藤本美貴に投資してバクチを打てて・・・、を繰り返します。こういうマス=メディアを通じて売っていく歌手、バンド、アイドルは、売れれば、何十億も稼いでくれるけど、売れなければ、事務所にはまったくお金が入ってきませんし、売れなかった新人歌手はデビューして数年で契約を打ち切られます。だから、まずマス=メディアを通じてしかアイドル歌手を売り出せない時代には、歌手を売り出すことができるのは、バクチに負けて何億円、何千万円の投資が回収できなくなっても構わないほど資金力のある大手の芸能事務所にかぎられていました。

でも、アップフロントは鈴木愛理を含むハロー!プロジェクト・キッズにはできるだけ投資を抑えようとしました。というのも、そもそも誰が売れるか、何がヒットするかはバクチのようにやってみないとわからないところが多分にあります。が、しかし、もう2002年以降は、誰、何に賭けても、大勝ちする見込みは薄く、誰に、何に賭けたらいいか本当にわからなくなったからです。

売れるグループにしたいのなら、お金をかけて全国からメンバーを選んで揃えるべきです。が、キッズは、都内のレッスン場に通える関東在住の子どもだけを募集して選びました。もう寮、住居までは用意したくなかったのです。

そして、オーディションで合格を与えても、デビューは約束せずにレッスンを受けさせながら、ようすを見る。同じ子どもでも、オーディションに受かってすぐに国民的アイドル・グループのメンバーになれた辻ちゃん加護ちゃんに比べると、TVが影響力を失い、CDが売れなくなった21世紀は子どもにも厳しいのです。鈴木愛理はそういう子どものひとりでした。

ところで、CDが売れなくなっていく激動のこの時期にブレイクした人は変節した人が多いんですね。エロかっこいいに変節した倖田來未、歌手としてスタートしたのにエロかしこいグラドルに変節した優木まおみなどです。現代日本文学を代表する作家、川上未映子もこの時期は歌手をしていました。

 

 

・2005年℃-uteがデビューーーYouTubeと「会いに行けるアイドル」とが℃-uteの同期ーー

 

鈴木愛理をメンバーのひとりとする℃-uteがデビューした2005年は、CDが売れなくなって、ヒット曲も出にくくなる時代のなかで象徴的な年です。ハロー!プロジェクトの人気凋落は明らかであり、ファンにほかにはアイドルの有力な選択肢がないというだけで支持されて、まだなんとかやっていけましたが、それでも、外側で大きな変化が生じます。

2月にアメリカでYouTubeがスタート。今は権利処理はしっかりしていますが、CD音源なんてデータでネットに上げられ、ユーザーがパクり放題の時代が来ました。すでにPCとMP3のせいでCD音源なんてコピーし放題でしたが、CDが売れない時代の決定打です。(そののちのとどめがスマホの登場とサブスクの普及です。サブスクでは、フィジカル、CDと比べると、利益は出ませんが、しかし、タダでパクり続けられるよりはましだと音楽業界は考えて、現実主義的に妥協したわけです。本当は1曲200円ぐらいの有料ダウンロード音源あたりで妥協したかったのでしょうが。)

12月には秋葉原で「会いに行けるアイドル」AKB48が誕生しました。よみうりランドイーストにサードシングルリリース記念で松浦亜弥が一万人と握手し、藤本美貴が八千人と握手したような、イヴェント自体は大赤字で、新人時代に参加者が流しソーメンのように流される大規模なお披露目のような握手会とは違い、AKB48によって「AKB商法」と言われるような、ファンを認知しながら本当に日々活動費を稼いでいくための"接触”が始まります。私は秋元康のインタヴューを精査していないので、発言を引用できません。が、ラジオの投稿職人から始めて放送作家としてずっとTV、ラジオのなかで仕事をしてきた彼には、"TVの終焉"が明らかだったせいもあるでしょう。

℃-uteも「TV、CDはもう終わった。次に頼れるのは、ネット、接触、そしてライヴ」という流れを読んで、ショッピング・モールで観客の近くでライヴを見せることに力を入れました。そして、℃-uteはショッピングモールでミニライヴをやっても、そのあとに握手会をしてレッスン料ぐらいはその都度自分たちで稼ぐ。そういう新しいアイドルのかたちはPerfume、AKB48だけではなく、℃-uteからも始まったわけです。

 

 

・Perfumeの次、AKB48の前にインディーズ・アイドル・グループとして生まれた℃-ute

 

