今日は、朝6時半から、バース・ファースト・スピリチュアル・センター(The Bath First Spiritualist Centre)でサンデー・サービスがあると気負って早起きしてゆく。
が、午後6時半の間違いだった_| ̄|○
往復30分の散歩だった。
今日は、新しい宿の朝食をはじめて食べる。
おいし~~い。イギリスで食べた朝食の中で一番まいう~。作っているあんちゃんも気持ちのいいサービス。ただ、バースの人の英語は早口で独特で聞き取りにくい。でも、気持ちのよい人が多い。料理はちょっとずつ出てきたので、1枚に収めた写真がないので、写真は省略。
ここでたらふく食って、結局空腹になったのは夕方の5時。それまでは雑務とお仕事。明日の研究者との面会までにやっておかなければならない予習がある。
おなかも空いたので街に繰り出すが、5時でだいたいどこもしまる。とくに日曜ということもあるだろう。まだ全然明るいのに、変な感じだ。一体何のためのサマータイム? 朝10時から夕方5時までという営業時間が多い。でも、ゆとりはよいことだ。そうか、遊ぶためのサマータイムなのだ。
夕食を食べて、念願のスピリチュアリズム教会へ。ちなみに、ここ正式名称は2001年に、「Spiritualist Church」から「Spiritual Centre」に改称した。つまり、最近まではChurch(教会)だった。日本語訳もだいぶ変わる。「心霊教会」から「スピリチュアル・センター」である。
http://www.bathfirstspiritualcentre.org.uk/pages/
この日記の表題で「スピリチュアリズム教会」と呼んだのは、意味がある。つまり、イギリスでは、スピリチュアリズム教会という名前がけっこうあるので、それに従ったということである。日本では、スピリチュアリズムは宗教ではないと盛んにいわれているが、英米ではそうではない。たとえば、アメリカにはNational Spiritualist Association of Churchという団体がある。イギリスではSpiritualist' National Unionというのがメインで、各地域に教会がある。
改称したのはどうしてだろうか。おそらく、スピリチュアリズム教会はけっこうジリ貧で、スピリチュアル・センターという名称にすることで宗教色をなくしたいという考えなのではないだろうか。ここら辺は誰かに質問しなくては。
入り口を通るときに聖歌集が配られる。中の雰囲気は教会っぽい感じがうっすらあるが、十字架やキリストやマリアはいない。ステンドグラスをまねた窓っぽいものが一つだけある。壁には、例の「七大綱要」が飾ってある。
中は、それほど広くない。出席者はザッと数えて25名ほど。どちらかといえば女性が多いが、男性もけっこういる。年齢は高めである。グラストンベリーで見かける人たちは、中年層も多いが、若者も交じっていた。しかし、ここスピリチュアリズム教会では若者抜きで、高齢者が交じる感じ。このことからも、若者の支持を得ていないことがうかがえる。
まず、開会の祈りを司式者が称える。そして、全員で聖歌を歌う。高齢の司式者が非常に大きい声で朗々と、ちょっとユーモラスにも聞こえる感じで歌う。ここら辺は、たしかにファッショナブルではない。何となく、ニューエイジとのセンスの違いが分かってきた。
司式者による説教が続く。この司式者を何と呼ぶのか。ミディアム(霊媒)と自称しているのは話のなかであったので分かったが、正式には何と呼ばれているのか、今書いていて気になった。あとで確認しよう。今後、取りあえず霊媒と呼ぶことにする。多分、これでオーケーだろう。
説教は牧師の説教に似たスタイルだ。霊媒でいいのか、牧師でなくていいのか、迷うのはその語り口や雰囲気が牧師っぽいためである。逸話やたとえ話を交えながら、自分たちの主張を強調する。しかし、まとめのところでは普通のキリスト教との違いが強調される。
自分たちは罰を強調しない。応報の原理と償いの原理を強調する。これは七大綱要にもある。要するに因果応報であるが、それを償うこともできる、ということである。補うと、キリスト教では、罪の許しがキリストによってなされるが、スピリチュアリズムでは人間自身が償いの主体となることができる、といのがポイントである。
