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昨日、TW先生に会ったとき、「そういえばCVには会っていないのか?」と聞かれた。この人はイギリスと日本でインタビュー調査をして、『死別の物語』(英語)という本をちょっと前に出した人で、僕の出身校の研究室にいたそうである。急きょ、TW先生が電話をし、バース大学で会うことになった。

1時間くらいの面会だったが、主に葬送と死生観の問題について語り合った。というのも、僕はちょっと前に、日本における葬送の研究書のレビューをしたばかりだったので、この辺についての知識があったからである。

僕はあくまで「スピリチュアル」の領域から見ているので、その領域で死者への恐怖が薄れ、死者を供養するよりも、死者からのメッセージを聞いて悲しみを癒して前向きに生きようとする姿勢が強くなっていることに関心がある。

この点について、CVさんは日本でもイギリスでも、死者への恐怖はまだあると指摘した。死者の声を聞いたという体験と、そのときの恐怖の感情をイギリスのインタビュイーが話してくれたそうである。たしかに声を聞いたら恐いだろう。だからこそ、明るさが強調されているのかも。そして、CVさんは「どちらでも死者にはアンビヴァレンツな感情が見られる」、と教えてくれた。

また、死に関する儀礼の私事化、死別の出来事の心理化ということを僕は感じていて、いずれ書きたいと思っている。この指摘については、CVさんはそんなの当たり前という感じで、うなずくばかりだった。こういう風に、同じようなことに関心がある研究者と話していると、自分がもしかしてちょっとした発見かなと思っていることが、常識的に共有されるので、ちょっと残念だが、また励まされもする。色々と、イギリスとの状況に関する本についても教わった。

この人も、かなりワーカホリックな感じがする。1時間もすると、時計を気にし出し、そろそろ帰ってほしそうなジェスチャーをした。

別れてから、記憶の片隅をほじくったのだが、たしかに母校の研究室に所用で立ち寄ったときに、2回くらい見たことがあるような気がする、と思った。

いつも研究室の片隅で、コーヒーを飲みながら、コンピュータに集中して猛烈に書きまくっている英国人がいたような気がする。あれは、本を書いていたのだろう。もしかして別人かもしれないが。

その後、世界遺産にもなっているローマン・バスへ行った。ローマ人が作った大公衆浴場である。風呂(バス)の語源でもある。しかし、娯楽施設ではない。天然の温泉なので、神の仕業と考えられ、女神崇拝の神殿もあった。いわば宗教と癒しの施設である。

以下、今日とった写真をアップ。

朝ご飯
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バース大学へ向かう2連のバス(実はこれはバース・スパ大学行きで危うく間違うところだった)
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パートニー橋の下にあるエーヴォン川
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スリス・ミネルヴァの女神。スリスはケルトの女神、ミネルヴァはローマ人の女神。習合の例。
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浴場
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女神を讃える神官らしき人
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疲れを癒す旅人
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バース修道院
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今日は、表題のごとく、3人の研究者と会った。

ところで、話に入る前に、会った研究者の名前は匿名にすることをお断りしておく。

実は旅行前に、ある会合でブログをやると話をしたときに、

「よく、会ったあと勝手にブログで実名であれこれ書くやつがいるんだけれど、あれはいやだよね」

という声を聞いたからである。

まずお昼にO大学のMB先生に会った。この先生は、イギリスのニューエイジ研究者の中でも代表的と言ってよい人である。とても陽気で楽しい人だが、色々勉強になった。あまりにも色々なことを話したので、紹介できないが、昨日行ったスピリチュアリズム教会について、

「スピリチュアリズムはフォークなキリスト教だ」

と言われて、なるほどそういう位置づけなのかとためになった。

もう一つ印象に残っているのは、ニューエイジの男女比である。

「全体としては男女のバランスはとれている。しかし、たとえばタロットをやるなどテクニックを要するもの、何かメカニズムがともなうもの、オカルトは男性が多く、ヒーリングなどは女性が多い」

とのことだった。日本では、すぴま(旧すぴこん)や癒しフェアなどは女性のほうが多い。僕の調査では女性は男性の4倍である。しかし、オカルトや秘教的なものになると男性のほうが多くなる。

