ピロシキ


中国から鉄道でウラジオストックに来た。


ピロシキを売ってる店を探した。
僕は揚げパンがやたらに好きなので、
ロシアに来たからにはこれを食べたいと思っていた。

小さなパン屋でレジをしていたお姉さんは
スラっとしていてグンバツの美しさだった。

「スパシーバ!(ありがとう)」と
僕が言うと、彼女は満面の笑みを浮かべた。

ロシアの若い女性は美人が多い。
昔フランスのムーランルージュを見たときも
トップダンサーの女性はロシア人ということだった。

素晴らしいことよな、
と思いながら広場の階段でピロシキにほおばりつく。

薄くてサクっと揚げられたパン皮の中に、
まだ充分に熱を残した肉が詰まっている。
噛む度、口の中に肉の熱い汁がジュワっと溢れる。

恍惚。

こういううまいものがあるから
人は生きていけるんだ。

と食べている時は思う。
サクッ、ジュワ。ハウワー。
(仕事がつらい時などは

 だから人は自殺するのだ、

 などと思う)



「あなた、日本人?」

2つ目を食べている途中、
赤い、上品な服を着た女性から声をかけられた。

「ついてこれる?」

「あ、はい。
 汝の御心のままに。」

女性と一緒にタクシーに乗りこんだ。

「日本から船で来たの?」

「ええと。日本発、中国経由でロシアに来ました。」

「そう。」


お姉さんは29歳だというが、本当は分らない。
それよりはるかに老けて見えるからだ。

でも白人はみんな年齢より老けて見えるものな。
逆にアジア人は若く見える。
イタリアの列車で出会ったマレーシア人は
てっきり年下だと思って気軽に声をかけたのに、
33歳で所帯持ちだった。
なんなんだ。




僕は2階建ての白い家に招かれた。


ロシアの民家を知らないので
どういうものが平均的な造りなのかは分らないが、
そうとうに大きい家だと思う。
奈良に住んでるバア様の家の10倍ぐらいある。


家具は多分、高級なものなんだと思う。
でも幾分か古いものだ。
ネットオークションなら高値がつくかも知れないが
ガレージセールだと買いたたかれるかも知れない。

お姉さんは僕をある部屋に案内した。
リビングらしきところ。

30平米ぐらいのスペースにいくつもソファが置かれ、
テーブルには酒(例によってウォッカを含む)やジュース、
たくさんのグラスが散乱していた。

そして大音量で流れているMTVの音楽にノる、
若者たち(多分みんな僕より若そうだ)。

彼らはお姉さんと僕の姿を確認すると、
小さく手を振って、またMTVにのめり込んだ。


「ここでくつろいでるといいわ。
 ずっとね。」

「ありがとう。」


とはいえ、、、
僕はもうあまりMTVを楽しめない。
随分たくさんのジャンルを通り過ぎて、
気づけば電波に乗らない音楽ばかり聞いていた。

MTVのロシア人VJのまくり立てる言葉を聞きながら、
「聞き取れなければ、
 ロシア語もフランス語もドイツ語も一緒だな。」と思った。

FM放送など、とかくハイテンションな喋りを聞くと、
同じように聞こえる。
それはつまり、僕に語学能力が皆無ということか。


「どこから来たの?」
と若者ひとりが尋ねてきた。



若者たちは17歳から23歳である。
男もいれば、女もいた。
彼らは普通の家庭に育ったロシア人や、
僕と同じように旅の途上にあるヨーロッパ人だった。

いつものように
日本で調達してきた成人向け雑誌をリュックから取り出す。
青年ラザロに見せると、おおいに喜んだ。

「日本人て、、顔はロリータなのに、
 スタイルの良い子が多いね。」

「ラザロ。エンジョイしてくれ。
 日本のエロスは奥ゆかしいんだ。

 かゆいところに手が届く多種多様なエロは

 まさに日本人の精神のなせる業だよ。

 戦後、ソニーを立ち上げた井深氏も・・・(略)」

だいたい僕は適当なことを話してしまう。

この性格をどこかであらためたい。




彼らから、お姉さんのことを聞いた。


1、

 名前は分からない。
 お姉さんが言わないので聞かない。


2、

 年齢は29歳、、、らしい。
 お姉さんがそう言うのでそれ以上聞かない。


3-1、

 昔、軍幹部の愛人であった。
 後に彼は軍を離れ、
 軍備製造する国営企業に転勤。

 癒着。

 利権にありついていたのだが、
 政局の変化により利害関係が対立した
 政治家によって彼とその家族は事故死、
 つまり暗殺された。

 お姉さんは
 この家やけっこうな財産を受け取った。

 やれオリガルヒだ、とか中産階級が増えたとか

 最近はとくにロシアの話題を聞くようになったが、

 昔からの金持ちだった。



3-2、

 この愛人の彼のことは
 理屈抜きで好きだった。

 まなざしがいいとか、
 富があるとか、
 職業に闇があっていいとか、
 声がすてきとか、
 ご清潔でご誠実だとか、
 心根が優しいとか、
 価値観が一致しているとか、
 そんなものではなかった。

