よく観光とは「既知のものを確認する儀礼的行為」などと言われるが(観光人類学や観光社会学で)、まさにそんな感じだった。
おわり。
もう少し、書くか。ストーンヘンジは、バースからバスで1時間のところにある。隣に座った人が僕よりずっと横幅の大きい人だったので、一種の苦行を強いられた。この苦行を終えると、聖地にたどり着く。レシーバーで、日本語のガイドを聞きながら石の周囲を回る。すべての説明を聞いたり写真を撮りながらゆっくり回っても50分で終わってしまう。土産を見て1時間。これで出発の時間になる。そして、また1時間バスですし詰めになる。ファン・ヘネップの言う「隔離─変容─再編」ではないが、これで僕もストーンヘンジ経験者の仲間入りである。
ストーンヘンジの説明についてはガイドブックに書いてあることやWikipediaに書いてあることで足りる。ネットで「ストーンヘンジ」と検索すればよい。途中、ちょっとニューエイジャー風の女性(民族風ファッションにぼさぼさの金髪で石のブレスレット)がベンチにあぐらをかいて座って目を閉じていた。
自然物ではないが、真の建造の意図がわからない遺跡に、あとから何重にも神話が重ねられるのは、グラストンベリーのものと似ている。ヒールストーン(かかとのような石)と中央の石を結んだ直線が太陽の昇る場所と重なる夏至には、ニューエイジャーやペイガンが集まる。
http://www.new-age.co.uk/stonehenge-solstice-pics-2004.htm
こうやって集まる人が、一体どこからどこまで何を信じているのか。いつか、夏至のときに訪問してみたいものだけれど、無理だろうなあ。6月なんて前期のまっただ中にストーンヘンジに行きます、なんて同僚の間で通じるわけがない。今年しかないのか。また行くか(笑)。いや、まず、自分で行く前に、文献やネットをよく調べること。多くの場合は、それで知りたい情報のかなりが分かるし。
あえて何か書くとすれば、結局、ニューエイジやスピリチュアリティの領域はほとんど何もかもが「観光化」されているということである。観光化とは、いま何も文献がない状態でフリーハンドで説明すると、ある特徴を持った場所を遠くから訪れる人のために、その場所を整備し、知識や情報を提供し、何をどのように見るべきかを規定することによって、その場所を本質化し(ある部分をとりだし、それが全体を代表する本質であると決めつける)、それにまつわる伝統を「発明」することである。そして、それにまつわるサービスを商品化する。逆に言うと、商品化しやすいものが、文化や伝統の「本質」なるものを形成し、その文化や伝統を変容させてしまう。
このような「観光化」から、今日の文化や伝統はすべて免れない。本来の文化や伝統を復活させたいと思えば思うほど、知らないうちに「観光化」に加担することもある。
観光研究は、このような「観光化」を、文化や伝統を歪曲する取るに足らないものとして切り捨てるのではなく、現代世界の多くの地域が「観光化」している現状を見据えて、それを嘆くのでも助長するのでもなく、その有り様を研究するしかないというスタンスに立つ。
バースに帰ってから、ロイヤル・クレセント周辺の公園を散策し、木のストーンヘンジの中で立って目を開けたまま「瞑想」した(?)。