MB先生はグラストンベリーの専門家でもあるので、グラストンベリーの話については盛り上がったが、細かいことなので省く。

話をしていて、この旅を通じて見聞きしたことも含めて総合して考えたのが、「本来は伝統的なものでも、輸入されたものは、ニューエイジのものになる」ということである。ヨーロッパでの仏教はその最たるものであろう。本来は伝統的であるが、ニューエイジショップに本が置かれるようになるのである。

「組織ではなく、本を通じてやってくるものは、とくにニューエイジ市場のものになる」
これは逆に、日本でのスピリチュアリズムの受容について言える。日本ではスピリチュアリズムはイギリスが盛んだと考えられている。そこでは、宗教ではなく、宗教を超えた科学的探求として、また個人的スピリチュアリティの一環として受け止められている。組織も、二つくらいあるが、大きい展開はない。しかし、イギリスでは、一つの都市に複数のスピリチュアリズム教会があり、全国組織もあり、キリスト教会を補完する民俗宗教的実践として位置づけられているのである。

その後、バース修道院をのぞいてから、いったん宿に戻って、夕方は輪廻転生について共同執筆で論文をいくつか書いているHW先生とTW先生に会った。TW先生のお宅で夕食をいただいたのだが、もはやベジタリアンは前提である。

両先生はとにかく熱い方で、終始こちらから情報を引き出して、日英の比較の話に持ち込まれた。やはりスピリチュアリズムの話になったのだが、位置づけは非常に難しいという結論だった。少なくとも、チャーチ、セクト、デノミネーション、カルトの図式には当てはまらない。キリスト教はキリスト教であって、それを信仰している人たちが、民間の霊媒を尋ねるというのが発展したものではないかということだった。

ちなみに、とても色々なことを知っていて、知的にとても信頼できる先生たちだが、シルバーバーチについては、「聞いたことがない」という反応をした。これはアマゾンなどでシルバーバーチの本を検索しても日本で出版されている翻訳の原書の多くは絶版になっていて、別の編集本が出ていることから何となく分かっていた。

しかし、スピリチュアリズム教会では、インディアンの写真らしきものが飾ってあったし、とにかく木曜日にしっかり聞いてこよう。

今日は、色々話したのだが、日本の状況について僕のほうから色々説明することがけっこう多かった。

実は会う前にこれらの先生の論文のコピーをわざわざ持って行って、もちろん事前に読んでいて、予習をばっちりやっているのだが、そういう話になることはなかった。

TW先生はその点、僕の事前のメールをプリントアウトして、蛍光ペンでアンダーラインを引いて、質問することを用意していて、質問攻めだった。そういうのはしないほうがいいのかなと思い込んでいたのだが、見習うことにする。せっかく予習しているのだから。

とにかく、TW先生の真剣な姿勢には実に圧倒された。これまでの仕事も、死の社会的位置付けの問題など、比較文化的な視点もある、とてもシャープで切れる、理論的にも野心的な論文や著作を多数書かれており、日本でも読まれるべきだと思う。

が、ここでは匿名としておく。名前を知りたい人は僕に直接連絡してほしい。

昼間のMB先生との話でも出たのが、ニューエイジの政治性についての話である。3人の先生たちとの会話を総合すると、イギリスやヨーロッパでは、ニューエイジはカウンターカルチャーで、環境保護とも関わりがあり(実践はともかく、という話も出たが)、保守というよりはラディカルよりである。

しかし、日本ではどう考えても保守よりである。それは、神道的スピリチュアリティを説く人が、やんわりと文化ナショナリズム的になること、消費主義的であり、自覚はなくても新自由主義に親和的であることなどが、その理由である。イギリスのペイガンはその点、ちょっと複雑である。「伝統の発明」であることは間違いないのだが、イギリスの主流はあくまでキリスト教であり、それに対するアンチという対抗的位置に置かれる。したがって、「保守」にはならないのである。

