起床。起床するやいなや前日の出来事のブログを書くのが習慣になってきた。
身支度し、朝食をとる。同泊している人たちとも会う。気功をやっているというオランダ人の若い男性、ウェールズから来たという女性、そして宿の経営者といっていいのだろうか、ミック・ジャガー似の女性ヒーラーと食事をとる。自己紹介をし、輪廻について発表するという話になり、一通り説明する。説明しながら、準備をしなきゃと焦ってくる。
今日は、いよいよグラストンベリーを見て歩く。まず、グラストンベリーの説明を簡単にしておく。ここには小高い丘があり、その上に塔のような古い建物がある。ここをグラストンベリー・トーア(Glastonbury Torr)という。塔はセイント・マイケル(聖ミカエル)の塔と言われる。トーアは6世紀頃に人々が定住した場所だとされている。史実かどうかは定かではないが、アリマテアのヨセフというキリストの最期を看取った人が紀元63年に最初のキリスト教のコミュニティを作ったとも信じられている。セイント・マイケルの塔は、14世紀に建てられた教会の一部で他は崩壊し、これだけが残っている。
同時に、ここは、アーサー王とその部下が死後に運ばれたという西方楽土の島、アヴァロンではないかとも言われている。元になっている『アーサー王物語』については、広辞苑を引用しておく。
「 六世紀のウェールズの武将、のちブリタニア王アーサー(Arthur)(実在か否か不詳)と円卓の騎士たちとを主人公にした武勇と恋愛の物語。古く九世紀初めの文献にその名が見え、一二世紀以降、フランス・イギリス・ドイツ三国を中心にヨーロッパ全土に伝播。中世後期にはトリスタン伝説や聖杯伝説も混入して韻文・散文の物語が成立。イギリスでは一九世紀の文学・絵画に復活、現代では映画やミュージカルにも登場。円卓物語。」
もともとこの辺一体は古くは海だったのが、オランダ人の潅漑技術のおかげで陸地になったそうである。そして、グラストンベリー・トーアも島ではなく、丘になった。実のところどこまでが伝説でどこからが史実なのか、僕もよく分からないので、この部分は、あとから修正する可能性がある。
昼に、チャリス・ウェルという庭園に行ってくる。この庭園も伝説に包まれているが、情報がちょっと整理しきれていないが簡単に説明する。まず、赤い鉄分を含んだ泉がある。伝説では、前述のヨセフが最後の晩餐で使われた聖杯とイエスの血の入った小瓶を丘に埋めたところ、泉があふれ出したと言うことである。これは奇跡の癒しをおこすと評判になり、古くから人気があったそうである。それを保護するためにチャリス・ウェル・トラストと呼ばれる財団が創設され、土地を買い取り、庭園にした。その赤い水は飲むこともできるが、鉄分を多く含むので決しておいしくはない。
今日は、キリスト教でいうイースター、復活祭である。このチャリス・ウェルでも、イースターのためのサービスをおこなうということを聞いてやってきた。まず輪になって礼拝。泉が流れ込んできてできている長方形の水たまりがあり、浄めをすることができるスペースになっているのだが、そこで足を浄め、別の人が拭き、香油を塗って靴を履かせる。それをお互いにやる。


最初の礼拝の途中から来たので、遅れて見ていたが、主催者っぽい女性にちょっと声をかけてみたら、やってみるかという話になり、やってみる。
手を取ってもらい、水たまりの中を歩く。水はけっこう冷たい。と思っていたら、最後には頭のてっぺんがキンとなるほど冷たくなってきた。足が麻痺してくる。その上、鉄分でそこがすべりやすくなっている。これは手を引いてもらえないと歩けない。水から上がるとそれだけで暖かく感じる。その足にやさしく香油を塗ってもらう。足先だけ、死と復活を遂げたような感じ。
その後、主催者らしき女性が中心となり、手をつないで輪になって祈りを捧げる。アラム語の主の祈りとか、オームのマントラを唱える。宗教的には雑多である。もちろん、既成のキリスト教の教会による儀式ではない。このサービスの案内のビラには、主催団体の名前は何も書いていない。その謎はあとで解ける。
その後、近くにあるパブで、イースター・エッグの卵転がしをやるというので参加。

