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↓『嫉妬の法則』ビートたけし著、角川書店、2013)より引用(06)


出版とか活字に対してさ、日本人は特別な意識で見過ぎるんだよ。たいしたことないのにさ。
活字になるってことを文化とか教育とかってすぐそっちのほうで考えてさ、必ずタメになるとかって言うでしょ。
「もっとタメになるものなんだから」っていう設定があるからおかしいんじゃない?
ただ人に伝達する方法として、活字を使っているだけなんだから、いいものもあれば、悪いものもある。
それをいいほうばかり取り上げるの、おかしい。


「こういうものを出すから悪い」じゃなくてさ、「こういうものを読むガキを作ったオマエが悪い」んだから。


↑(引用ここまで)
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インターネットがこれほど普及し、識字率がほぼ100%と言っていい現代日本において、いまだに「活字離れ」なんて口にする人の気が知れません。
それはもちろん、紙媒体の出版業界や新聞業界関係者が売り上げを伸ばしたくて吹聴しているだけでしょうし、問題なのは、それに踊らされて「子どもに本を読ませなくては」とか何とか言っちゃっている教育関係者や主婦のほうです。


「マンガはダメ」?
「エロ本はダメ」?
「小説ならいい」?


…その基準も理由もフワッフワしていませんかね(笑)。


「なんか子どもによくなさそうだから」?
「そもそも自分が”嫌い”だから」?
「小説なら”学校のお勉強”っぽいから」?


そんなもん、子どもは興味があったら、親や先生がいくら禁止しても、嫌でもそっちに傾いていきますって(笑)。
それこそ、たけし氏も言う『こういうものを読むガキを作ったオマエが悪い』ということでしょうか。


私個人としては、「子どもに何を買い与えるか」ということよりも、「子どもに買い与えること」自体に大きなリスクがあると思っているので、マンガも、小説も、食べ物も、おもちゃも、基本的に買い与えません。
やっぱり、大人が、大人の稼いだお金で、自分の買いたいものを買う。見たいテレビを見る。聴きたいCDを聴く。子どもはそれに興味があれば乗っからせてもらう。…それでいいんじゃないでしょうか。
変にガキに気を遣ってやっちゃうから、図に乗るんですよ。
適度な「放っておかれている」感を演出してやることも、大切だと思うんです。


福井県では、子どものおもちゃのことを「孫渡し用品」なんて呼ぶ習慣があるらしいです。
つまり、「子ども用玩具なんて、しょせん祖父母の”孫の喜ぶ姿見たさ”を満たす程度のものだ」というくらいの認識があるということです。


店先にあるガチャガチャも、子供向け雑誌も、教育玩具も、子どもや親が興味を惹くようにデザインされているに決まっているじゃないですか。売るために。
ボーっとしていたら、そりゃ買いたくなっちゃうんです(笑)。


だから私は、子どもの要求に対して「必要ない」「そんなものにかけるお金はない」が基本スタンスです。
子どもが店頭のガチャガチャにしがみついても、「ちょっとこっちへ来い」と、ふたりっきりで膝を突き合わせて話したら、2歳児でもけっこう納得するもんですよ。
2回目からは、ガチャガチャの前を通っても、気にはしているようですが、私の手をギュっと握って通り過ぎます。…2歳児なりに我慢しているんですね。
この「我慢」「辛抱強さ」は生きていくうえで、大きな武器になります!
何か買い与えて一時的に喜ばせるより、ずっといいモノを手に入れているように思うのは、私だけでしょうか?


…話が横道に逸れました。「活字」の話でしたね。
ゴシップ記事盛りだくさんの週刊誌やマンガ、もしくはマンガのような入っていきやすいストーリーの小説ばかりを読みふけるおっさんやおばはんを見ればわかるように、やっぱり大人でも、刺激の強い、安易なエンターテインメントに流されているわけですよ。
そいつらが子どもに「本を読みなさい」と言ったところで、何の説得力もないわけです。


「活字離れ」を問題視する人らだって、ヤフーのトップページを開けば、ゴシップ記事やスポーツニュースばかりをクリックしちゃっているんでしょうから、偉そうに教育問題語るなら、他人をどうこう言うよりもまず、自分の「安易さ」から何とかせえよ、と言ってやりたくなります。


ペタしてね

先週、もはや毎年恒例となった職場の先輩ご夫妻にご一緒してのクラシック鑑賞に行ってきました。




今回は「読響サマーフェスティバル」で赤坂のサントリーホールなので、託児サービスはなし。

実家に子どもたちを預けて、開演一時間前に先輩たちと待ち合わせて、アークヒルズの「八十八楽(こめらく)」へ。お茶漬け専門店です、珍しい!