ハロー!プロジェクトキッズのうち、まずBerryz工房が2004年デビューし、そのあとの残りが℃-uteとしてデビューしました。

松浦亜弥、藤本美貴、Berryz工房と違って、℃-uteは、デビューはしても、まずインディーズで様子を見られました。繰り返しますが、いきなり事務所が新人に多額の投資をする時代は終わったのです。

もちろんモーニング娘。もインディーズでデビューしました。それまではアップフロントのような大手の事務所がCDを出すと言えば、メジャーレーベルから出すのが当たり前だったので、「インディーズ」ということばがはっきりと使われたのはショッキングな出来事でした。が、あれは『ASAYAN』という当時日本で取り入れられたTVの"リアリティー"ショーの一部、企画でしたから、℃-uteが受け手の同情を引くモーニング娘。のこの成功パターンを反復する意味はあっても、事務所が本気で投資を渋り出した℃-uteの場合とは、かなり事情が違います。

インディーズ・アイドル・グループの先駆者はアミューズのPerfumeでしょう。しかし、ロコドルとしてスタートしたものの、アミューズに引っ張り上げてもらい、再スタートし、さらにメジャーデビューをして再々スタートしたという複雑なキャリアを考えると、Perfumeには容易にはとらえがたいところがあります。元祖インディーズ・アイドル・グループは℃-uteだと言ってもいいと思います。

ただし、あとでも触れるように、アップフロントはメジャーデビュー後は℃-uteに日本レコード大賞最優秀新人賞を取らせてブレイクさせようとしてきます。たぶんここではお金を使いました。しかし、レコード大賞最優秀新人賞なんて価値、インパクトのない時代に入っていたんですよね。

 

 

・Berryz工房の世代的な限界ーーマス=メディアに出られないのに、ライヴ、ネットに強くもなれず、20世紀のマス=メディア中心のやりかたを改められずーー

 

今から考えると、℃-uteはBerryz工房よりも遅れてデビューしたぶん不幸に見えましたが、しかし、それは℃-uteが新しい時代に適応するうえでは、むしろ幸運でした。

たしかに先にデビューできたBerryz工房は最年少記録を樹立するためにさいたまスーパーアリーナでコンサートをしたり、アイドルらしく文化放送で番組をもったりしました。

しかし、それは20世紀のやりかたをひきずるものでした。Berryz工房は20世紀までのマスメディア中心の戦略の名残り、事務所のプライドに囚われて、ショッピング・モールでのミニライヴツアーなども積極的に行えず、ネットでの展開も遅れ、時代の変化についていけませんでした。「ネット、接触、小規模ライヴ、そしてフェスはヨゴレのすることだ」という考えかたを捨てられず、「TV、CDはもう終わった。次に頼れるのは、ネット、接触、ライヴ、フェス」という考えかたに転換できませんでした。それが℃-uteよりも早く出てしまったBerryz工房が背負った世代の限界です。

もちろん、時代についていくことが正義ではありません。私も「AKB商法」は時代の流れだとしても、まともな人間のすることではないと思っていました。ですから、ネットや接触に積極的に出ていくことに抵抗を感じたBerryz工房のやりかたは不器用で孤高であり、Berryz工房は時代の間(はざま)で立ち往生してしまいましたが、しかし、Berryz工房が悪だったとは私はまったく考えていないことは強調しておきます。彼女たちなりの大義のために散ったと考えてあげてください。

 

 

・オワコンのはずのオリコン(CD売り上げ)至上主義のなかで燃え尽きていった℃-ute

 

他方、℃-uteは、Berryz工房よりも遅く始めたぶん、ネット(GREEブログ)、接触、ライヴ、フェスなど時代の変化をとらえられました。そのことがSHOCK事件からのいわゆるV字回復につながったのでしょう。SHOCK事件自体もそのあと℃-uteが低姿勢でグループを立て直すことにつながりました。

Berryz工房と違って、いつのまにか、℃-uteは、"マス=メディアに出られなくなったあとは、ハロー!プロジェクトのなかでモーニング娘。の横に立っていても、グループもハロー!も先細りなだけなので、これからはハロー!プロジェクトの外に積極的に出ていかなくてはならない"という意識をはっきりともち、なおかつ実行に移せました。この意識と実践はハロー!の中で真野恵里菜、スマイレージ/アンジュルムからOCHA NORMAにまで継承、発展させられていきます。

その℃-uteも、CD売り上げ至上主義の名残りでリリース週にフラゲ日から日曜日までイヴェント、接触を打ちまくることを繰り返すという出口のない迷路のなかで疲れ果て、燃え尽きたように思います。

ライヴ、ダンスに力を入れながら、リリース週にイヴェントを打ちまくるそういうやりかたである程度はたとえば日本武道館公演二日間の実現などステップアップはできたのです。が、あるときから堂々巡り、ゴールのないラットレースを走ることになりました。