ゆで卵に自分の名前を書き、グラストンベリー・トールの丘の上から転がすというのである。

これをやると、ついでにトールにも登れるということになる。
みんなでトールを登る。



トールの上はとても気持ちよかった。

やがて卵転がしの主催者のような海賊のような格好をした男性がやって来る。そして、剣を抜いて、「いいか、この卵はおまえたちの命だぞ」といって、一斉に転がすように命じる。


転がして、止まると、また転がす。


僕の卵は、途中で白身が剥け、最後は黄身だけになって転がった。そして何とか、下まで転がり落ちた。

ふもとで耳のとがったホビット(のコスプレをした女性)に妖精の粉のようなものをかけてもらう。

トールのふもとにある白い泉と赤い泉を訪れる。赤は鉄分を含み、白は石灰を含む。赤は女性の月経の血、白は男性の精液を思わせるからだろうか、それぞれ、女性と男性を象徴するという。その白い泉のほうは洞窟のようになっている。ここで不思議な写真を撮ってしまった。

見にくいかもしれないが、壁の上から水がこぼれ落ちている。その水から怪しげな光がこちらに向かって流れ込んでいるように見える。条件としては、フラッシュを使用し、ロウソクに露出を合わせて取った。同じ条件で撮った別の写真は何ともない。

自分自身、こんな写真を撮ったことがないので戸惑う。ここでは不思議な写真がよく撮れるのだそうだ。普通はもやがかかったような感じになるのだそうだ。よくデジカメでフラッシュを使うとオーブという光の玉のようなものが取れるが、それは最近ではあまり珍しくもない。何か物理的な原因があるのではないかと思ってしまう。でも、これはどうだろう。オカルト番組の「本当にあった怖い話」に投稿したら、いわゆる「心霊写真」の類いに入れられるかも。良い感じがするか、というと、それほどでもない。心霊的なものとは、ただ明るくて善なるものとは限らない。どこかに恐さがある。
この洞窟のようになっている建物、あるいは建物のように整備された洞窟の中で、人々はロウソクを捧げたり、歌ったりする。僕が行ったときは、女性がアメイジング・グレイスを歌っていた。他に、奇声のような高い声を発する人も。
先ほどのエッグ・ローリングを主催したパブで、野菜サンドウィッチを食べたあと、再びチャリス・ウェルに入る。そこで写真を撮っていると、先ほどの足を洗う儀式を司っていた女性に声をかけられ、写真のアドバイスをされる。
そして長~く話し込む。
先ほどの儀式は、何か団体が主催となっているわけではなく、彼女が呼びかけ、宣伝をし、人々が集まってきただけとのこと。あの場には、もともとの知り合いなどはいないそうである。そこで、彼女にキリスト教徒なのかと尋ねると、
「違う、私はスーフィーです」と答えられる。
スーフィーとはイスラームの神秘主義者のことである。そこで、ではムスリム(イスラーム教徒)ですか、と尋ねると
「いいえ、ムスリムではありません」と答えられる。
彼女いわく、イスラームとは宗教のことであって、スーフィーとは神秘家のことである。ムハンマドも修行をして啓示を受けており、スーフィーだという。スーフィーはイスラームよりも昔からあったのだという。
もちろん、この話は正統派のイスラームでは通じない話なので、ご注意を。
長々と聞いた話を整理する。彼女の両親は無宗教に近かったが、彼女はキリスト教の教会に熱心に通った。両親からは馬鹿にされた。その後、20代に荒れた生活を送り、夢で山を見て、そこに行けと言われる。スイスの山へ言われた通りに行くと、夢で見た通りの山だった。そこでヒンドゥーの寺院に出会い、まずヒンドゥーに回心。その後、スーフィーの指導者に出会い、その指導を受け、彼女の命令を受け、グラストンベリーに派遣され、今日に至る。なぜここかと言えば、グラストンベリーでは彼女の仕事を必要としている人がたくさんいるというのが理由だそうである。その後、今から7年くらい前に、チャリス・ウェルで転んで背骨を折る。彼女いわく、それは自分にとってイニシエーションだったという。グラストンベリーではそういう形でのイニシエーションを経るという話は珍しくないそうである。できれば、あまり試練は受けたくないものだが。。。
彼女はヒーラーであり、サイキックでもある。話しているうちに、僕自身の話になる。盛んに
「もっと経験をしろ、行動をしろ、観察ばかりせず、殻に閉じこもらずに、外に出ろ」と言われる。
「そうすればもっともっとエネルギーがあふれ出てくるのに、あなたを見ているとそれを押さえつけている。話をしていても、エネルギーが閉ざされているのが分かる」
と言われる。いつの間にか、僕のことをリーディングしてくれていたようである。
「本当に理解していますか?」と何度も念押しされる。
「僕は僕なりに、信じている立場の人と、信じない立場の人の両方を理解したい。自分の立場はミディアム(媒介者、霊媒という意味もある)のようなものだ。そのような仕事に、深く関わっているのだ」
ということを伝えたいのだが、
「それでは距離をとった関わりにしかならない」
と言われ、平行線をたどる。彼女のコミュニケーションの仕方は、カウンセラーやセラピストとより、宗教家に近い、と感じた。
ちなみに彼女の師匠はLlewellyn Vaughan-Leeで、そのまた師匠はIrina Tweedieという人だそうである。
http://www.goldensufi.org/
夕方になり、彼女も関わっているというスーフィーの集まりに参加する。彼女自身は娘さんとの用事があり、参加できないとのこと。
場所は古いカトリックのチャペル。