ごはんとお出汁がお替り自由でした。


…今年は「三大協奏曲」をきっちり予習していったので、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲、ドヴォルザークのチェロ協奏曲、チャイコフスキーのピアノ協奏曲、3曲とも楽しめました!


ペタしてね

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↓『いつも心に紳助を』島田紳助著、小池書院、1996)より引用(09)


オリンピックも、好きになれん。
この間(1994年当時)もいろんなことがあったけど、荻原の複合4位にはホッとしたね、ほんま。
そんな思いどおりになってもろたら困るもん。お父さんまで天狗になって。真剣に腹立ってきた。
「私たち家族もうれしいですけれども、金メダルを待っていた国民の皆さんが喜んでいると思います」


おまえの息子、何さまやと思てるねん。自分が飛んだわけでもないのに。
国民が待ってるって、オレは待ってへんぞ、少なくとも。
「皆さんの応援のおかげです」って、お父さん、せめて謙虚になれよ。


↑(引用ここまで)
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いつからでしょう。スポーツ選手やミュージシャン、また取材・報道する側も「国民のみなさんに元気を与えるためにがんばる(がんばってください)」みたいなことを臆面もなく言い出したのは。


3・11震災直後なんて、そんな吐き気のするセリフのオンパレードでした。
「音楽の力でみなさんを元気に云々…」
「スポーツの力で日本を明るく云々…」
恩着せがましいというか、音楽やスポーツを「自分がやりたいから、やっているだけ」と素直に言えない雰囲気を作っているというか。


確かに私も音楽を聴いて元気になることもありますし、サッカーのワールドカップの試合をテレビで観戦するのを楽しみに一日を過ごすことだってあります。


でも、演者の側からそれを言っちゃおしまいでしょ、と思うのです。


「おまえら、みんなこれに興味あるんやろ? 知らなかった奴は今から興味持てよ~」と言わんばかりの誘導的な報道の垂れ流しに、日々抵抗を感じるのは私だけなのでしょうか?


ペタしてね

0歳児の10か月検診に行ってきました。
事前に市役所の保育課からお手紙が届きます。


開始は13:20とありますが、その時間に合わせて行くと、だいぶ待たされた経験があるので、今回は12:00配布の整理券を事前に取りに行きました。


15:00にはその場を出発して、職場の先輩と読響サマーフェスティバル「夏の三大協奏曲」を聴きに行く予定だったので、並ぶのが大嫌いなわたくしですが、13:20スタートを目指しました。


…ところが!
時間通り始まって、受付・身長・体重が終わったところで、新たな告知が。
「医師の診察は14:00からです」と。…なんという効率の悪さ!


いくら早く始まっても、30分以上待たねばならない仕組みのようです。。(ToT)


それでも14:15にはきっちり終わり、クラシックには間に合いましたが、来年の1歳6か月検診にはそのタイムラグ込みで予定を立てたいと思います。

…担当者が奇跡的にこのブログを見てて、改善してくれないかな~?(笑)


ペタしてね

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↓『いつも心に紳助を』島田紳助著、小池書院、1996)より引用(08)


バイクの競争はね、ぼくの場合、勝負してないから。賭けとは違うね。意地になってやってるわけやから。
勝てるわけないねんね、うちが。表彰台の三番までに入ったら意味あるけど、別に六番でも、五十番でも一緒や、という考え方。

もっと違うことを期待して、鈴鹿に行くんです。今年は何があるかなって。
普段生活してるのと確実に違う。
アポロで月に行った人が、みんな宗教家になったでしょ、「神がいた」と。あれに近いものがあるんです。


