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↓『いつも心に紳助を』島田紳助著、小池書院、1996)より引用(13)


反対に、女の子はどんどん、女本来の姿に戻っていってるね。
ジュリアナのお立ち台の姿はそうでしょう(1994年当時)。いっぺん、行ってみたかったけど、行ったら恥ずかしいやないですか、じっと見てしまうもん。


あれがまさに女の本当の姿やね。見られることが楽しいんでしょう。
おしゃれして道歩くことの延長線上にあれがあるんですよ。
優越感に浸って、あんな楽しいもんはないと思てるでしょうね。


でもあれ、台の上、っていうのがいいんですよ、きっと。
穴の中で男が見下ろしてたら、女は踊らへんよ。台の上っていうのが、優越感でしょう。
いつもスニーカー履いてる人が、ブーツ履いて目線が変わったり、トラック運転してたら下の車みんな轢いたろかと思う、あれと多分同じ。


だから、われわれ、行かずに「あほちゃうか」と思てるけど、行ってあれを見た瞬間、上から「あほちゃうか」と思われるんです。


↑(引用ここまで)
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今日は、私の女性に対するコンプレックスを告白します(笑)。


私は、人生わかったような顔をしている小娘に「あほちゃうか」と思わせるのが、本当にイヤなんです。


そりゃあ、オスだったら誰でも、若いメスを見たら発情しますよ。肌を露出していたら、そりゃ見ますよ、胸や足を。


でも、電車の中で若い女の子が通るたびにそれを目で追ってしまうおっさんを見て、「自分はこうなりたくないな」「男は女をジロジロ見るしょうもない生き物、って思わせたくないな」とも正直思うのです。
いい歳して若い女の子をジロジロ見るおっさんの仲間になりたくないな、って。


だから、アホみたいな話ですが、道すがら若い女の子がいると、意識的に見ないようにしてますもん。


ちっぽけなプライドの話かもしれませんが、男が自分の「オス」の部分と、女が自分の「メス」の部分とどう付き合っているかにも、その人の「生きざま」が見えるように思うのです。


…紳助氏の言うように、小娘に「あほちゃうか」と見下されるのがイヤなだけなんですけどね(笑)。

ペタしてね

夏休み4日目はプールに行く予定でしたが、あいにくの雨。。

予定を変更して、屋内でも遊べる水族館でも行こうと、急遽「エプソン品川アクアスタジアム」へ。


まずは当日朝に、近所のコンビニの端末でチケットを購入。ひとり200円引きです。

そこから車でのんびり出かけます。



写真は水族館入り口すぐのレストラン。お魚を眺めながら食事ができます。…料理のクオリティの割にはちょっと割高かも。




肉や魚のプレートも。




オムライスなんかも。


イルカのショーとアシカのショーが1時間おきに交互にあって、特にイルカのショーはお客さんを本気でびちょびちょにして楽しんでもらおう、という遊び心が満載でした。


…正直、水族館自体は見るものが少ないレベルですが、屋内ではかなりの広さのイルカショープールは、雨の日には悪くないと思いました!


ペタしてね

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↓『嫉妬の法則』ビートたけし著、角川書店、2013)より引用(07)


全然今の親の人の感覚が分かんない。
おいら、子供大好きだけど、子供との付き合いは勝負だと思ってるから。一生戦いだと思ってるからね。
手つなぐ時は、くたばるちょっと前くらいだろうね。そうじゃないと、とても子供なんかについていけない。


その子供だって、大人になったら自分の子供と対決するわけだから、一応はおやじと息子っていうのは絆はあるけど。
相当覚悟しなくちゃさ、ファミリーって感覚でやってたらおかしくなっちゃうぜ。


↑(引用ここまで)
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…『子供との付き合いは勝負だと思ってるから』。
いい言葉です。


私は、いつからだったか、父に「子どもは3歳までが勝負だ。それまでに”分を弁(わきま)える”ことができるよう仕込んでやらないと、とても不幸なことになる」と教えられていた気がします。


子どもは、家族の「尻尾」、おまけの存在である。
大人は大人どうしの人間関係がすでにあって、子どもが話題の中心になることなんて、めったにない。
子どもが何か要求するとき、「信用」という背景と、「説得力」という技術がないと、大人には聞いてもらえない。


…こんなことが、「あたりまえのこと」として、刷り込まれていた気がします。
子どもは、「自分の思い通りにならない」ことがあたりまえ。「自分の思い通りにならない」ことをいちいちストレスに感じるように育ってしまった子どもは、とても不幸である、とも。


