「お兄さん。靴を綺麗にしませんか。」
寺院の前で靴磨きの少年から声をかけられた。
これから汚い靴で寺院を汚すのも忍びないし、
せっかくなので磨いてもらった。
「ウズベキスタンは初めてですか?
マサルカンドを楽しんでいますか?
ここはとても素晴らしい都市ですよ。」
「うん。初めて来たけれど、
特に人がいいね。」
シルクロード上にあるサマルカンドは、
オアシス都市として紀元前から発展してきた。
13世紀、モンゴルに破壊された後も
14世紀には有名なティムール帝国の首都として繁栄し、
“文化交差点”の名残を感じさせる建物が今も多く残る。
「ハイ。できました。」
少年にわずかな代金を渡す。
彼は歳にすれば10歳ぐらいなのだろうか。
幼い笑顔を僕に見せた。
「ありがとう。
お兄さん、この街を楽しんでね。
ご飯もとてもおいしいですよ。」
「そうか。どこかオススメはあるかい?」
僕が少年に街のことを尋ねていると、
一人の老人が声をかけてきた。
「仕事に区切りはついたかね?」
「あ、おじいちゃん。
はい、今お兄さんの靴を磨き終わりました。」
「じゃあ、昼ご飯を食べにきなさい。
そちらの旅の方もご一緒に。」
老人と少年について寺院の中に入ると、
修復工事の足場を組んでいるあたりに料理が並べられ、
数人の若い男達が昼食を食べていた。
「お帰りなさい。」
男達の挨拶に老人は黙って頷いた。
少年は男たちに挨拶をした。
僕も習って挨拶をした。
そして僕たちは床に座り、昼食に加わった。
老人と男達はタイルの修復や保全を行っている職人で、
まさにここはその現場だった。
サマルカンドの寺院は世界遺産にも登録されているもので、
その修繕を担う老人は確かな腕なのだろう。
「たくさんお客さんは来たかね。」
老人が少年に声をかける。
「いえ、今日はあまり来ていません。
でも午後からはきっとたくさん来てくれると思います。
僕は頑張って声をかけます。」
「そうしなさい。君は良い子だぞ。
仕事が終わればうちに来なさい。」
少年は寺院に青く輝くタイルの美しさに魅入られ、
いつしかタイル職人へ憧れを抱くようになった。
彼は年老いて何処にも雇ってもらえない父親に替わって
靴磨きをして家族を養いつつ、
ここに出向いて職人になるための勉強させてもらっているのだ。
ほとんどは老人が教えてくれていたが、
若い職人たちも親切にしてくれた。
少年はいずれ家の家計が向上に向かうか、
あるいは職人としての腕をある程度身につけることができれば、
ここの一員になりたいと思っている。
少年が老人や、他の職人たちに向ける眼差しは
大いなる尊敬に満ちたものだった。
僕は皆と夕食を共にする約束をし、
他の観光地へと向かった。
教えてもらったお茶屋でのひとときは、
地元の息吹を肌で感じられて、
とても得をした気になった。
****
夕食に出かけるため、
18時に再び広場にやってくる。
だが出迎えに来た若い職人が僕に告げたのは、
夕食の中止とそのお詫び、
そして老人が倒れてしまったということだった。
職人に付いてもらいながら
病院に向かった。
****
5階建ての病院は最近建て替えられたばかりで、
入口付近のロビーは吹き抜けになっていて
いかにも近代的な造りだった。
しかし、患者や医療関係者しかエレベーターは使えず、
僕たちは歩いて5階の病室に向かった。
**
ドアを開けると、
少年をはじめ若い衆がベッドを囲んでいた。
老人の顔は青かったが、
意識はしっかりしていた。
彼は僕に詫びた。
「夕食の約束を守れなくて済まないね。
君がいましばらくこの街に残ってくれれば連れていけると思うんだが。
でもすぐに行ってしまうだろう?