こんなこと偶然起こらへん! ってことが、毎年起こるんです。
その時にね、鈴鹿には神さんがいる。一生懸命やった人間にだけ、感動さしてくれるなって。
百賭けてるやつには百の感動が、十賭けてるやつには十の感動があるんです。


去年一昨年と、二年続けて残り十二分くらいで転倒したんです。
なんか八時間も走って、あと十分くらい行きそうなもんやけど、偶然とは思わへんかったです。


去年なんか、
「プライベート・チームでトップ走るねん。で、残り五分か十分で転倒。これがベストや」
って言うたら、その通りになってね。みんなに「わざと違うか」って言われてんけど。
でもみんな、ぼくが言うてること、冗談やないって、どっかで思ってるんです。それがベストや、と。


こけなかったら、プライベートで一番になってたんです。そしたら来年、することなくなる。コケてよかった。結構、そんなんで泣けるんですよ。


コケた、ということだけじゃなくて、また違うことで感動するんです。
去年の転倒きつかったら、メガニックがもう、夢中でやるんです。罵声を飛ばしながら。
それを見てたらね。彼らのエネルギーと本気さに、途中で諦めようとはとても言えなかった。


残り数秒でコースに戻れたんです。それはもう、メカニックの、プロとしての誇りを見ましたよね。
そこにまた、ぼくら他の者は目頭熱くなってくるんですよ。


毎年、新しい感動が、鈴鹿にはあるんです。
競馬場や、パチンコ屋には、神さまはいません。


↑(引用ここまで)
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…『競馬場や、パチンコ屋には、神さまはいません』。


とっつきやすいもの、軽薄なものには感動はない(少ない)。
それは、その通りだと思います。


逆に言えば、「負荷」が大きいものには感動ある(多い)、ということです。


「学問」や「芸術」「体育」なんて、その最たるものですよね。
勉強嫌いの子どもが、嫌々ながらも宿題の調べ学習なんかをやっていたら、調べているうちに面白くなってきたり。
フルマラソンや富士登山に挑戦してみたら、普段の生活では得られない「感動」があったり。
学生の「部活動」なんかもそう。
即興的なテレビやゲームなんかでは味わえない、じわっとした「手ごたえ」というか「感動」が、「負荷」が大きかったぶんだけ得られるというのは想像に難くありませんよね。


…とはいえ、かくいう私だってテレビは見ますし、ゲームもやります。
ご多分にもれず、他人の作ったエンターテインメントに埋もれて生活しています。


でも、ふと思うのです。
私は何を求めて人生を送っているのかと。
今ここに、紳助氏の言う「神さま(感動)」はいるのかと。


私の父は、「結婚なんかしてもしなくてもいい。ただ、結婚したらしただけの”負荷”と”おもしろさ”がある」「育児なんかしてもしなくてもいい。ただ、育児でしか味わえない”負荷”と”おもしろさ”がある」とよく話してくれていました。


「結婚・育児をすべき(してほしい)」「孫の顔が見たい」なんて先入観を一切押し付けない父の度量に感服しながらも、私自身の人生の「負荷」と「感動」がいかほどのものだったか振り返らずにはいられませんでした。


そんな「負荷」との付き合い方が、その人の「生きざま」になると言っても過言ではないかもしれません。


ペタしてね

今年は8月1日に届きました。




昨年が6月30日だったので、1カ月くらい遅くなったということになります。




…それだけに、糖度が高めで美味しくいただけます!


今年は、職場ぶんもあわせて2kgを3箱、送料込みで21,420円でした。


ペタしてね

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↓『嫉妬の法則』ビートたけし著、角川書店、2013)より引用(05)


結婚なんてしないほうがいい。
誰かとエッチをしてって、その誰かも探さなきゃなんないじゃない。それならば、AVのほうが良かったりしてね。
「結婚するならオナニーのほうがいい」って言ったら、結婚イコールセックスそのままの感覚でいるのも変でしょう。


あいかわらず結納なんてあるんだろ。支度金みたいなの持っていくんでしょう。
それっていかにも買ってるみたいだよね。
その金で「家具をそろえろ」って言うんだろ。
まだしきたりとして残ってるけど、そういう面倒くさいことに気がついてきたヤツは、もうやんないよね。


「女がどこにもいかないように、自分の支配下に置こうとする男」がいて、「最後まで男にたかってやろうとする女」がいれば、結婚制度はいつまでも残るよ。
両方とも現実にはいるんだから。


↑(引用ここまで)
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たけし氏曰く『それっていかにも買ってるみたいだよね』…まさに「結婚 = 男がセックスつき家政婦を雇う」ですよね!