木の柱と石組みをセメントのようなものでつなぎ合わせたような、非常に古い建物で、質素な十字架が置かれている。そこで老若男女、それほど偏りのない20名ほどの人々が輪になって、アラビア語のチャントを唱える。短い文句で歌のような旋律を持ち、それを繰り返す。真似しながら加わってゆく。今回、見ることはできなかったが、アラビア文字ではなくアルファベット化した、チャントをメンバーは渡され覚えるようである。身体を揺らしながら、何度もチャントを唱える。それが瞑想のようでもあり、トランス状態を引き起こす儀礼のようでもある。30分くらいは続いただろうか。それが終わると、分かち合いのようなものをする。好きなことをしゃべるという感じだろうか、数人の人がしゃべる。そして、ハイビスカスのお茶が出され、ポテトチップスやチョコレートやナッツなどのスナックが回され、おしゃべりをする。輪になると言っても、男女に別れているので、男性ばかりに声をかけるが、皆自分はムスリムだと答えてくれた。だが、誰も生まれつきのムスリムはいない。ある人は、2年くらい前に回心し、さらにその5年前くらい前にはチベット仏教に回心したと話してくれた。
それから日没前の祈りをマッカのほうに向かって行う。グラストンベリー・トーアがあるのと同じ方向なのが、内心、気になった。
祈りは普通のムスリムの祈りと変わらない。僕はムスリムの祈りは何回か見学をしているが、参加したことはない。今回、参加することができてとてもうれしかった。はた目に見ていてムスリムの祈りは、とても厳かだが、同時に和やかで友好的に見える。知らない人同士でも同席して祈りを捧げれば、捧げ終わったあとは、お互いに握手をして、談笑しあう。
今回、参加した集まりは、宗教学的に見てもとても興味深い。そこにいた人たちの多くは、最近回心したムスリムのようだ。しかし、また別の集まりもあって、そこはムスリムではない人のほうがもっと多いようだ。今回のグループは女性はスカーフで髪を隠していたが、別のグループの女性はこだわらないようである。1日に5回の祈りは、今回のグループでも、それほどこだわっていない人もいるようだった。
イスラームと言えば、ニューエイジ・スピリチュアリティの領域ではほとんど聞いたことがない。先の日記で、スーフィーはもっと注目されるようになるだろうと書いたばっかりだが、すでにそういう動きが出ているのだろう。日本でも、もっとムスリムが増えていけば、そういう動きが起こるかもしれない。「そういう動き」とは、神秘的実践としてのスーフィーの儀式や瞑想に関心を持ち、宗教としてのイスラームへの回心に関わりなく、個人的に参加するという動きである。
日本では、さまざまな宗教が共存する日本の多神教の風土は寛容で、一つの神だけを信じる一神教は不寛容であり、これからの世界には日本的な考え方が必要だというナショナリスティックな言説がある。しかし、僕は、そのような言説は不寛容に感じる。一神教は不寛容で、多神教は寛容だと断言することはできない。なぜなら、あまりにも例外が多すぎるからだ。
いずれにしても、ここグラストンベリーほど多様な宗教的要素が入り交じっている場所を、僕はこれまで知らない。