済まないね。」
「気になさらないでください。
僕は昼食に招いていただけただけでも感謝しています。
夕食は次の楽しみにとっておきましょう。
ですから、どうぞ今はご静養を、、、。」
「済まないね。」
その日は宿に帰って寝た。
****翌朝。
少年と共に朝から病院に見舞いに出かけた。
老人が好きだという銘柄のビスケットと
新しい帽子を買って持っていくと、とても喜んでくれた。
「早くこの帽子がかぶれるように元気にならないとな。
こんなところでねぼけているわけにはいかん。」
老人は調子良く、
歌もうたってくれた。
それはまるで病人とは思えないほどで
顔色も昨日より赤みもさし、元気に見えた。
「さあ、仕事に行っておいで。」
「うん、おじいちゃん、行ってきます!」
病院に来るまで不安そうにしていた少年は
安心した表情で病室から出て行った。
僕は老人と少し話した。
昨日見てきた観光地のこと。
サマルカンドとシルクロードの歴史。
ティムール帝国のこと。
そして今のウズベキスタンのこと。
少年への期待。
そして、、、
「青年よ。君はどこから逃げてきた?」
老人は唐突に投げかけてきた。
僕は言葉に詰まった。
「別に、、、逃げとか、そういうつもりじゃ。」
「いい、いい。
たくさん後悔することがあっていいんだ。
後悔は最高の肴になるからね。
日にあてて、
煙であぶって、
忘れないようにしておきなさい。
甘くて、
苦くて、
辛くて、
酸っぱくて、
痛くて、、、
ちょっとそこらへんじゃ
手に入らないものだから。」
「おじいさんは、、、」
「たくさん持っとるよ。
この身体の中にな。
しっかりと覚えとるよ。
こうしてベッドにいる時にはありがたい。
時間はたんとある。
あの手この手で噛み締められるよ。」
****
僕は午後をお茶屋でぼーっと過ごした。
生まれて28年、
汚れた天井に自分の生涯を描いていく。
たまに目を閉じ、
胸をしめつけ、
そして何度も溜息をしながら。
その間、
少年はあの広場でまた靴磨きをしているのだ。
****
夕方、仕事を終えた少年と病室を訪ねた。
今日はたくさん客が取れたこともあって、
少年には昨日のような不安な表情はない。
彼は仕事に就けない父がいる家にいるよりも、
この老人といる時間が好きなのだ。
自分がやりたいタイル職人の大先輩だったし、
老人はとても彼に優しくしてくれる。
「こんばんは。具合はどうですか。」
少年が病室に入ってそう言った。
病室にはベッドが3つあるが、
手前の2つのベッドは空いている。
一番奥に老人が居た。
「おじいちゃん、来ました。
こんばんは。」
老人の返事はなかった。
「おじいちゃん。」
少年がもう一度呼んだ。
でも沈黙が応えるのみだった。
少年は僕の方を向き、
寝ているのかなあ、ねぼすけだなあというジェスチャーを見せた。
だが目の奥が揺らぎ始めていて、
笑顔はなにかいびつだった。
「おじいちゃん、、、、。」
僕が少年の肩に手を置くと、
少年は僕にしがみついて、
声を出さずに泣いた。
泣いて、
泣いて、
泣いた。
声も出さずに。
僕の胸ほどまでしか身長がない少年。
僕は黙って、彼の背中をさすっていた。
しばらくして、
僕は階段を降りて看護士を呼んだ。
老人はたくさんの後悔を豊かに抱え、
たくさんの尊敬を浴びながら眠ったのだ。
*****
****
***
**
*
僕はバスに乗り、サマルカンドを離れた。
固い座席で目を閉じる。
「君は良い子だぞ。
仕事が終わればうちに来なさい。」
目を輝かせる少年と
老人の姿を思い出しているうち、眠りに落ちた。
キングクリムゾンの曲を聞きながら
電車の中でもの想いにふける。
Tears of joy at the birth of a brother.
Never alone from that time.
Sixteen years through knife fights and danger.
Strangely his life not mine.
West side skyline crying.
Fallen angel dying.
Risk a life to make a dime.
Lifetime spent on the streets of a city.
Make us the people we are.
Switchblade stings in one tenth of a moment.
Better get back to the car.
Snow white side streets of cold New York City.
Stained with his blood it all went wrong.
Sick and tired blue wicked and wild.
God only knows for how long.
Fallen Angel.
Fallen Angel.
West side skyline crying for an angel dying.
Life expiring in the city.
Fallen angel...
自分の意志で正しい道を選択する余地などない、
抜き差しならない状況というもの。
これが人生の過程において
思いがけずやってくるものだ。
人は皆、運命の奴隷だ。
だが眠れる奴隷は、
いつか目覚めて意味を見出す。
///
///
そしてうたた寝から目覚めると、
ボッキ戦争勃発ポーツマスポーツマス状態だった。
車内では「三宮~間もなくドアが~」のアナウンス。
突っ張ったまま、
前屈みで、
駆け出した!
