オリバレス・怪物王者vs栄光から転落 | BOXING MASTER first 2006-2023

BOXING MASTER first 2006-2023

輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

1969年8月22日。米カリフォルニア州イングルウッド・フォーラム。世界バンタム級王者ライオネル・ローズは(豪)は、10万ドル(三千六百万円)の報酬で、世界1位にランクされるMr”KO”ルーベン・オリバレス(メキシコ)の挑戦を受けた。

しかし、怪物オリバレスは強く、ロースを軽く5回でノックアウト。51勝(50KO)1分という、とんでもないレコードの世界チャンピオンが誕生した。


51勝(50KO) ルーベン・オリバレス 世界王座へ!

タイトル獲得第1戦の相手に選ばれたのは、大木重良(青木)選手。69年10月27日、メキシコ。後の日本王者もオリバレスには全く歯が立たず、3回でKO負け。

12月12日。フォーラムで初防衛戦に臨んだオリバレスは、技巧派アラン・ラドキン(英)を軽く2回でTKO。向うところ敵無し、オリバレスの王座は当分の間安泰との意見に、逆らう者はいなかった。

70年2月。一人の日本人選手がロサンゼルスへ旅立った。日本Sバンタム級王者清水 精 (ヨネクラ)選手である。滞在は3ヶ月の予定で、仲介役はオリバレスのプロモーター、ジョージ・パーナサス氏。


清水 精 (ヨネクラ)

パーナサス氏はメキシコの片田舎で見かけたジョー・ベセラ(メキシコ)を世界バンタム級王者に育て上げ、以後のバンタム級タイトル戦をしばらくの間独占することになる。ファイティング原田(笹崎)選手に、エデル・ジョフレ(ブラジル)との対戦チャンスを与えたのも氏である。

原田選手がローズに敗れるといち早くローズを米国に招聘し、刺客を送り込んだ。そのとっておきの挑戦者がオリバレスであった。

世界バンタム級王者と清水選手は、エレックス・クラブというホテルで偶然知り合う。妙に気があったという二人は、それから1ヶ月間、ロードワーク、ジムワーク、そしてプライベートタイムも一緒の時を過ごす仲になる。

★プロボクサー用の最強減量着 発汗効果抜群!軽い、丈夫、動きやすい!お奨めします!
ブログランキング

BOXING MASTER メルマガ読者登録募集中!


当時、オリバレスのスパー相手には、2ラウンドで10ドルが支払われていた。これは結構な金額です。”栄光が死か”をモットーにする日本王者は、怪物王者に敢然と立ち向かい、喧嘩さながらの激しいスパーリングを行った。

「いつもスパーを4回やって、後はパンチングボールやバッグを1回やるだけで終わりだからなァ」

「それまでには倒すから、それ以上は練習する必要ないって言うんだよなァ」(~~)

「だけど、ウェエルター級の選手を一発でのばしちゃうのにはビックリしたよ」

清水選手が言う通り、ヤング王者は街でのプレイボーイぶりもつとに有名であった。

「俺もよく一緒に遊んだけどさァ」

「メキシコの実家まで連れて行ってもらったよ」



4月18日、2度目の防衛戦を控えていただけあって、さすがに「朝のロードワークはやったよ」。Ⅴ2戦相手はチューチョ・カスティーヨ(メキシコ)。ローズへの挑戦はダウンを奪いながら判定に泣いた。

暴徒と化したファンは会場に火をつけるなど、大いに荒れたが、今度はそのカスティーヨが、我らのアイドル・オリバレスへ挑戦する。ファンにとってはたまらない魅力の好カード。

しかし、予想は圧倒的にオリバレス有利。だれもこの怪物王者にはかなわない。はずなのであるが、オリバレスは、この一戦からボクシングの厳しさを味わい始める。たくさん勝ち過ぎたが為のツケが、若き王者に回ってくる。 = 続 く =

BOXING MASTER メルマガ読者登録募集中!

応援よろしくお願い致します →にほんブログ村 格闘技ブログ ボクシングへ stanbox7をフォローしましょう 【TOP】


$BOXING MASTER/ボクシング マスターBOXING MASTER/ボクシング マスター