最終的には、2016年9月にオリコンのCD売り上げ枚数計算方法が厳しく変更されたことで、変更後にリリースされたシングルでは、ほかのアイドル・グループのシングルと同様に、℃-uteのシングルの売り上げ枚数は激減しました。もう終わりが来たと関係者は感じたのではないでしょうか。もう℃-ute初のオリコン週間一位奪取の夢をかなえるのは難しい。2017年1月解散発表、同年6月に解散。最高位二位を六回繰り返すだけで、結局週間一位には一度も入れませんでした。

たとえば、48グループは数百人の総力を挙げてCDの枚数を積んでくるのに、℃-uteはたった五人です。長期戦、持久戦になると、勝てません。たった五人でも、ももいろクローバーZがAKB48と互角に対峙してたった五人で西武ドームを満杯にして頂点に立ったときは速かったうえに、CD売り上げ至上主義という土俵ではAKB48とは戦いませんでした。たしかに、ももクロは「行くぜ!怪盗少女」でデイリー一位を取ったことも景気づけに利用しましたが、"もうオリコンはオワコン"という考えかたの急先鋒に立っており、早々にファンにCDを大量買いさせるようなことはやめて、やっぱりライヴ至上主義者としてふるまいましたよね。今もぜんぜんTVに出演しなくても平気です。

℃-uteがなぜブレイクできなかったか。ほかのグループとの比較で言うと、モーニング娘。はモーニング娘。であり、松浦亜弥は松浦亜弥であり、PerfumeはPerfumeであり、AKB48はAKB48であり、ももいろクローバーZはももいろクローバーZでしたが、しかし、℃-uteはそうではなかったのです。何を言っているかわからないでしょう。当たり前です、わからないように言っていますから。しかし、その心は、℃-uteは℃-ute自身であるよりも前に、アップフロントがCDが売れにくく、マス=メディアが力を失っていく時流への対処のひとつとしてハロー!プロジェクトをアイドル集団として形成し、存続させていくさいの手ごまの一つ、「ハロー!プロジェクト・キッズ」だったということです。これは、48も姉妹グループになると、いわゆる今さら感が出て、本店のAKB48よりもインパクトが薄れますし、坂道シリーズも姉妹グループになると、乃木坂46よりも最初の勢いが落ちてしまいます。これがアイドル・ファミリー所属グループの短所ですね。

(歌舞伎)役者と違って、歌手は、本来、すべてのれん分けのできない個人商店です。それなのに、のれん分けしてもらっても、大物には育ちません。

 

 

・ほとんどのアイドルグループ卒業生が音楽産業から去っていくなかでソロ歌手として再出発

 

Bouno!も℃-uteも解散して、鈴木愛理はソロ歌手として再出発します。俳優よりも歌手として生き残ることのほうが難しいこの時代に。

かつて「Wあや」と言われたCM女王の双璧、松浦亜弥、上戸彩の現在を見ても、CDの売れない時代に、歌手、俳優のどちらを選んだほうが活動を続けていきやすいかは明らかでしょう。AKB48でも、卒業後、音楽業界に残るメンバーはほとんどいません。

インターネットドラマが登場しても、もうNetflixでも日本の企画は早々に頭打ちですし、俳優の仕事内容は20世紀とあまり変わっていません。映画が公開されたとき、以前よりは舞台挨拶の回数が多くなったぐらいでしょうか。俳優の場合、SNSのアカウントをもっていても、それほど更新しないのがステータスの象徴です。

それに対して、アイドル歌手の場合、その多くは、続けるかぎりは、20世紀型のアイドルと違って、ライヴで全力を尽くす、接触でCDを売るという激務が待っています。SNSも俳優よりも頻繁に更新します。

その一方で、すでに触れたように、オリコンもイヴェント、接触でのCD売り上げの数えかたを厳しいものに改正したことで、接触での過当競争も緩和されました。

さらに、もうサブスクが定着し、ビルボードがオリコンに取って代わり、もうCD販売はただ残っているだけの慣習になりました。

CD売り上げ至上主義の完全な終焉を象徴する出来事は、二組のミリオンセラー常連アイドル・グループの退場、降板、すなわち2020年下半期における嵐の活動休止とAKB48のNHK紅白歌合戦落選です。

AKB48は最新シングルでミリオンヒットを記録したまま、紅白に落選してしまったのです。ライヴ、サブスク、ビルボードチャート、スマホ、ネットと、TV、CD、オリコンに替わる音楽環境の大きな変化はもう終わりつつあるので、ソロとして続ける以上はリリースする新曲は必ずオリコンの10位以内に入れなきゃいけないという重くはっきりとしたノルマはもうなくなってしまいました。