戦いは始まったばかり!
中国から鉄道でウラジオストックに来た。
ピロシキを売ってる店を探した。
僕は揚げパンがやたらに好きなので、
ロシアに来たからにはこれを食べたいと思っていた。
小さなパン屋でレジをしていたお姉さんは
スラっとしていてグンバツの美しさだった。
「スパシーバ!(ありがとう)」と
僕が言うと、彼女は満面の笑みを浮かべた。
ロシアの若い女性は美人が多い。
昔フランスのムーランルージュを見たときも
トップダンサーの女性はロシア人ということだった。
素晴らしいことよな、
と思いながら広場の階段でピロシキにほおばりつく。
薄くてサクっと揚げられたパン皮の中に、
まだ充分に熱を残した肉が詰まっている。
噛む度、口の中に肉の熱い汁がジュワっと溢れる。
恍惚。
こういううまいものがあるから
人は生きていけるんだ。
と食べている時は思う。
サクッ、ジュワ。ハウワー。
(仕事がつらい時などは
だから人は自殺するのだ、
などと思う)
「あなた、日本人?」
2つ目を食べている途中、
赤い、上品な服を着た女性から声をかけられた。
「ついてこれる?」
「あ、はい。
汝の御心のままに。」
女性と一緒にタクシーに乗りこんだ。
「日本から船で来たの?」
「ええと。日本発、中国経由でロシアに来ました。」
「そう。」
お姉さんは29歳だというが、本当は分らない。
それよりはるかに老けて見えるからだ。
でも白人はみんな年齢より老けて見えるものな。
逆にアジア人は若く見える。
イタリアの列車で出会ったマレーシア人は
てっきり年下だと思って気軽に声をかけたのに、
33歳で所帯持ちだった。
なんなんだ。
僕は2階建ての白い家に招かれた。
ロシアの民家を知らないので
どういうものが平均的な造りなのかは分らないが、
そうとうに大きい家だと思う。
奈良に住んでるバア様の家の10倍ぐらいある。
家具は多分、高級なものなんだと思う。
でも幾分か古いものだ。
ネットオークションなら高値がつくかも知れないが
ガレージセールだと買いたたかれるかも知れない。
お姉さんは僕をある部屋に案内した。
リビングらしきところ。
30平米ぐらいのスペースにいくつもソファが置かれ、
テーブルには酒(例によってウォッカを含む)やジュース、
たくさんのグラスが散乱していた。
そして大音量で流れているMTVの音楽にノる、
若者たち(多分みんな僕より若そうだ)。
彼らはお姉さんと僕の姿を確認すると、
小さく手を振って、またMTVにのめり込んだ。
「ここでくつろいでるといいわ。
ずっとね。」
「ありがとう。」
とはいえ、、、
僕はもうあまりMTVを楽しめない。
随分たくさんのジャンルを通り過ぎて、
気づけば電波に乗らない音楽ばかり聞いていた。
MTVのロシア人VJのまくり立てる言葉を聞きながら、
「聞き取れなければ、
ロシア語もフランス語もドイツ語も一緒だな。」と思った。
FM放送など、とかくハイテンションな喋りを聞くと、
同じように聞こえる。
それはつまり、僕に語学能力が皆無ということか。
「どこから来たの?」
と若者ひとりが尋ねてきた。
若者たちは17歳から23歳である。
男もいれば、女もいた。
彼らは普通の家庭に育ったロシア人や、
僕と同じように旅の途上にあるヨーロッパ人だった。
いつものように
日本で調達してきた成人向け雑誌をリュックから取り出す。
青年ラザロに見せると、おおいに喜んだ。
「日本人て、、顔はロリータなのに、
スタイルの良い子が多いね。」
「ラザロ。エンジョイしてくれ。
日本のエロスは奥ゆかしいんだ。
かゆいところに手が届く多種多様なエロは
まさに日本人の精神のなせる業だよ。
戦後、ソニーを立ち上げた井深氏も・・・(略)」
だいたい僕は適当なことを話してしまう。
この性格をどこかであらためたい。
彼らから、お姉さんのことを聞いた。
1、
名前は分からない。
お姉さんが言わないので聞かない。
2、
年齢は29歳、、、らしい。
お姉さんがそう言うのでそれ以上聞かない。
3-1、
昔、軍幹部の愛人であった。
後に彼は軍を離れ、
軍備製造する国営企業に転勤。
癒着。
利権にありついていたのだが、
政局の変化により利害関係が対立した