私も、2歳くらいのときにスーパーかどこかで「あれ買って!」とご多分にもれず泣き叫んだことがあったそうです。
そのときの父親は、「置いて行くからな」と言い残して、泣き叫ぶ私を置いて、本当に店を出て行ったのです。
後で聞くと、陰に隠れて様子を見ていたそうなのですが、「これは本気だ。まずいぞ」と思った私は、さっさと泣きやみ、親を探しに店を出たらしいのです。
それ以降、私が買い物について行って「あれ買って」と言うことはなくなったそうです。
…「買ってもらえない、自分の要求が通らないのがあたりまえ」が刷り込まれた瞬間ですね(笑)。


こんなふうに、子どもに「買ってもらえないのがあたりまえ」「自分の思い通りにならないのがあたりまえ」「自分が話題の中心でなくてあたりまえ」であることを受け入れられるよう、日々「勝負」している親や教師が、いったいどれだけいるでしょうか?


買ってあげて黙らせるのは簡単です。
言うことを聞いてあげてご機嫌を取るのは簡単です。
外に連れ出して、泣きやませて、泣きやんだら言って聞かせて、いちいち膝を突き合わせて「勝負」するのは、時間も労力もかかります。
逆に、泣きわめくのをあえて放っておいたり、転んだり頭を打ったりしてもすぐに駆け寄らず自力で立ち上がるのを待ったり、テレビやDVDも大人が観たいものを観て子どもに擦り寄らないようにしたり、子どもに構ってあげすぎないよう演出するのも、けっこう気を遣います。


でも、私の父も言うように、「なんで買ってくれないの!?」と、買ってもらえないことにいちいちストレスを感じる子どもが、はたして幸せでしょうか? 今日もご飯を食べさせてもらえることに感謝する人間に育つでしょうか?
「なんで私の言うことを聞いてくれないの?」と、自分の思い通りにならないことにいちいちストレスを感じる子どもが、はたして幸せでしょうか?
自分が転んだら、大人の方からすぐに駆け寄ってくれることが「あたりまえ」と思って育った子どもが、ひとり社会へ出て、自分から愛想を振りまいて、周囲の大人たちにかわいがってもらえる人間になるでしょうか?


子どもは子どもで自分の要求を通そうと、自分に注目させようと、泣いたり叫んだり、わざと怒られるような「罰を請う行動」をして大人を試したり、いろいろ試行錯誤してきやがります。姿かたちが「ちっちゃくて、かわいらしい」と大人に感じさせることすら、そのひとつなのかもしれません(笑)。
ガキのそんな要求を、私たち大人それぞれの基準で、聞いてやったり、聞いてやらなかったりする。その「基準」は、大人によって違っていいと思うんです。一貫性があれば。
「あのオヤジの前では静かにしないと叱られるぞ」みたいな頑固オヤジが近所にいたっていいですよね。一貫性のある「理不尽」ですから。子どもは大人の顔色を伺いながら、その中でのびのびやればいいんです。


…みなさん、目先の「不快」、ガキの「泣いたり叫んだり」に構いすぎなんですよ。もっと「知らんぷり」しなきゃ。もっと「興味がないふり」しなきゃ。度が過ぎたら、時間がなくても、外に引っ張り出して一対一で「勝負」しなきゃ。


家賃や光熱費も払えないガキにスマホやゲーム機を買い与え、黙らせるために出先でもそれらをいじらせておく親なんて、みんなガキとの「勝負」の敗北者、「育児放棄者」と言って差支えない、とそう思います。


ペタしてね

夏休み3日目は、ゆっくり起きて、マクドナルドのモーニングメニューをお持ち帰り。




「ビッグブレックファスト」ドリンクMつき(ケータイクーポン使用)で449円。

「ソーセージエッグマフィン」をバラバラにした感じ。…あ、最後まで袋の中に入っていて忘れていましたが、「ハッシュポテト」もついてます。




あったか~い「ホットケーキ」も魅力的です。




バターとメープルシロップをたっぷりつけていただきます!


…また例によって、午後からはひとりっきりなので、炊事、洗濯、掃除、そしてドラクエ三昧です(^_^)。


ペタしてね

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↓『いつも心に紳助を』島田紳助著、小池書院、1996)より引用(12)


ある日、台風が来て。ものすごく寒かったんです。眠れないんですよ、バンガローでは寒くて。
そしたら、「みきや」っていう海の家のおじさんが、いい人でね。
うちへ泊まれ、って。民宿もしてはったんです。
「いや、ぼくらお金ないんです」
って言うたら、
「一泊五十円でええ」
って。おじさん将棋がすきやったから、せめて将棋できるヤツを犠牲にしてすーっと、付き合わせてました。


こんなこともありました。別の年の台風で、木の桟橋が波に洗われて飛んで行って。
そんな中で、ぼくたちは泳いでたんですよ。危ないって言われてたのに、ヤンキーやから、うれしくってしゃあないんです。
そのとき、桟橋の切れ端がバーッと飛んで来て、五寸釘みたいなのが友達の足に刺さった。
足は血だらけで、そしたら、今度は、「みきや」の息子さんが、そいつをスクーターで病院に連れていってくれはってね。すっごい世話になりましたわ。