男は男で、「こいつは俺の女だ」と「所有」しようと欲し、女は女で、「家庭に入りたい」と「所有され」ようと欲する。
…もういいかげん、こんな「幻想」「過去の遺物」に振り回されるのやめませんか?


わかりますよ。
「こいつ、俺の彼女だよ」と友だちに紹介する延長線上に、「結婚」があるんでしょう?
「私、今この人の彼女なの」と友だちに紹介する延長線上に、「結婚」があるんでしょう?
その根本は、「所有する」「所有される」という、いわば「ごっこ遊び」なわけです。


こんなこと、口に出すのも憚られるのですが…本来、人間は個人として勝手に生き、死んでいく存在であって、それこそ「奴隷」じゃないんですから、誰か他の人間を「所有」したり、「所有」されたりするなんてのは、おかしな話です。
確かに、「こいつは俺の女」「私は彼だけのもの」と「ロールプレイング(役割遊び)」する快感は私も嫌いじゃありませんが、そんな「ごっこ遊び」を、「共同生活」や「育児」に持ち込むなよ、と言いたいのです。


「共同生活」や「育児」は、この場で幾度となく言わせていただいているとおり、別にやってもやらなくてもいい「人生の負荷」です。
「自分のことは自分で面倒を見たうえで、他人にも献身的に過ごしたい」「日常的な”気配り”という苦労と充実感を楽しみたい」という、テメエ自身のことくらい自分で面倒が見れて、なおかつ精神的にも経済的にも余裕がある「オトナ」だけが参加できる、いわば「大人の嗜(たしな)み」です。


問題なのは、「おまえはずっと俺のことだけ見ていろ」「あなたも、ずっと私のことだけ好きでいてね」という「ごっこ遊び」、すなわち「恋愛」は、自分のことでいっぱいいっぱいな「コドモ」でも、お金がなくてもできちゃうところです。それこそ、小学生でも。


精神的にも「奉仕の心」なんてまるでない「ガキ」で、経済的にも余裕がないのに、「人生の負荷」なんて楽しめるわけがありませんよね。
だから、自分から「人生の負荷」に飛び込んだ自覚もない、大人の顔をした「ガキ」どもが選ぶ道といえば、前例踏襲、「男は仕事、女は家事・育児」という「過去の遺物」スタイルばかりになっていると思うのです。
自分たちで独自のスタイルを思考錯誤しようとしない、その能力がない、そもそもそんな発想すらない、のですから、「思考停止」と評されて然るべきですよね。
…まあ、まれに「主人的」な男(女)と「奴隷(奉仕)的な」女(男)の組み合わせで、「一方は仕事、他方は家事・育児」というスタイルがぴったりな場合もそりゃあるでしょうけど。。


そんなわけで、「私、結婚できないかも」とか「あんな人でも結婚できたんだから…」とか言えてしまう風潮に、私はとても違和感を感じます。
いやいや、「既婚者です」「子どもがいます」と、いっぱしの大人みたいな顔をしている奴らのほとんどが、頭のフタを開けてみたら、精神的にも経済的にも「ガキ」のまま「ゴールイン(笑)」しているんとちゃいますか、と。
「結婚していること」「子どもを持つこと」が、男にとっても女にとっても、ある一定の社会的ステータスみたいに思われがちですが、そいつらに「奉仕の精神」と「精神的・経済的ゆとり」があるかどうかは別問題ですよ、と。
むしろ、「見た目は大人、中身はサル以下」みたいなおっさん、おばはんの方が多いんとちゃいますか、と。
…言い過ぎですかね(笑)。


これだけ言い切るからには、私も「サル以下」なんて評されないよう、周囲や子どもたちに背中を見せて歩かなければなりませんが、街ゆく人の子どもへの関わり方や、夫婦関係なんかを眺めていると、どうにも「見た目は大人、中身はサル以下」な人が大量に存在している気がしてならないのです。


ペタしてね

先日T君の職場まで大勢で押しかけた後、結局深夜4時すぎまでドボン大会をすることに。。



仮眠後、近所のロッテリアまで「ポテト食べ放題」に挑戦することに。

クーポン等を使用しないセットか、ポテト単品270円で参加できます。




おかわりは、レシートと一杯めのパックをレジへ持って行けば、専用バスケットにすぐに入れてくれます。

おかわり開始時間より、60分!