政治家によって彼とその家族は事故死、
つまり暗殺された。
お姉さんは
この家やけっこうな財産を受け取った。
やれオリガルヒだ、とか中産階級が増えたとか
最近はとくにロシアの話題を聞くようになったが、
昔からの金持ちだった。
3-2、
この愛人の彼のことは
理屈抜きで好きだった。
まなざしがいいとか、
富があるとか、
職業に闇があっていいとか、
声がすてきとか、
ご清潔でご誠実だとか、
心根が優しいとか、
価値観が一致しているとか、
そんなものではなかった。
そういう説明はつねに不十分だし、
あれこれ条件を言うのはそれ自体無粋だ。
相性を直感しあい、
一切が精緻な細工物のように
ピタリとなじんで適合したのだ。
4、
部屋にいる若者は皆、街にいる時に
あのお姉さんに声をかけられたということだ。
お姉さんは若者と街に遊びに行ったり、
あるいは寝たりする。
ベッドを共にするだけで性交渉をしないこともある。
つまり、時々性交渉をする。
5、
お姉さんは普段、2階の自室に座っている。
ベッドに行かずに
そこで座ったまま寝ることもしばしば。
6、
お姉さんは、小遣いをくれる。
//////
/////
////
///
//
/
僕はトイレに行ったついでに、
そっと2階へ上がった。
そしてそれらしき部屋の扉をそっと開けた。
(この扉、廊下側はなんの変哲もない扉なのだが、
内側のドアノブは猫をあしらっていた。
猫が、向こうをむいている。)
部屋は暗かった。
空はもう黄昏時を過ぎて、
藍色よりも濃い藍色が一帯を覆っている時間だ。
||||||||||||||||
その部屋にはクローゼットがあり、
化粧台があり、テーブルがあり、椅子があり、
なにも特筆すべきことはない。
ただ、浅く、ほんの数センチの水が張られている以外は。
あとは、、、天井に電球がなかった。
灯りは大きな大きな窓から差し込む光に頼るだけである。
月明かりが静かに弱々しく
部屋に差し込んでいた。
この水の張られた部屋。
ここがユダの荒野であるかの錯覚を感じさせる。
水面は一匹の魚も住まない死海のように、
永遠の沈黙を感じさせる。
ただモアブの黒い山影をうつすだけ。
実際、水面に映っていたのは
椅子に座るお姉さんだった。
「私は、あなたを愛しているのよ。」
とお姉さんは言った。
僕は黙っていた。
「あなたがいなくなったら、
私は涸れた川のようになってしまう。
そうなってしまえば、、、
花も魚も命ある潤いあるものはもう戻らない。
愛されないのは大きな苦痛だけど、
愛することができないのは生の中の死よ。」
「愛する人を得ることは最もよい。
愛する人を失うことはその次によい。
BYジョジョの奇妙な冒険4巻。
お姉さん、
僕や、あの部屋にいるラザロたちが
旦那さんの代わりになれているのか分からない。
お姉さんはきっと、
自分を食いつぶして楽しんでいるんだ。」
「アツイこと言うわね。」
「燃え尽きるほどヒートです。
震えるぞ魂のビートです。」
「、、、これは私の趣味なんだ。
あなたもそのうち、手込めにしてやるからね。」
て、手込め、、、。
年増の女性に妖しく言われた思いがけない単語に
僕の股間はピッコーンと反応した。
(チンポコピーン! by 吉田ヒロ)
「そんな大きな話に受け答えできるほど、
僕は自分を持っていないんです。
もうちょっと一人で旅させてください。」
「、、、だいたい、みんなそうなのよ。」
「失礼します。」
部屋から出て扉を閉めようとすると、
ロシア民謡が聞こえてきた。
寒い国の持つ哀愁に帯びた
短調のメロディー。
♪
悲しい歌 うれしい歌
たくさん聞いたなかで
忘れられぬ一つの歌
それは仕事の歌
イギリス人は利口だから
水や火などを使う
ロシア人は歌をうたい
自らをなぐさめる
親は倒れ 死の間際に
息子に残すものは
貧しい暮らし
つらい運命(さだめ)
悲しい仕事の歌
この若者よ
前へと進め
さあ みんな前へと進め
////
///
//
/
こうして僕はお姉さんの元を去った。
かすれた歌声の余韻を胸に残しながら。
だが15分ほど歩いて広場に出た瞬間、
成人向け雑誌をラザロに渡したまま
取り返していないことに気付いた。
「うお、、エロ本が、、、!!
