4月23日スピリチュアリズム教会のギルド | Staretsのブログ

Staretsのブログ

ブログの説明を入力します。

4月23日

今日は再び、バース・ファースト・スピリチュアル・センター(バース第一心霊センター)に行ってきた。

入るやいなや、赤いセーターを着た非常に年を取っているように見える男性に、

「やあ、君は日曜も来ていたね」と握手を求められる。どこから来ているのか、などなど、挨拶を交わす。が、高齢のせいもあって、非常に聞き取りにくい英語だ。

木曜の午後は、ギルド(組合、集会)という集まりがある。サンデーサービスより少なく15人くらいだろうか。そして、男性は僕も含めて3人。日時の問題もあるだろう。日曜の人が多くの人、とくに男性は来やすいということだ。逆にそのことから、性別役割分業のある家庭をもつメンバーが多いということが分かる。

ミディアムはやや派手な中年女性。参加者のファッションと比べるとかなり浮いている。日本でも占い師などによくいるタイプの傾向のファッション。

配られた聖歌集からアメイジング・グレースを歌う。

その後、何とホワイト・イーグルの霊示であるらしい『Light Bringer』からの一節を披露。それは、新しい時代(ニューエイジ)、黄金時代がやって来るというものだった。「ニューエイジ」という言葉が出てくるということ、そしてその部分をあえてミディアムが選択したということが興味深かった。

こちらのニューエイジャー研究者はみんな、スピリチュアリズムはニューエイジじゃないと言う。けれども、実際には行き来があるんじゃないかなと疑っている。それは、「霊能者」は「ニューエイジ」じゃないというのと同じようなものではないだろうか。看板は違うけれど、やっていることは似ていて、経歴を見ると、どちらも経験しているということはよくある。

その後、デモンストレーションがある。このミディアムは、まず「こういう名前はありますか」と聞く。そして、「リチャード」とか「ジェイムズ」とか言うのである。誰かが手を上げる(笑)。まあ、こういう名前だったら誰か知人がヒットする。すると、その人の特徴を言い当てて行く。が、どうもなかなかうまく行かず、言うことの半分ちょっとくらいしか、あたった人がうなずかない。当たったことも、多くの人に当てはまりそうなことばかりで、懐疑的に見れば、いわゆるコールド・リーディングに近い。誰にでも当てはまりそうなことを言いながら、こちらの反応に応じて言葉をつないでゆき、当たったことにしてしまうというコミュニケーションである。

これを見ると、先日のサンデー・サービスのミディアムは大成功だったのだということが分かる。ほとんど「外れた」という感じはなかったのだから。長年生き残ってきたミディアムだったのだろう。

さて、今日のミディアムは40分くらい経った頃、次のように言った。

「ふー、だめだわ。ロスト!(迷ってしまった。言葉を失ってしまった)こんなこと今までないんだけれど……、何も出てこない」

しばらく困っていると、参加者の中から、

「エネルギーを高めるために聖歌を歌ったらどうかしら」

という声が出る。
そこで、歌が始まる。歌は、「I have a dream」(私には夢がある)。

♪♪♪

とてもいい歌だ。最初の部分を日本語に訳して紹介する。

「私には夢がある。歌うべき歌がある。だからどんなことでもやって行ける。おとぎ話の不思議さを感じられるのなら、どんなに失敗しても、未来がある。私は天使を信じる。見るものすべてによいことを見いだす。私は天使を信じる。時が私にとってふさわしいときに、川を渡ってみせる。それが私の夢。」

声が先ほどのアメイジング・グレイスより、ずっと力強い。もちろん先ほどの歌だって有名な歌だから、こっちのほうが知名度があるから、よく歌えているということはないだろう。

「エネルギーを高めよう。失敗したって大丈夫、天使=スピリットを信じれば大丈夫!」

そんな参加者の熱意が伝わってくる。みんなそれほどお若くない女性たちなのに、まるで乙女のコーラスのように瑞々しくて爽かだ。足踏みが聞こえ、身体が揺れている。胸を打たれた。僕も同じように気持ちよく歌えた。

歌い終わると、ミディアムが立ち上がった。

「とても強いエネルギーを感じるわ。今、不況だとやたらとメディアが騒ぎ立てるけれど、私たちは否定的なことばかりに目を向けては行けません。この苦しみは、変化が来るということを意味するからです。ホワイトイーグルの言う「ニューエイジ」「ゴールデン・エイジ」が来るということです。」