結果

S君:5人前 わたくし:5人前 T君:3人前


もう~しばらくポテトはいらないです(^_^;)


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↓『いつも心に紳助を』島田紳助著、小池書院、1996)より引用(07)


スポーツ選手とか、芸能人なんか、遊んでそうなのに、危ない女にひっかかったりしますよね。


危ない女。わかりますよ、あれは。ひっかかるほうが、アホやねん。
ぼくら絶対、危険やと思ったら近づかへんもん。ずっといろんな女のコと付き合ってきたけど、そういうトラブルは一切ないですね。


この間も、そういう女のコに「好きなんです」とか言われて。まあ、きれない女のコやったけど。横におったぼくの友達が、言うてくれた。
「紳助はアカンで。こいつ、昔から、自分で危険やと思った女には近よらへんから。君、危険やから、アカンわ」


危ない女のどこに気をつけるのか、と言われたら困んねんけど。まあ、おいしい話には気をつけろ、ということです。


会っていきなり、そんな話、来るわけないやんか。「好きなんです」。なんでやねん。
なんで、好きになんねん。だって、自分に置き換えたらよくわかるでしょう。
酒の席でね、きれいなコがいた。飲みながら、かわいいなァ、好きやワ、って言うでしょ。
いかにいい加減な「好き」か、ね。


↑(引用ここまで)
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『だって、自分に置き換えたらよくわかるでしょう。…いかにいい加減な「好き」か、ね』。


本当に紳助氏は、わかりやすくしゃべりますよね(笑)。
そりゃあ、冷静になって考えてみれば、「そんなうまい話が、あちこち転がっているわけがない」んです。
こちらにとって都合のいい話、おいしい話は、どこか軽薄だったり、どこかに歪みがあったり、ただのビジネスだったりするものですよね。


自分のことをあまり知らないはずの異性が、いきなり「好きです」「隣に座っていいですか」。
…どこかヘンです(笑)。
そこには「軽薄さ」だったり、「失恋に傷心中でやけになっている(優しくしてもらいたがっている)」だけだったりが、見え隠れしています。


一杯280円の牛丼。
確かに安くて美味しいですが、ゴールデンタイムにテレビCMをバンバン流して、そんな値段でやっていけるのは普通じゃないです。どこかで、絶対に無理をしている。そして、必要以上に金を払わされている人が多くいるんです。


占い、パチンコ、競馬、生命保険など、「あなたの人生のために」「あなたを楽しませるために」みたいな顔をしてやがりますが、全部ビジネスとして成り立っているわけです。当たり前の話ですが。
本当に「あなたのため」なわけ、ないんです(笑)。


もし、自分が美人で、失恋直後「ちょっといいかも」と思った男がいたら、どう話しかけるか。
自社商品を買ってもらうなら、どう値段設定するか。買ってもらいたい人に、どう話しかけるか。
ちょっと想像すれば、わかりそうなもんですよね。


「おいしい話に乗っかってはいけないよ」というありがちな話ではあるのですが、みなさんわかったような顔をして、結構ひっかかってらっしゃると感じ、今回こう書きました。
ケータイのアプリやゲームのテレビCMが昼夜流されていることに「異常さ」を感じているのは、私だけでしょうか?


ペタしてね

プール無料チケットは2日目でも終日有効なので、朝食を昼食に振り替えて、ゆっくり起きることにしました。




中華料理「Taikan En」です。どうやら、昼食振り替え用のメニューがあるみたいです。




前菜もちゃんとつけてくれます。




高級中華の片鱗を見せていただきました。


…それにしても、ランチタイムにはサラリーマン風のお客さんもたくさんいて、客単価4~5千円のランチを日常的に食べられる職種って?? …なあ~んてちょっとビビりました(^_^;)。。


ペタしてね