アレがないと、、、アレがないと、
とにかくダメなんだ。僕は!」
小走り気味に取りに帰った。
家の扉は閉ざされている。
ドアを小さくノックする。
「どちらさま?」というお姉さんの声が聞こえた。
今更顔を見せるのは恥ずかしいので走って逃げた。
軽いピンポンダッシュだ。
こうした経緯から、
僕は成人向け雑誌をあきらめ、
駅に向かうことにした。
|||
だが切符の販売窓口の親父は言った。
「だんな、夜行列車は15分前に出発したぜ。」
雑誌さえ取り返しにいかなければ、、、。
駅のベンチに寝転び、グラビアを思い出しながら
股間をなでているうちに眠りについた。
朝、目覚めるとパンツがカッピカピになっていた。
ノミは石粒の上に乗せられている。
___跳ねない。
ノミは糸にしがみついている。
___跳ねない。
見世物小屋の親父は
「どうだ、摩訶不思議だろう」という顔で
客ひとり一人と視線をあわせていった。
隣にいた鷲尾さんが
「かわいそうね」と僕に言った。
~~~
~~~~
~~~~~
バンコクには昼過ぎに到着した。
待ち合わせをしているスターバックスに急ぎ、
大学時代のゼミの友達、鷲尾さんと再会したのだ。
卒業後は建材メーカーに就職して営業として活躍、
今年の6月からバンコクの工場で
いくつかの部門の生産管理を任されている。
すごいね。
「ううん、正直全然ついていけてないし。
いっつもパニクってるよ。」
市街地で彼女のショッピングにつきあった後、
ちょっとした祭がやっているというので
タクシーで連れていってもらう。
僕は大学3回生の時、
彼女に告白して一度フラれていた。
彼女に彼氏はいなかった。
「竹内君て人も良いし、面白い人やん。
なんか友達とか多いし。
私と釣り合わないと思うねん。」
僕はすがったけれど、
彼女の言葉が覆ることはなかった。
~~~
酸っぱいような、甘いような、
ぬるい匂いのする屋台や射的、
ハイスピードでまわるメリーゴーラウンド。
車や家具を売ってる屋台もある。
その奥に見世物小屋があった。
ナイフを腕に刺して微笑む女性や、
生首から内蔵が垂れたような絵が壁に書いてある。
西宮えびすにも見世物小屋があったけど、
入ったことはなかった。
「100円ぐらいやし、見てみよう。」
~~
~
いくつかのショーの後に
跳べないノミが現れた。
「サークルの先輩から聞いたんだけどね。
ああいうノミって、
捕まえられてからビンの中に入れられるの。
ビンの中で何度も跳ねて、
やがて跳ねることをあきらめる。
跳ねても、何処にも行けないって。
その様子を見て、見せ物に出す。
あと一度だけ、
跳んでみれば自由になるのに。
でも跳べない。
ううん、跳ばない。
跳ばないノミ。」
鷲尾さんはこちらに視線を向けず、
そう話した。
見世物小屋を出て、
フルーツジュースを飲んだ。
それからタクシーを拾った。
////
///
タクシーの中で会話をした。
「ちょうどさっきのノミと反対の生き物もいる。
クマンバチっていう蜂がいるでしょう。」
「うん。デカい、でっぷりしたヤツ。」
「そう。あれね。
あの蜂って羽の小ささに比べて体重が重くて、
科学力学的にはちょっと飛べない構造らしいの。
でも本人たちはそんなことおかまいなしで、
大空をスイスイ飛んでいる。重そうだけど。」
「“肩こり”って言葉がない国の人に
“肩こり”って言葉を教えたら、
その途端にその人が肩こりになったとか。
昔、イヌイットは地肌で氷の上で寝てたけど、
寒そうに服を着た欧米人を知った途端、
そのイヌイットが凍傷になったとか。
多分ネットで読んだ。
僕、ヒキコモリやし。」
「へえ、そうなのね。」
「うん。知らぬが仏とか言うけど。
跳ばないノミは、、、」
「着いたわ。降りて。」
鷲尾さんの家に着いた。
マンションの何室かを社宅にしているらしく、
ここの6階の一室に彼女は住んでいる。
跳ばないノミは
どんな心地で生きているんだろうか。
くじけて、そのまま。
////
////
////
シャワーを浴びて、
ビールを飲んで、
