WBA。WBAから生まれた組織WBC。一昔前、A、Cランキングにはそれぞれ対立団体の王者がランキングされていた。
1975年11月発表WBAランキング中のWBC王者。2度の王座防衛に成功していたフライ級ミゲル・カント(メキシコ)が4位。フェザー級王者デビット・コティ(ガーナ)3位。Sフェザー級王者アルフレッド・エスカレラ(プエルトリコ)3位。
5度の防衛に成功していたライト級ガッツ石松(ヨネクラ)選手は1位。Sライト級センサク・ムアンスリン(タイ)は7位といった具合である。統一王者はヘビー級モハマッド・アリ(米)のみ。
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最初の王座奪回を果たした輪島功一(三迫)選手は、初防衛戦相手にA1位 柳 斉斗(韓国)を選んだ。Cが指令してきた相手ミゲル・デ・オリベイラ(ブラジル)とは、最初は引き分けたが2度目は完勝で、すでに決着は付いていた。
WBCはオリベイラと戦う事を履行しないとして、輪島選手の王座を剥奪する。
「一度に二人は相手に出来ない」(輪島選手)
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ホセ・ナポレス。
輪島選手の王座剥奪によって、ヘビー級のアリ以外、残るA、C統一王者はウェルター級王者ホセ・ナポレス(キューバ→メキシコ)のみ。”マンテキーヤ”(バターのように滑らか)の異名を持つチャンピオンは、すでに8度の王座防衛に成功していた。
大場政夫(帝拳)選手に、「打つパンチがみなカウンターになっている」と感心させたナポレス。
1975年3月29日。メキシコ・アカプルコで6位アーマンド・ムニス(米)の挑戦を受けたナポレスは、いささか相手を舐めていた。無敵王者を前に、たくましく前進するムニス。その頭が切れやすい王者の両目上に当たる。
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ナポレスが一度王座を失ったのは、カットによる負傷が原因だった。この夜もムニスのバッティングで両目上をカットしたチャンピオン。その傷口は広がるばかり。
そして12回、2度のドクター・チェック。ここでドクターが首を横に振り、レフェリーは試合ストップを宣言。ムニスのTKO勝ちかと思われたが、負傷判定でナポレスの王座防衛が告げられた。
「全くひどい判定だ。本来このような場合は、戦えない選手がTKO負けとなるのに」
負傷判定がまだ定着していない時代。AP通信もテクニカル・デシジョンという結果について、”こじつけ”的と揶揄している。
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負傷判定負けに納得のいかない敗者側はすぐさま提訴。これを受けた誇り高き王者は、間をおかず再戦契約書にサイン。かくて両者の再戦は7月12日メキシコシティで開催される運びとなる。
ムニスのWBCランキングは2位にアップ。ちなみに1位はジョン・H・ストレーシー(英)。WBA1位にアンジェル・エスパーダ(プエルトリコ)。ムニスはA9位。
WBAは王者に対し、「1位エスパーダの挑戦を受けねば、タイトルを剥奪する」と指令する。だが、王者はタイトル返上でこれに応えている。
『私はWBCを世界で唯一の統一組織と認識する。不適格な挑戦者との対戦を強要し、これに同意しなければタイトルを剥奪だと脅迫するWBAに抗議するため、私を世界ウェルター級チャンピオンと認定されることを拒否する』
以上のような電報をWBAエリアス・コルドバ(パナマ)会長宛送りつけたナポレス。話が丸く収まってしまう現代では、ちょっと考えられない内容ですね。
15回大差判定でムニスを降したナポレスだったが、次の指名試合で1位ストレーシーに敗れ、帝王はリングを去って行く。一方、”ナポレスが逃げた男”の照合を得たエスパーダは、WBA世界ウェルター級王座に就く。
しかし、防衛記録は僅かに一度きり。1ヶ月前に負けたばかりの挑戦者ピピノ・クエバス(メキシコ)の強打で、あっさりとタイトルを手放してしまう。75年3月15日、エスパーダには10回判定負けの記録が残る。すぐさまのリマッチに勝利していたが・・・。
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