現在、鈴木愛理はハロー!プロジェクト出身のアップフロント所属歌手には珍しく、Apple Musicというサブスクで音楽を配信できています。大きな勝利、達成です。鈴木愛理は℃-ute時代から時代の流れに敏感に動くんですよね。

 

 

今もこれからもこれまでの20年と同じく音楽がビジネスとして成り立ちにくいことは変わらなくても、鈴木愛理は、CDが売れなくなった20年を通過しても生き残った女性アイドル歌手として、ようやく楽にやっていける時代が来たんじゃないでしょうか。

 

 

・音楽事務所としてのアップフロント

 

音楽をビジネスとして成り立たせるのが難しい時代を生きてきたし、生きているので、鈴木愛理が、鈴木愛理オリジナルの楽曲での活動以外にも、俳優、モデル、ファッション、カヴァー、アニソン、司会など、雑多な仕事をこなしていかなくてはならないことに関しては、私は歌手としてブレているとは思わないです。音楽を続けるためにはしかたがないです。アップフロントにいるかぎり、M-line clubの稼ぎ頭であるかぎり、鈴木愛理は歌は捨てないし、捨てられません。 

80年代にアイドル歌手を次々とデビューさせたナベプロ、ホリプロ、サンミュージックなどは現在はほとんど音楽からは撤退した状態です。お笑いタレントや俳優を抱えることに活路を見出しています。

しかし、アップフロントは、歌があまりうまくない石川梨華が3年ぶりに38歳のバースデイ・イヴェントを開催するのにも「何を歌ってほしい」とファンクラブ会員にアンケートをするほど、芸能事務所であっても、結局、ファッション・モデル、俳優を扱うよりも歌手を扱うのが元々の専門である音楽事務所です。鈴木愛理がアップフロントに所属するかぎり、音楽活動は続けていくのが当たり前なので、心配はしていません。

音楽をビジネスとして続けていくことが困難な時代にせっかく音楽業界で成功しても、PerfumeもAKB48もダンス指向であり、生では歌わせてもらっていません。鈴木愛理が生で歌えるのも、アップフロントがアミューズと比べて、成功した俳優部門をもっておらず、音楽にアイデンティティのある事務所だからです。

グループ卒業後、アップフロントに残った宮本佳林、佐藤優樹はもちろん、アップフロントを去った鞘師里保、室田瑞希、高木紗友希も歌手として活動しています。アップフロントに来る子たちは音楽志向が強いです。石川梨華、道重さゆみ、久住小春、飯窪春菜のように歌唱にアイデンティティや高い能力のない場合、長い目で見ると、アップフロントという音楽事務所に選ばれたことは幸福ではなかったかもしれません。

 

 

・見方にもよるし、本人が努力を怠ってはいないが、鈴木愛理は結局幸運である

 

以下、繰り返しも含めて整理します。

まず、芸能界に子役はいるけれど、今の時代は当時の鈴木愛理、「あぁ!」と同じ程度に、小学生からキャリアを始めること、大人に混じらせて働かせることは、本人の意志だと言っても児童虐待に見えて、コンプライアンス的に無理かもしれません。あるいは、小学生の歌手には受け手が引くかもしれません。幼い頃からキャリアを積めたのは幸運でした。

次に、モーニング娘。、松浦亜弥、藤本美貴に比べると、CDが売れないからケチケチしながらアイドルを育てて徐々に売り出していく体制、ケチケチ時代を生きることになりました。が、まだ「大手芸能事務所がオーディションに合格だと言った以上、デビューさせなきゃまずいだろ」という考えかたが生きており、それが効いて、キッズはBerryz工房か℃-uteかで全員デビューできました。もっと下の世代のハロプロ・エッグ、ハロプロ研修生はもっと厳しく、デビューまでのサヴァイヴァル・レースを走らされていきます。これからは、年に一度開催される研修生発表会でベスト・パフォーマンス、一等賞をもらっても、デビューできないかもしれません。

そして、仮にモーニング娘。に入っていれば、得られる報酬も待遇も℃-uteよりももっと多かったでしょう。しかし、そのぶん、学歴に関して、モーニング娘。のメンバーのほとんどは中卒、高校中退で終わっています。つまり、鈴木愛理はアップフロントがケチケチと育てたアイドルのキッズでなければ、学業を続ける自由がなく、大学進学はできなかったでしょう。プロデューサー、ディレクターには早慶卒が多いでしょうから、マス=メディアのなかで慶応のSFC卒というのは大きなブランドです。司会などの仕事をするなら、出ておいてよかったです。