などなどと、しゃべり出す。そんな風にしてしゃべっていると、オーガナイザーとして、後ろの席に座っていた、おそらくどう考えても80才以上としか思えない老人紳士(僕に挨拶してくれた人)が立ち上がる。

時間は3時半、ギルドは2時半に始まっていたので、ちょうど1時間だ。時間が来てしまったのかなと思う。

ミディアムはのっているようだったが、男性オーガナイザーは

「もうあなたはここでやめるべきだ」

と言う。ミディアムは「少ししゃべらせてほしい」と言った。参加者もそれに賛成する。しかし、後期高齢紳士は、「ダメだこれは、失敗だ」という。

ある女性が「分からないわ」と立ち上がる。「やらせてあげてよ。まだ個人的なメッセージが終わってないでしょ」と抗議する。

「しかし、それができなかったのだから、もうダメだ。これは実験なんだ。もし、満足の行く結果が出せなかったら、いただいたお金を戻す。そういうものなんだ。」

「お金ならいいわよ! 払ったままで。話を聞きたいの。そのために来たんだから、話してもらわなきゃ。」ブーブー

平行線をたどるが、ミディアムは

「これは私の落ち度です。本当に申し訳ございません。」

と、謝る。すると

「謝ることなんかないわ」
「そうよ、そうよ」
「あなたはやるべきことをやっているんだから」

みんなが応援したが、結局ダメだった。

老紳士が、聖歌集のあいだに挟まっていたラッフル(くじ)の当選発表に移ることをアナウンスする。白けムードが漂っている。

僕の番号は314。こういうのはまず運に恵まれないが、何と4人目くらいに当たった。景品は「ブルーベリー・パフ」というパイにブルーベリージャムを固めたものが入っているようなお菓子を選んだ。これで軽い1食分だ、と素直に喜ぶ。

席に戻ろうとすると、ミディアムと目が合う。何か話しかけられたような気がするが、後ろの人かなと思い、そのまま戻ろうとすると、回りの人に、「ほら、呼ばれているわよ」とうながされる。僕のこと?と指で自分を指すジェスチャーをすると、そうだとうなずかれる。

「あなたチャプレン(牧師の一種)ね」と、話しかけられる。

いや、チャップリンじゃないと心のなかで思うが、一瞬、チャプレンって、何を言いたいのだろうと戸惑う。

「え?」
「あなたチャプレンね。」
「いや、チャプレンじゃないです。僕は学者です。」
「まだ学生なの? 勉強しているの、教えているの?」
「教えています。」
「どこか別の場所で教えているのね。」
「はい。今はサバティカルで来てるんです。」
「なるほど、分かりました。あなたはこれから、ここではない別の場所に向かいます。そして、そこに長く滞在することになるでしょう。そこで、とても重要な価値のある学びを得ます。」

いちおう当てはまっている。もちろん、こうやって文字に起こすと学者でサバティカルだって言っているのだから、こう言っておけば間違いないだろうという内容の「リーディング」だ、というツッコミもありうる。しかし、これを聞いたときの僕は、

「あれ、もしかして、この人やっと何かが降りてきたのかな。当たってるよ」

と、ちょっとうれしくなった。霊媒として失敗しながらもみんなに励まされて、奮起した、それなのに権威主義的に止められてしまい、何か仕事をし足りない気持ちでいたのが、僕を見て途端に何かがひらめいたのである。そんな彼女に感情移入していた、あるいはこれ以上傷つけたくないという気持ちが働いたのであろう。

「よく分かります。あなたの言うこと、よく分かります。これから、アメリカで長い滞在をするんです。」
「そこであなたにとって、とても貴重な何かを得るでしょう。」
「ありがとうございます。」

その後はヒーリングだった。今回のヒーラーは、玄関で受付をしていた女性と、例の赤いセーターを着た超高齢のオーガナイザーである。

残ったのは僕を含めて4人。僕は、他の人に譲って、最後に回ることにした。質問をするためである。

そのとき、譲った女性に待っているあいだはなしかけてみた。

「メンバーですか。」
「ええ。」
「女性のメンバーのほうが多いんですね。」
「そうね。」
「どうしてなんでしょう。」
「うーん、どうしてなんでしょう。よく分からないけど、とにかく女のほうが多いわね。」