また、私たちは受け取るだけではない。IST、つまり、Investigation(調査)、Search and Seek(探索・求道)、Truth(真理)が大事で、自分たちで調べることを重視するのだ、という。
そして、自分たちの宗教だけが正しいとして真理を独り占めしようとするのではなく、分かち合おうとするのだ、と強調される。
続いてデモンストレーションがある。
これは僕がこれまで出席がしたことがある、日本のスピリチュアリズム関係のデモンストレーションとほぼ同じものだった。霊媒が自分の感じることを伝える。それに当てはまる人はいるかと尋ねる。すると、誰かが答える。詳しく説明しそうになると、霊媒はそれを制止する。はいかいいえだけ答えてほしいという。これはあくまで、霊媒が真実を伝えているかどうかの検証なのだ。
まず、「私が言うことに当てはまる人を知っていますか」と言い、「その人(女性の場合はレディー、男性の場合はジェントルマンと表現)は~という人です」と、その人の特徴を言う。
たとえば、
「ピアノかオルガンをひく人知っていますか」
と尋ねる。すると、ある女性が手を上げる。
その人のことだとは言わずに、また
「私が言うことに当てはまる人を知っていますか。その人は、循環器系を患っていた人です。」
すると、先ほど手を上げた女性が「イエス」と答える。
こんな感じで、「ダンスがとても得意」「バレエをしていた」などに立て続けにイエスと答える。
そこで、「話を合わせて「はい」と言ってはいけません」、とも言われる。これはあまりにも当てはまりすぎるために出てきた台詞だった。
いずれにしても、こうして霊媒が感じる霊の特徴をどんどん述べてゆき、それに当てはまる故人を知っている人は「はい」と答えるという形式である。
懐疑的な人はマシンガン・トーク、つまり数打ちゃ当たるの形式だと言うだろう。
しかし、同じ人が連続して「はい」と言うことが続くので、参加者にとっては、誰か特定の人の特徴を言い当てているのだ、と受け止められる。この「連続」性が信憑性のよすがとなるのだろう。
中には「11月に死んだ」「名前は○○だった」「爪を噛む癖があった」など、なかなか当たりにくいことを告げている。そして、先ほどイエスと答えていた人が、これにもイエスと答えるのである。
懐疑的な人は、もともと知り合い同士なのでは?というかもしれない。だが、僕にとっては、参加者がそれをどう受け止めているかが重要である。彼らは、このようなやり取りを、霊媒が霊的存在と交信している証拠として受け止めているだろう。もし、これが本当にサクラではなくて、古くからの知り合い同士でもないとしたら、かなりのリーディング能力である。
デモンストレーションの感想、本当は聞きたいところだが、聞き方次第では懐疑的な人間のように聞こえてしまうのではないかという恐れがあって聞けなかった。
そもそも、僕の存在自体が、この場所で浮いているのだ。
確認したが、その場所には、白人しかいなかった。有色人種は僕オンリーなのである。「一体こいつは誰なんだ」と思われること、間違いないのである。
この後、希望者はヒーリングを受けられる。先ほどの霊媒とは違うヒーラーが二人残った。もちろん、僕は受けることにする。この空気でなお食い下がるか、と自分に感心する。何のためにイギリスくんだりまで来ているのか。ここで引き下がったら、宿で大後悔することは間違いないのである。
順番を待つ。一人10分くらい。僕の前に3人の女性がいて、僕が最後だったのだが、2人の女性が譲ってくれる。ビジターだということに配慮してくれたのだろう。
「ヒーリングについてあまりよく知らないのですが……」
というと、「霊界からエネルギーを取り次ぐことによって、ヒーリングします」という説明がある。説明はそれで終了。何となくぎこちない空気。
それから、ヒーラーの一人がカルテのようなものを持ってきて、それに記入してゆく。そして、記録を作るのはどうしてかというと、患者がヒーリングによってどのようになってゆくかを記録することによって、ヒーリングの効果を確かめるためだという趣旨のことを言われる(もちろん意訳)。
何か困っていることは?と聞かれ、慢性の背中の凝りについて説明する。「医者に相談したことはないのか」と確認される。「1回だけ相談したが、原因が医者にもよく分からないので、やめた。それほど深刻ではないのだが、もう10年以上も続いている」と答える。