夕食のときにTW先生から「アイヌへの関心はニューエイジャーの中にはないのか」という質問が出された。私の感覚では、はっきり言ってない。どちらかというと人権運動の枠で語られ、そうなるとニューエイジャーは途端に敬遠するのである。こうしてみると、イギリス人にとってのペイガンは、日本では神道ではなく、アイヌということになりそうだ。しかし、それが日本のニューエイジの文脈では語られない。それが日英の違いということになるだろう。
4月19日

今日は、朝6時半から、バース・ファースト・スピリチュアル・センター(The Bath First Spiritualist Centre)でサンデー・サービスがあると気負って早起きしてゆく。

が、午後6時半の間違いだった_| ̄|○
往復30分の散歩だった。

今日は、新しい宿の朝食をはじめて食べる。

おいし~~い。イギリスで食べた朝食の中で一番まいう~。作っているあんちゃんも気持ちのいいサービス。ただ、バースの人の英語は早口で独特で聞き取りにくい。でも、気持ちのよい人が多い。料理はちょっとずつ出てきたので、1枚に収めた写真がないので、写真は省略。

ここでたらふく食って、結局空腹になったのは夕方の5時。それまでは雑務とお仕事。明日の研究者との面会までにやっておかなければならない予習がある。

おなかも空いたので街に繰り出すが、5時でだいたいどこもしまる。とくに日曜ということもあるだろう。まだ全然明るいのに、変な感じだ。一体何のためのサマータイム? 朝10時から夕方5時までという営業時間が多い。でも、ゆとりはよいことだ。そうか、遊ぶためのサマータイムなのだ。

夕食を食べて、念願のスピリチュアリズム教会へ。ちなみに、ここ正式名称は2001年に、「Spiritualist Church」から「Spiritual Centre」に改称した。つまり、最近まではChurch(教会)だった。日本語訳もだいぶ変わる。「心霊教会」から「スピリチュアル・センター」である。

http://www.bathfirstspiritualcentre.org.uk/pages/

この日記の表題で「スピリチュアリズム教会」と呼んだのは、意味がある。つまり、イギリスでは、スピリチュアリズム教会という名前がけっこうあるので、それに従ったということである。日本では、スピリチュアリズムは宗教ではないと盛んにいわれているが、英米ではそうではない。たとえば、アメリカにはNational Spiritualist Association of Churchという団体がある。イギリスではSpiritualist' National Unionというのがメインで、各地域に教会がある。

改称したのはどうしてだろうか。おそらく、スピリチュアリズム教会はけっこうジリ貧で、スピリチュアル・センターという名称にすることで宗教色をなくしたいという考えなのではないだろうか。ここら辺は誰かに質問しなくては。

入り口を通るときに聖歌集が配られる。中の雰囲気は教会っぽい感じがうっすらあるが、十字架やキリストやマリアはいない。ステンドグラスをまねた窓っぽいものが一つだけある。壁には、例の「七大綱要」が飾ってある。

中は、それほど広くない。出席者はザッと数えて25名ほど。どちらかといえば女性が多いが、男性もけっこういる。年齢は高めである。グラストンベリーで見かける人たちは、中年層も多いが、若者も交じっていた。しかし、ここスピリチュアリズム教会では若者抜きで、高齢者が交じる感じ。このことからも、若者の支持を得ていないことがうかがえる。

まず、開会の祈りを司式者が称える。そして、全員で聖歌を歌う。高齢の司式者が非常に大きい声で朗々と、ちょっとユーモラスにも聞こえる感じで歌う。ここら辺は、たしかにファッショナブルではない。何となく、ニューエイジとのセンスの違いが分かってきた。

司式者による説教が続く。この司式者を何と呼ぶのか。ミディアム(霊媒)と自称しているのは話のなかであったので分かったが、正式には何と呼ばれているのか、今書いていて気になった。あとで確認しよう。今後、取りあえず霊媒と呼ぶことにする。多分、これでオーケーだろう。

説教は牧師の説教に似たスタイルだ。霊媒でいいのか、牧師でなくていいのか、迷うのはその語り口や雰囲気が牧師っぽいためである。逸話やたとえ話を交えながら、自分たちの主張を強調する。しかし、まとめのところでは普通のキリスト教との違いが強調される。