そして深夜になった。
「折りたたみの簡易ベッドがあるけど、
出すの手伝ってくれる?」
「いいけど、、、ねえ、鷲尾さん。
一緒のベッドに入ったらあかんかな。
僕は下ネタには興味あるけど、
実際のプレイにはあまり興味ないタチやねん。」
「ホントに?」
「うん。ホント。
ホントやで、、、多分。」
「多分って自分で言ってるやん。
いいよ、一緒に寝よう。
でも、、、あかんからね。」
「うん、腰より下は触らへんよ。」
「腰より上もダメよ。」
ベッドに入って二人で話をした。
仕事のこと、
子供の頃のこと、
将来何歳で結婚したいかとか、
子供は欲しいのかとか。
「クマンバチに
『お前、本当は飛べないんだよ』だなんて、
誰が言っても聞こえないからいいわ。
もしハチに言葉が通じたら、
きっと意地の悪い人が、ううん、
良心ある普通の人だって不意に言ってしまうと思う。
悪気なく。なんて思うんだろうね。言われたら。」
「突っぱねるやつ、落ち込むやつ、
いろいろいるだろうね。
僕がハチだったら、
“現に今飛んでるやん”って突っぱねて、
あとで一人になった時に不安になってきて、
で、飛ぼうと思ったら飛べなくなってるとか、
そんなパターンかも知れないな。」
「でも、きっと竹内くんだったら
どこかで区切りをつけて
また飛んだりできそうよ。
みんな、めげずに飛び続けて欲しいわ。」
「そうやね。みんなめげずに。
あ、そうや鷲尾さん。
クイズだすよ。」
「クイズ?どうぞ。」
「人や動物の血を吸って生きている昆虫はノミ。
では、そのノミには脚がある?ない?」
「・・・は?」
「ノミには脚がある?ない?」
「ある。」
「ピンポンピンポン。正解!
続いて第2問、、、」
「そろそろ寝ましょう。」
鷲尾さんは灯りを消した。
////
////
////
暗闇の中にだんだん目が慣れてくると、
彼女の寝姿がうっすら見えてくる。
パジャマの第二ボタンが外れかかっていて、
よれた布の隙間から、彼女の乳房がちらりと見えた。
彼女はブラジャーを付けていない。
僕の脳裏にまた、跳ばないノミの姿が浮かんだ。
脱出可能なのに、刷り込みのせいで跳ばないんだ。
哀れなノミ。
僕はどうだ。
彼女のことばかりじゃない。
僕は恋愛で失敗ばかりしてきた。
その歴史を擬音にしてみれば、
ヨター、コケー、ズコーだ。
だからもうそんな散々な目には遭いたくない。
積極的になんて、もうならない。
そう思っていた。
でも、目の前にいる鷲尾さんの乳房はなんだ。
あのパジャマのボタンの止め方、、、
これはきっと僕を誘っているんだ。
思えば、
彼女は男である僕を自分の家に泊めてるんだぜ。
きっとその気があってのことに相違ない。
そうだ、勇気を振り絞るんだ。
言え、アタックしろ、俺!
僕は鷲尾さんの肩を触った。
彼女はうっすらと目を開けた。
「ん、なに?竹内くん。」
「オ、オッパイに接吻がしたい!!」
「・・・ソファで寝て。」
////
////
ソファに小さくなりながら考えていた。
僕は跳ばないノミじゃなくて、
やっぱり、跳べないノミだった。
ああ、失敗してしまった、、、。
いや、待てよ。
クマンバチの話をしてる時、
彼女はなんて言ったっけ?
「めげずに、飛び続けて欲しいわ。」
そうだ。
さっき断ったのは僕に試練を与えたんだ。
僕を試してたんだ。
もう一度チャレンジすれば、
彼女はきっと受け入れてくれるだろう。
きっとじゃない、絶対だ!
僕は彼女のベッドに近づき、言った。
「オッパイに接吻がしたい!!」
「・・・・・。」
「乳首に接吻がしたい!!」
「・・・床で寝て。」
ズッコケーーーーー!!
やってしまった!!
僕は荷物をまとめて
ベランダからハングライダーで逃げ出した。
科学力学的に、、、とかいう彼女の言葉が脳裏をよぎった途端、
グライダーは滑降し始め、
マンション前の道路に停めてあった車のボンネットにダイブした。
病院のベッドで朝を迎えた。
海外旅行用の保険に入っておくべきだったと後悔した。
飛ばなければよかった、とも後悔した。大後悔時代突入。