 そういう説明はつねに不十分だし、
 あれこれ条件を言うのはそれ自体無粋だ。
 相性を直感しあい、
 一切が精緻な細工物のように
 ピタリとなじんで適合したのだ。


4、

 部屋にいる若者は皆、街にいる時に
 あのお姉さんに声をかけられたということだ。

 お姉さんは若者と街に遊びに行ったり、
 あるいは寝たりする。
 ベッドを共にするだけで性交渉をしないこともある。
 つまり、時々性交渉をする。


5、

 お姉さんは普段、2階の自室に座っている。
 ベッドに行かずに
 そこで座ったまま寝ることもしばしば。



6、

 お姉さんは、小遣いをくれる。



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僕はトイレに行ったついでに、
そっと2階へ上がった。

そしてそれらしき部屋の扉をそっと開けた。

(この扉、廊下側はなんの変哲もない扉なのだが、
 内側のドアノブは猫をあしらっていた。
 猫が、向こうをむいている。)

部屋は暗かった。

空はもう黄昏時を過ぎて、
藍色よりも濃い藍色が一帯を覆っている時間だ。


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その部屋にはクローゼットがあり、
化粧台があり、テーブルがあり、椅子があり、
なにも特筆すべきことはない。
ただ、浅く、ほんの数センチの水が張られている以外は。

あとは、、、天井に電球がなかった。
灯りは大きな大きな窓から差し込む光に頼るだけである。

月明かりが静かに弱々しく
部屋に差し込んでいた。


この水の張られた部屋。

ここがユダの荒野であるかの錯覚を感じさせる。
水面は一匹の魚も住まない死海のように、
永遠の沈黙を感じさせる。
ただモアブの黒い山影をうつすだけ。

実際、水面に映っていたのは
椅子に座るお姉さんだった。


「私は、あなたを愛しているのよ。」

とお姉さんは言った。
僕は黙っていた。

「あなたがいなくなったら、
 私は涸れた川のようになってしまう。
 そうなってしまえば、、、
 花も魚も命ある潤いあるものはもう戻らない。

 愛されないのは大きな苦痛だけど、
 愛することができないのは生の中の死よ。」


「愛する人を得ることは最もよい。
 愛する人を失うことはその次によい。
 BYジョジョの奇妙な冒険4巻。

 お姉さん、
 僕や、あの部屋にいるラザロたちが
 旦那さんの代わりになれているのか分からない。

 お姉さんはきっと、
 自分を食いつぶして楽しんでいるんだ。」

「アツイこと言うわね。」

「燃え尽きるほどヒートです。
 震えるぞ魂のビートです。」

「、、、これは私の趣味なんだ。
 あなたもそのうち、手込めにしてやるからね。」


て、手込め、、、。
年増の女性に妖しく言われた思いがけない単語に
僕の股間はピッコーンと反応した。

(チンポコピーン! by 吉田ヒロ)


「そんな大きな話に受け答えできるほど、
 僕は自分を持っていないんです。
 もうちょっと一人で旅させてください。」


「、、、だいたい、みんなそうなのよ。」


「失礼します。」



部屋から出て扉を閉めようとすると、
ロシア民謡が聞こえてきた。

寒い国の持つ哀愁に帯びた
短調のメロディー。



 悲しい歌 うれしい歌

 たくさん聞いたなかで

 忘れられぬ一つの歌

 それは仕事の歌


 イギリス人は利口だから

 水や火などを使う

 ロシア人は歌をうたい

 自らをなぐさめる


 親は倒れ 死の間際に

 息子に残すものは

 貧しい暮らし


 つらい運命(さだめ)

 悲しい仕事の歌


 この若者よ

 前へと進め

 さあ みんな前へと進め


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こうして僕はお姉さんの元を去った。
かすれた歌声の余韻を胸に残しながら。

だが15分ほど歩いて広場に出た瞬間、
成人向け雑誌をラザロに渡したまま
取り返していないことに気付いた。

「うお、、エロ本が、、、!!
 アレがないと、、、アレがないと、
 とにかくダメなんだ。僕は!」

小走り気味に取りに帰った。

家の扉は閉ざされている。
ドアを小さくノックする。

「どちらさま?」というお姉さんの声が聞こえた。
今更顔を見せるのは恥ずかしいので走って逃げた。

軽いピンポンダッシュだ。

こうした経緯から、
僕は成人向け雑誌をあきらめ、
駅に向かうことにした。

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だが切符の販売窓口の親父は言った。

「だんな、夜行列車は15分前に出発したぜ。」

雑誌さえ取り返しにいかなければ、、、。
駅のベンチに寝転び、グラビアを思い出しながら
股間をなでているうちに眠りについた。


朝、目覚めるとパンツがカッピカピになっていた。