自分たちは罰を強調しない。応報の原理と償いの原理を強調する。これは七大綱要にもある。要するに因果応報であるが、それを償うこともできる、ということである。補うと、キリスト教では、罪の許しがキリストによってなされるが、スピリチュアリズムでは人間自身が償いの主体となることができる、といのがポイントである。

また、私たちは受け取るだけではない。IST、つまり、Investigation(調査)、Search and Seek(探索・求道)、Truth(真理)が大事で、自分たちで調べることを重視するのだ、という。

そして、自分たちの宗教だけが正しいとして真理を独り占めしようとするのではなく、分かち合おうとするのだ、と強調される。

続いてデモンストレーションがある。

これは僕がこれまで出席がしたことがある、日本のスピリチュアリズム関係のデモンストレーションとほぼ同じものだった。霊媒が自分の感じることを伝える。それに当てはまる人はいるかと尋ねる。すると、誰かが答える。詳しく説明しそうになると、霊媒はそれを制止する。はいかいいえだけ答えてほしいという。これはあくまで、霊媒が真実を伝えているかどうかの検証なのだ。

まず、「私が言うことに当てはまる人を知っていますか」と言い、「その人(女性の場合はレディー、男性の場合はジェントルマンと表現)は~という人です」と、その人の特徴を言う。

たとえば、

「ピアノかオルガンをひく人知っていますか」

と尋ねる。すると、ある女性が手を上げる。

その人のことだとは言わずに、また

「私が言うことに当てはまる人を知っていますか。その人は、循環器系を患っていた人です。」

すると、先ほど手を上げた女性が「イエス」と答える。

こんな感じで、「ダンスがとても得意」「バレエをしていた」などに立て続けにイエスと答える。

そこで、「話を合わせて「はい」と言ってはいけません」、とも言われる。これはあまりにも当てはまりすぎるために出てきた台詞だった。

いずれにしても、こうして霊媒が感じる霊の特徴をどんどん述べてゆき、それに当てはまる故人を知っている人は「はい」と答えるという形式である。

懐疑的な人はマシンガン・トーク、つまり数打ちゃ当たるの形式だと言うだろう。

しかし、同じ人が連続して「はい」と言うことが続くので、参加者にとっては、誰か特定の人の特徴を言い当てているのだ、と受け止められる。この「連続」性が信憑性のよすがとなるのだろう。

中には「11月に死んだ」「名前は○○だった」「爪を噛む癖があった」など、なかなか当たりにくいことを告げている。そして、先ほどイエスと答えていた人が、これにもイエスと答えるのである。

懐疑的な人は、もともと知り合い同士なのでは?というかもしれない。だが、僕にとっては、参加者がそれをどう受け止めているかが重要である。彼らは、このようなやり取りを、霊媒が霊的存在と交信している証拠として受け止めているだろう。もし、これが本当にサクラではなくて、古くからの知り合い同士でもないとしたら、かなりのリーディング能力である。

デモンストレーションの感想、本当は聞きたいところだが、聞き方次第では懐疑的な人間のように聞こえてしまうのではないかという恐れがあって聞けなかった。

そもそも、僕の存在自体が、この場所で浮いているのだ。

確認したが、その場所には、白人しかいなかった。有色人種は僕オンリーなのである。「一体こいつは誰なんだ」と思われること、間違いないのである。

この後、希望者はヒーリングを受けられる。先ほどの霊媒とは違うヒーラーが二人残った。もちろん、僕は受けることにする。この空気でなお食い下がるか、と自分に感心する。何のためにイギリスくんだりまで来ているのか。ここで引き下がったら、宿で大後悔することは間違いないのである。

順番を待つ。一人10分くらい。僕の前に3人の女性がいて、僕が最後だったのだが、2人の女性が譲ってくれる。ビジターだということに配慮してくれたのだろう。

「ヒーリングについてあまりよく知らないのですが……」

というと、「霊界からエネルギーを取り次ぐことによって、ヒーリングします」という説明がある。説明はそれで終了。何となくぎこちない空気。

それから、ヒーラーの一人がカルテのようなものを持ってきて、それに記入してゆく。そして、記録を作るのはどうしてかというと、患者がヒーリングによってどのようになってゆくかを記録することによって、ヒーリングの効果を確かめるためだという趣旨のことを言われる(もちろん意訳)。