今から五、六年前にたまたま近くへ行ったら、その海の家がまだあって。ぶらっと立ち寄ったら、息子さんがいたはったんです。
「あー、どうも!」
って言わはったから、覚えててくれはったのかな、と思ったら、どうもタレント・島田紳助への挨拶やったみたいで。
それで、こうこうやった、と説明したら、なんか全然、覚えてはらへんのですよ。
台風の中、友達を病院運んでくれはったやないですか、と言うても全然。大きいことやのに。
おまけに、五十円で泊めてくれはったことも忘れてはる。


そのとき初めて、ああッと感動しましたね。
この人らは”あのとき”やさしかったんじゃなくて、”ずーっと”やさしかったんやと。


↑(引用ここまで)
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みなさんは、「優しさ」「優しい人」を、どんなふうに捉えていますか?


私は、一般に「優しい」と評されることを、「あたりまえのレベルが高い」と言うことにしています。
それは、紳助氏が出会った「みきや」のご主人たちがそうであったように、本当に「優しい」人は、自分の行為を「優しさ」だなんて自覚してないと私が実感しているからです。

困っている人を見かけたら、五十円でも泊めてやる。ケガをしている人を見かけたら、病院に連れて行ってやる。
それが、その人の「あたりまえ」なんです。


電車でお年寄りや妊婦(と思われる女性)を見かけたら、黙って立つ。昇りエスカレーターでは連れを先に行かせる。
それが、その人の「あたりまえ」なんです。


それは、「優しさ」なんていうフワフワした性格的なものなんかではなく、その人の行動レベルの高さ、「能力」みたいなものだと思うのです。
もし、「能力」が低い人(いわゆる「優しくない」人)がいたら、その人は、他人の振り見て自分の「能力」を高めようとしてこなかっただけなんです。
次の人のためにドアを押さえておく人を見て、「あ、これから自分もそうしよ!」と向上心を持って生きてこなかっただけなんです。


だから、よく女性なんかに「タイプの男性は?」と聞いて「えー、やっぱり優しい人が好きかなあ?」なんて答える輩がいたりすると、いつもツッコミを入れたくなるのです。
「おまえ自身の”能力”はどうやねん!?」「他人の”能力”に乗っかりたいだけなんちゃうか!?」と。


「優しさ」を求める女性の多くは、得てして本人が「優しくない」、とリリー・フランキー氏は言い放っていました(笑)。
私もまだまだ、無自覚で「優しい」行為ができるレベルには達していませんが、今回の「みきや」のご主人たちのような話を聞いて、「自分もそうありたい」と向上心を奮い立たせるのでした。。


ペタしてね

夏休み2日目は、「ロイヤルホスト」でモーニングを。




「ロイヤルモーニング」ドリンクバーつきで680円。+86円でトーストをイングリッシュマフィンやベーグルに変えられます。

スクランブルエッグにスモークサーモンが混ざっていて、ちょっとサーモン感が強いかも。




「エッグベネディクト」ドリンクバーなしで648円。これは美味しい!

玉子と混ざっていないから、スモークサーモンとサワークリームもイングリッシュマフィンにぴったり合うし(写真右)、ポーチドエッグとほうれん草が、チーズソースにベストマッチです(写真左)。


昼からはひとりなので、アイスコーヒー片手に、気ままにドラクエ10です。


つづく。


ペタしてね

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↓『いつも心に紳助を』島田紳助著、小池書院、1996)より引用(11)


嫁さんともいろいろ話したんですよ。テレビの島田紳助に必要なキャラクターとしての、その色っぽい部分の葛藤について。
そういうこと、もうやめようかな、どうでもいいなあ、という気にもなって。きついなあ、って。
結構本質はマジメなほうやし。もう、普通でエエかな、と。


だけどそれは、野球選手で言うたら、決め球の一球、たとえばフォークボールはもう投げない、って決めることなんですよ。
芸の幅を狭める、ってことです。
芸能人やってる限り、それはありえないですよね。


「ぼくは家族が一番大事で、彼女作るなんて考えられません」
と言いながら、トーク番組で、
「不倫してるんですか?」
って人に聞いても、誰がホントのこと言います?