そして、Berryz工房よりも遅れて℃-uteでデビューしたおかげでマス=メディア中心の時代遅れの考えかたを引きずらずに済みました。℃-uteは、フェス、ネット、接触、ライヴに積極的に出ていけました。 

それから、℃-uteは松浦亜弥、藤本美貴、Berryz工房と違って、日本レコード大賞最優秀新人賞を取らせてもらいました。ちなみに、モーニング娘。は最優秀新人賞を取っていますが、しかし、松浦亜弥は紅白歌合戦に出場したのに、レコード大賞の最優秀新人賞では、ノミネート、優秀新人賞すら受けていません。辞退させられました。理由は堀内孝雄の扱いをめぐって日本レコード大賞とアップフロントとが不仲に陥ったからだと言われています。その関係が℃-uteのころには修復されていたのだと考えられます。(そこらへんのきな臭い裏事情を察した人間は℃-uteの最優秀新人賞を困惑しながら見ることになりましたが。)このままずっと地味な活動をさせていてはかわいそうだと思ったのでしょう、アップフロントは℃-uteに日本レコード大賞最優秀新人賞は取らせました。

最後に、大手事務所はともすればメンバーやファンに傲慢になりがちで、それがハロマゲドンなどでファンの怒りを買って人気凋落に拍車をかけるのですが、SHOCK事件のおかげで、℃-uteはもうそれ以上は事務所に窮地に追い込まれずに、ファンにも低姿勢になれて、人気をV字回復できました。

 

 

・結論:鈴木愛理は21世紀の女性アイドルのなかでは最も長く"歌い"続けている

 

周知のように、鈴木愛理の父はプロゴルファーの鈴木亨です。鈴木亨はメジャー勝利数、賞金ランキングという基準では有能ではありませんでしたが、しかし、シード権を取り続けた連続年数で尊敬されていました。鈴木愛理は父親に似ているんでしょうね。

安倍なつみ、後藤真希、松浦亜弥はマス=メディアの力を借りてあっという間に人気者になれました。が、人気が急落するときには一気に急落して、急落したあとは無残でした。見ていてかわいそうでした。それがマス=メディアに依存することの怖さです。マス=メディア時代のアイドルはせっかく売れても、短命です。

対して、鈴木愛理の人気のピークは上記のお三方のピークにはまったく及ばないでしょう。しかし、マス=メディアに依存せず、接触とライヴに力を入れてきた人は、寿命が長いです。これも問題なんですが、まったくブレイクしないのに、ライヴと接触を頻繁にやっているだけで10周年を迎えるアイドル・グループはたくさんいます。接触とライヴの時代のアイドルはマス=メディアの時代のアイドルよりも寿命が長いです。

人気のピークの高さははるかに及ばなくても、芸能界入りしてから何年音楽活動を続けられたかに関しては、20周年を迎えた鈴木愛理が、20周年を迎える前に活動停止に入った安倍なつみ、後藤真希、松浦亜弥を大きく押さえてハロプロ史上一位のアイドルなのです。キッズにはまだ夏焼雅など歌を完全に捨ててはいないメンバーもいますが、もう夏焼雅もレコーディング歌手としては引いた感じですから。

いや、鈴木愛理よりもキャリアが長いPerfumeが結局口パクであること、板野友美もとっくにソロ歌手として行き詰まってママタレになっていること、そして現在も音楽業界で活動する山本彩、柏木由紀、宮脇咲良は鈴木愛理よりも遅くデビューしていることを思うと、

 鈴木愛理とは、21世紀にアイドル歌手としてデビューしたなかでは、最も長い期間音楽業界で活動し、なおかつ生でも歌い続けている歌手です。そういう意味での21世紀のナンバーワン女性アイドルですね。

 

昨年11月にSHIBUYA TSUTAYAで行われたサイン本お渡し会で私は鈴木愛理にこう言いました。

「いろいろあると思いますが、これからも歌い続けてくださいね」

「いろいろ」には、絶対に鈴木さんには通じていないと思いますし、鈴木さんには「恋愛」「結婚」のことを指していると受け取られたでしょうが、しかし、「音楽をビジネスとして成り立たせることが難しい時代はいろんな面で続くでしょうが」という意味を込めていました。すると、ほほえみながら、こう答えてくれました。

「私から歌を取ったら、何が残るんですか」

音楽、歌唱がビジネスとして成り立ちにくくなったなか、今の音楽業界でこう答えられるアイドル歌手、アイドル歌手から始めた歌手はなかなかいないでしょう。