何か困っていることは?と聞かれ、慢性の背中の凝りについて説明する。「医者に相談したことはないのか」と確認される。「1回だけ相談したが、原因が医者にもよく分からないので、やめた。それほど深刻ではないのだが、もう10年以上も続いている」と答える。

「それが僕の身体の問題です。けど、ヒーリングを受けるメインの理由は、僕は日本でスピリチュアリズムの本はたくさん読んでいるんですけど、実践的な側面についてはよく知らないんです」

こう説明すると女性ヒーラーは納得したような感じで、表情を和らげてくれた。それまでは本当に表情がこわばって、「この人何しに来たんだろう」と警戒している様子だったのだ。

「それで、ヒーリングを実際にどうやって行うのか、とても興味があるんです」と自分のポジションを明かす。

ヒーラーは納得した様子になってくれた。それから、消毒液のようなものを手にして(匂いから判断)、手をこすってから、僕の肩に手を当てる。深呼吸をするように言われる。そして、10分くらい手を当てる。後半、片手を背中のほうに移動させたりもする。もんだりマッサージするようなことはない。見た目にはレイキと変わらない。レイキからの影響はあるのかないのか。いつごろから、こういうヒーリングをやりはじめたのか、今度聞いてみようと思う。質問するべきことがだいぶたまってきた。その場でのアドリブがきかない人間なのだ。

もう一人の女性ヒーラーは、横3メートルくらい離れたところにただ静かに座っている。横からサポートしているように見える。

終了後、「どんな調子か」聞かれた。背中の凝りはなくなっていた。もちろん、暗示の効果もあると懐疑的な人には言われるだろう。僕もそれは認める。しかし、質問したヒーラーには、正直に「なくなった」と答えた。

今度の木曜に有料のヒーリングのイベントがあると言われる。来る予定です、と答えて、場を離れる。受付にいた教会を取り仕切っているらしい人はもういない。次は、早めに来てうろついて、今日出てきた疑問を聞いてみよう。

だけど、何となく白人だけの雰囲気って苦手。

実はグラストンベリーでも気になっていたことである。それは、人種が白人に偏っているということである。スーフィーの集まりだけ、インドネシアなどの東洋人がいた。

来ている人の雰囲気は、ファッショナブルではない、それほど上流でもない、しかしエキセントリックでもない、物静かそうな普通の人たちである。

違うのは、グラストンベリーのニューエイジャーは「生」に向かっているのに、スピリチュアリズム教会のテーマは「死」だということである。逆にヒーリングには、何の違いも感じられないだろう。しかし、僕の直観では、ヒーリングやその関連のイベントは、霊媒による死者との交流よりもあとに強調されてきたのではないか、他のニューエイジやスピリチュアルなものと競合する形で。ここら辺も聞かなくては。

あともう一つ、再度訪問したときにこだわってみたいのは、スピリチュアリズムは宗教なのかどうかである。HPなどでははっきりと「宗教」であると説明されている。引用しよう。

「We are affiliated to Spiritualist National Union and Spiritualism is a rational religion based on the proven knowledge that man's spirit survives physical death. This has led to a philosophical and scientific approach new to traditional religious faith.」
http://www.bathfirstspiritualcentre.org.uk/pages/

「私たちは心霊国民連合(SNU)に加盟しています。心霊主義(スピリチュアリズム)は、人間の霊が肉体の死の後も続くという証明された知識をベースとする理性的な宗教です。そのため、伝統宗教にはない、哲学的で科学的なアプローチをとっているのです。」

というわけで、伝統宗教ではないが、理性宗教なのである。この辺は、はっきりと宗教ではないと断言するニューエイジとは違う。「宗教」ではないと言い切ることに躊躇する感性と、躊躇しない感性との違いと言ってもよいだろう。

だが、これだけではない。ここまで述べた、集会の楽しそうな雰囲気、説教スタイル、その他決められた形式などは、やはり「宗教」的な印象を与えるものであろう。
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