これは、日本で聞いても同じような感じだろう。明確に答えられる人のいない質問である。

「あなた何している人なの」
「僕は研究者なんです」

といって、スピリチュアリズムへの興味について説明する。
改称した理由について聞いてみるが、自分は外の街から来たのでよく分からない、と言われる。

「今日みたいなことって、よくあるんですか。」
「うーん、どうかしら。うまく行くときもあるし、うまく行かないときもあるのよ。」

そこからいきなり話題を変えられ、

「ところで、わびさびって何?」と聞かれる。何度か聞き直して、やっと「わびさび」だと聞き取れる。

「わびさびというのは、静かさ、落ち着き、雑音がすべてなくなった状態、それで孤独なんだけど、美しいという様子ですよ。Simple is beautiful.(シンプルなのが美しい)ということです。」

と、アドリブにしては、外国人にも分かりやすい説明ができた、と内心で自負する。

「すごい。日本人の誰に聞いても説明できなかったのよ。」
「シンプルは美しい、と覚えてください。」
「シンプルは美しい、シンプルは美しい、うん、うん。」

静かで孤独だけれど美しい。



自分の旅もそんな感じかな、と、ふと思った。



ヒーリングは、受付をしていた女性のヒーラーに当たった。問診表はすでに用意されていた。僕のことを認知しているのだ。

だいたい、この間と同じようなやり取り(既往歴についての質問)が続き、ヒーリングに入る。

目を閉じ、深呼吸をして、リラックスするように言われる。この間の人と違い、頭や首などにも手を当てられる。ちなみに隣の人は、席に座って瞑目している。ヒーリングのサポートである。

途中、寝てはいないのだけれど、よく寝入りばなに手足がびくっとするのと同じことが起こる。ただ、意識がはっきりしているだけに、手が勝手に動くのが、不思議な感じだ。

終わったあと、

「とても深い瞑想に入っていたわね。瞑想をするの?」
「ええ、瞑想しますよ。」
「それはとてもいいわ。」

手足が自動的に動くような感じがあったことについて説明すると、

「そうね。色々なヒーリングがあるから……」

と、どう答えていいかよく分からなそうである。たしかに、そう言われても、ね、という感じである。しかし、日本の怪しげな人の場合、「それはね、霊動と言って……」とか何とか適当に答えてくれるだろう。グラストンベリーの人たちも、おそらくもっともらしいことを言ってくれるだろう。僕の印象では、ここの人は、純朴で分からないことは分からないとはっきり言う、よく言えば適当なことは言わない、悪く言えば理論的に弱い、という感じの人が多い。

「ヒーリングは受けたことあるの。」
「はい、日本でも。けっこう昔から。」

それで、自分が研究者であること、スピリチュアリズムに興味があること、日本でのスピリチュアリズムは書籍中心であること、スピリチュアリズムが「教会」という組織をもっていることに興味があることなどなどを話した。

「ヒーリングの歴史について知りたいのですが。いつごろからヒーリングをやっているんですか。」
「そうね、ちょっと待って。今すぐに答えられないわ。詳しい人に聞いてあとで連絡するわ。」

その他、「スピリチュアリスト・チャーチ」から「スピリチュアル・センター」に改称した理由なども聞くが、やはり分からないと言う。

「スピリチュアリズムは宗教なんでしょうか。」
「ええ、宗教ですよ。誰にでも開かれているんです open to the public。」

と、これには即答。面白い。宗教であることによって閉ざされるという考え方もあると思うが、むしろ開くために宗教という形をとっていると言うのである。

「日本ではスピリチュアリズムは「宗教」だとは思われていません。「宗教」にはネガティヴなイメージがあって、スピリチュアリズムは「宗教」ではなく、科学だと考える人もいます。」
「たしかにイギリスでも、「宗教」へのそういうイメージはあるわね。」
「でも、ウェブサイトを見たんですけど、あなたたちは「理性宗教」であり、科学であり哲学であるということですね。」
「ええ。私たちは宗教であり、科学であるんです。」
「そして、「宗教」であることの目的は、公に開かれるためなんですね。」
「そうです。」
「日本のスピリチュアリズムは本が中心なんです。ホワイトイーグルとかシルバーバーチとか。」