いようが、いまいが、「彼女おんねん」と言い続けないとね、やっぱり。


↑(引用ここまで)
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真面目な言動、真面目な格好を地道に続けることは、大切なことだと思います。誰に対しても失礼のないように、信用を積み重ねることですから。
ただ、立ち振る舞いの選択肢がそれしかない人間は、『芸の幅を狭め』ている、とも思うのです。
…私は別に芸人ではないですけど(笑)。


私がもし、この場で毎週話しているような四角四面なことばかり口にして生真面目に生活していたら、下世話な下ネタや、くだらない失敗談なんかを、私に誰も話してこないでしょう。
「この人、冗談通じないんじゃないかしら」「こんなくだらないミス、”それでも大人か”とか怒られそう」って。


本当に冗談が通じるか以前に、「冗談が通じそうか」「ふざけた一面もある」という雰囲気や物腰を持っていることって、意外に大事なことだと思うんです。


ある種の「不真面目さ」を日ごろから演出することは、その人のトークの幅、説得力、人付き合いの幅を広げると、心底思うのです。


ペタしてね

夏休みをいただいたといっても、ホテルニューオータニのプールも行ったし、花火大会にも行ったしで、改めて何か…というのも特に思い浮かばず、、




とりあえず、ゆっくり起きて、11:00までのモーニングサービスを狙って「コメダ珈琲」へ。

今回は余計なものを頼まず、サービスのトーストとゆで卵を食します。




子どもがうまい具合に昼寝してくれそうだったので、今度は14:00のランチラストオーダー前を狙って「焼肉やまと」へ。

定番の「カルビ焼きランチ」1,380円。…さすがはA5ランクのお肉! 焼き方はもちろん、8対2で。

肉の柔らかさを殺さない、「ほぼ片面焼き」が基本です。…すぐにひっくり返さない!



そのまま実家に子どもを預けさせてもらって、なんとなく実家近くの映画館へ。

「るろうに剣心」が満席のため、「ホットロード」を。

…暴走族のトップと付き合う話なのですが、前半はまあ楽しめた一方、後半の失速感がひどかったです。。(ToT)失敗!

となりの茶髪の女の子は号泣してましたけど(笑)。


夏休み初日はこれでおしまいです。つづく。


ペタしてね

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↓『いつも心に紳助を』島田紳助著、小池書院、1996)より引用(10)


最近うちの仲間がエア・ガンに凝ってるんですよ。迷彩服着てね。ぼくもだいぶ撃たれましたよ。
もうすぐできる能勢の家で、サバイバル・ゲームをやってるんです。あくまでもゲーム。遊びです。
迷彩服を着たら、戦争をやろうという方向なんじゃないか、戦争の恐ろしさを知らないんじゃないかと怒る人がいますよね。


でも、ぼくは思うんですけど、あれを着てみると、戦争に対してちょっとは考えますよ。
だって、ゲームをしていて、弾が当たった瞬間、これでオレはほんまやったら死んでんねんな、と思うもの。


それよりも、戦争映画を見てカッコええなと思ってる方が、危険やと思いますよ。
戦争映画って、いつも自分が主人公でしょう。
最後まで生き残ったヤツに自分を当てはめていくじゃないですか。
バッバッとゴミのように殺られていくヤツには、自分を当てはめないでしょう。


ああいうのが危険やね。サバイバル・ゲームをすると、自分に当たる。ほんまに当たったら、死んでるわけです。
それが事実でしょう。おもしろいですよ、あれは。


↑(引用ここまで)
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「戦争」や「死」について、どれだけ分別があるか。理解しているか。


こうして机上で考えたり、ネットや文献にあたるより、紳助氏のように一発サバイバル・ゲームを体験した方が、ずっと「戦争」や「死」を身近に感じられるかも知れません。


そういう意味で昨今の日本は、「一歩間違ったら死ぬかもしれない。大ケガするかもしれない」みたいなことを、事前に禁止しすぎだと思うのです。
育児でも、政治でも、「何かあったらどうするんだ!」を言い過ぎなんですよ。


事前に親が危険を取り除いてあげるより、失敗させて、子どもに痛い思いをさせて学ばせた方が、納得して工夫しようとするじゃないですか。


日米安保を撤廃して、米軍基地が日本から無くなったら、北朝鮮がミサイルを撃ってくる? …それなら丸腰で撃たれようじゃありませんか(笑)。
まあ、ミサイルもタダじゃない(というかべらぼうに高い)ので、軍事基地の無くなった日本にミサイルを撃ってくるはずがないとは思いますが。。


街中での自動車レースを許容するモナコの人たちから見たら、きっと、日本は考えられないくらい「何かあったらどうするんだ!」と言う人ばかりの国に見えていることでしょうね。


「事前に危険を防ぐこと」は確かに大切なことですが、「”戦争”や”死”に分別のある国民土壌が育ちにくい」というデメリットを理解して取り組めている人の少なさを思うと、どうにも不安が拭えないのです。
…私もあなたも、戦時中の人たちに比べれば確実に、「死」「危険」を身近に感じないで生活しているでしょうから!


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