「それが僕の身体の問題です。けど、ヒーリングを受けるメインの理由は、僕は日本でスピリチュアリズムの本はたくさん読んでいるんですけど、実践的な側面についてはよく知らないんです」
こう説明すると女性ヒーラーは納得したような感じで、表情を和らげてくれた。それまでは本当に表情がこわばって、「この人何しに来たんだろう」と警戒している様子だったのだ。
「それで、ヒーリングを実際にどうやって行うのか、とても興味があるんです」と自分のポジションを明かす。
ヒーラーは納得した様子になってくれた。それから、消毒液のようなものを手にして(匂いから判断)、手をこすってから、僕の肩に手を当てる。深呼吸をするように言われる。そして、10分くらい手を当てる。後半、片手を背中のほうに移動させたりもする。もんだりマッサージするようなことはない。見た目にはレイキと変わらない。レイキからの影響はあるのかないのか。いつごろから、こういうヒーリングをやりはじめたのか、今度聞いてみようと思う。質問するべきことがだいぶたまってきた。その場でのアドリブがきかない人間なのだ。
もう一人の女性ヒーラーは、横3メートルくらい離れたところにただ静かに座っている。横からサポートしているように見える。
終了後、「どんな調子か」聞かれた。背中の凝りはなくなっていた。もちろん、暗示の効果もあると懐疑的な人には言われるだろう。僕もそれは認める。しかし、質問したヒーラーには、正直に「なくなった」と答えた。
今度の木曜に有料のヒーリングのイベントがあると言われる。来る予定です、と答えて、場を離れる。受付にいた教会を取り仕切っているらしい人はもういない。次は、早めに来てうろついて、今日出てきた疑問を聞いてみよう。
だけど、何となく白人だけの雰囲気って苦手。
実はグラストンベリーでも気になっていたことである。それは、人種が白人に偏っているということである。スーフィーの集まりだけ、インドネシアなどの東洋人がいた。
来ている人の雰囲気は、ファッショナブルではない、それほど上流でもない、しかしエキセントリックでもない、物静かそうな普通の人たちである。
違うのは、グラストンベリーのニューエイジャーは「生」に向かっているのに、スピリチュアリズム教会のテーマは「死」だということである。逆にヒーリングには、何の違いも感じられないだろう。しかし、僕の直観では、ヒーリングやその関連のイベントは、霊媒による死者との交流よりもあとに強調されてきたのではないか、他のニューエイジやスピリチュアルなものと競合する形で。ここら辺も聞かなくては。
あともう一つ、再度訪問したときにこだわってみたいのは、スピリチュアリズムは宗教なのかどうかである。HPなどでははっきりと「宗教」であると説明されている。引用しよう。
「We are affiliated to Spiritualist National Union and Spiritualism is a rational religion based on the proven knowledge that man's spirit survives physical death. This has led to a philosophical and scientific approach new to traditional religious faith.」
http://www.bathfirstspiritualcentre.org.uk/pages/
「私たちは心霊国民連合(SNU)に加盟しています。心霊主義(スピリチュアリズム)は、人間の霊が肉体の死の後も続くという証明された知識をベースとする理性的な宗教です。そのため、伝統宗教にはない、哲学的で科学的なアプローチをとっているのです。」
というわけで、伝統宗教ではないが、理性宗教なのである。この辺は、はっきりと宗教ではないと断言するニューエイジとは違う。「宗教」ではないと言い切ることに躊躇する感性と、躊躇しない感性との違いと言ってもよいだろう。
だが、これだけではない。ここまで述べた、集会の楽しそうな雰囲気、説教スタイル、その他決められた形式などは、やはり「宗教」的な印象を与えるものであろう。