というと、フムフムとうなずいている。知っているのか!、と思う。そこで、

「シルバーバーチは知っていますか。」と尋ねると、
「ええ。」と答えられた。

もちろんという感じである。先日、死に関する社会学をやっている人でもシルバーバーチを知らなかったので、少し安心した。しかし、マイナー宗教に出てくる特殊な人物という扱いなのだろうと
いうことも想像できるが。

「それで、スピリチュアリズムはキリスト教なんですか。」
「うーん、そうとは限らないわ。ユダヤ教徒の人もいるし、ムスリムもいるのよ。」
「輪廻転生は信じますか。」
「それは難しい。微妙。」
スタッフの写真(日曜日の時のオーガナイザーをしていた男性)を指さしながら、
「たとえば、彼は輪廻を信じないの。」
「輪廻が難しいのは、キリスト教で輪廻を認めていないからですか。」
「そういうことね。」
「シルバーバーチは輪廻について語っていますね。」
「ええ、私は信じているわ。」

今回の質問で分からなかったことについては、メールするということになって、名刺を渡して、その場をあとにした。

Starletsのブログ

夕方、というか夜は、The Bath Ghost Walks という歩きのツアーに参加した。実は、翌日ロンドンでも、ゴースト・ツアーの予約をしている。合わせて次の日記で報告したい。

2時間のウォークを終えて、宿に10時過ぎに到着。

ネットで、例のミディアムを元気づけた聖歌「I have a dream」の歌詞を検索する。ABBAが歌っていたことが分かった。YouTubeでライブのビデオを見る。とてもしみじみとする。後半から、子どもたちが歌に加わり、大合唱になる。



アバがヒットしていたのは、僕が小学校のころだった。テレビで見て、日本の歌謡曲にはない素晴らしいメロディに衝撃を覚えたことを記憶している。おそらく、今日列席していた人たちの多くにとっては思い出深い青春時代のヒット曲だっただろう。この歌が、まるで乙女の合唱のように聞こえたのは、そのせいだろう。

もちろん、「時間が来た、このデモンストレーションは失敗だ」といって制止した後期高齢オーガナイザーには、彼なりの言い分と使命があると思う。それは、科学的真理をも探究するというスピリチュアリズムの「実験」精神から来る、当然行うべき「正しい行い」だったのだ。そのような態度を貫くことによって、スピリチュアリズムの誠実さが守られるのであり、妥協してしまえばスピリチュアリズムの信用にかかわるという揺るぎなさを感じた。日本でいうと、おそらくオーガナイザーは「審神」(さにわ)の役目なのだということに気づいた。

しかし、列席者の多くは、真理探究の基準に照らし合わせての「正しい行い」よりも、ミディアムと自分たちの「気持ちへの配慮」が大事だと感じられた。

ちょっと専門的な話になるが、コールバーグの普遍的倫理と、ギリガンのケアの倫理の対照をまざまざとみせられた感がある。

男性は、真理探究など、感情や慣習を超えた普遍的基準に照らして正しい行いを選択しようとする。しかし、女性は道徳的葛藤が生じるような状況そのものと、それに関わっている人の気持ちを何とかしようと配慮(ケア)するという話である。列席者(ほとんど女性)は、真理探究のための手続きなどよりも、そのときの努力してもうまく行かなかったのにやっとインスピレーションが湧いてきたミディアムの気持ちや、その場の状況に配慮したいと思っていたのである。

加えていうならば、本気で真理探究をしようとしたら、多くのミディアムの言うことは信用ならないだろう。「うまく行くときもあれば、うまく行かないときもある」という列席者の真理への態度は、きわめて相対主義的で、状況主義的である。デモンストレーションの真偽をジャッジすることなんてどうでもいい、「うまく行く」ときを大事にしたい。僕が、スピリチュアルな人たちに特徴的だと感じる「不可知論的プラグマティズム」がここにある。

もう一度、あの歌を引用しよう。語尾をあえて女性言葉に変えて訳す。アバの歌い手だって女性なのだから。


おとぎ話の不思議さを感じられるのなら、
どんなに失敗しても、未来がある。
私は天使を信じるわ。
見るものすべてによいことを見いだすの。
私は天使を信じる。
時が私にとってふさわしいときに、川を渡ってみせるわ。
それが私の夢なの。


YouTubeで、歌うのを見たときもそうだったが、今こうやって文字であらためて読み返していると、なぜだか知らないが、涙ぐんでくる。