金平会長の憤り!世界戦契約書vs承認 | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

世界チャンピオン、そのマネジャーと、挑戦者陣営のそれぞれの署名。そして、JBCのスタンプ。慣例にのっとりアドバンスまで支払った。次の防衛戦は誰を相手に選んでもよい立場にある、WBA世界フライ級王者デンカオセーン・カオウィチット(タイ)と、前王者坂田健史(協栄)選手の世界戦契約書にはなんら落ち度はなかった。

結果として、今回はWBAが承認しなかったという事実だけがある。

「世界戦のダブル・ブッキングなんて今までにあるんですか?」

「スパイダー根本(草加有沢)選手が、ダブルブッキングになっちゃった事はありますよ」

1979年10月8日。後楽園ホールでWBA世界フェザー級王者エウゼビオ・ペドロサ(パナマ)に挑戦することで契約も済み、後は試合を待つばかりとなっていた。試合の延期が発表されたのは、9月25日の事。

さすがの根本選手も、「2日間ばかり寝込んじゃいました」。

理由はチャンピオン側の二重契約。王者側は根本戦を前にジョニー・アバ(ニューギニア)と契約を済ませていたが、この試合は延期に継ぐ延期で挙行される目処が立たない。

WBA裁定は、「ペドロサvsアバ戦を優先的に行い、勝者は90日以内に日本で根本と対戦する事」とした。ペドロサvsアバ戦は、11月17日ニューギニアで開催され、王者が11回TKO勝ち。根本選手は、翌80年1月22日ペドロサに挑むも判定負けを喫する。

面白い事にこの両選手、世界戦契約を交わした時点では世界ランキングに名前がない。チャンピオン側、JBCからの推薦でランキング入りは常とう手段。「世界戦当日までにはランキング入りするから」という試合が、今までにいったいどれくらいあったろうか。

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フェザー級でさえ減量がきついといわれたロイヤル小林(国際)選手の、WBC世界Sバンタム級王者リゴベルト・リアスコ(パナマ)への挑戦。デビュー以来はじめて経験するSバンタム級での世界王座奪取は見事でした。

しかし、WBCから義務付けられていた「45日以内に韓国で 廉 東均の挑戦を受ける」は、挑戦前からの約束で、これを実行した小林選手は僅か46日間の短命王者に終わる。

中島成雄(ヨネクラ)選手のWBC世界Lフライ級王座挑戦も唐突に決まった。ルペ・ピントールvsカルロス・サラテ。メキシコのライバル同士のWBC世界バンタム級王座を賭けたリマッチの勝者に、磯上秀一(辰東)選手の挑戦が決まっていたが、ピントールvsサラテ戦は中止。

その決まっていたTV枠。1980年1月3日にピンチヒッターとして組まれたのが、 金 性俊(韓国)vs中島成雄のタイトル戦であった。中島選手もフライ級でさえ楽ではないといわれていた選手。もちろんWBC世界Lフライ級ランキングには入っていない。


 金 vs中島。  ★携帯ストラップに→【ミニグローブ】

だが、圧倒的不利の予想の中、中島選手は見事な載冠劇を演じて見せた。初防衛戦、。イラリオ・サパタ(パナマ)戦でのスコアリングは不運でした。

ファイティング原田(笹崎)選手の世界フライ級王座挑戦試合もピンチヒッター。1962年6月14日、エドモンド・エスパルサ(メキシコ)に初黒星を喫していた原田選手。

しかし、世界戦契約も終えていた世界フライ級1位矢尾板貞夫(中村)選手が突然の引退。王者ポーン・キングピッチ(タイ)と日本側が世界戦契約を交わしていた事が手伝って、原田選手にオハチが廻ってきた。だが、原田選手は世界フライ級ランキングに入っていない。

「原田が勝てば世界王者として認めるが、ポーンが勝っても防衛とは認めない」

そんな変則条件がつけられたほどの代打登場だったが、原田選手は予想を裏切る見事な勝利。19歳の新チャンピオンは、多くの国民から熱い祝福を受けた。


原田世界奪取!  ★携帯ストラップに→【ミニグローブ】

WBC世界バンタム級王者ロドルフォ・マルチネス(メキシコ)挑戦が決まった、日本バンタム級王者沼田 剛 (新日本木村)選手は世界ランキングに入っていなかったが、チャンピオン側の推薦によりランキング入り。

景気付けのノンタイトル戦が組まれるも、6月27日ワルインゲ中山(神林)選手、8月22日岡部 強 (福岡中央)選手と連敗を喫する。いずれもバンタム級リミットオーバーでの試合だという事を理由に、沼田選手はランク落ちする事無く、中山、岡部の両選手が世界入りする事もなかった。

関係者を大いに困らせた沼田選手であるが、75年10月8日無事世界王座挑戦を果たしている。

沼田選手の先輩大熊正二選手の世界王座初挑戦も幸運だった。1974年5月19日ノンタイトル戦でWBC世界フライ級王者ベツリオ・ゴンザレス(ベネズエラ)に敗れたものの、その善戦が認められて世界ランク入り。10月1日、ダイレクト挑戦で王座を射止めている。


ゴンザレスvs大熊Ⅱ。  ★携帯ストラップに→【ミニグローブ】

「正式な契約を済ませている世界戦が出来ないなんて・・・」

「何で坂田が、フライ級で1試合やらないといけないのか。今までそんな条件が付けられた事なんてないでしょう」

金平会長の憤りは最もである。歴史が事実を証明している。

しかし、最近のWBAは何があっても驚くに足りない。

デンカオセーンvs亀田大毅戦ダイレクトリマッチが実現する以上、「坂田が勝者へ90日以内に指名挑戦」。その条件であるフライ級で1試合をクリアするのみである。


パーラvs坂田Ⅰ。  ★携帯ストラップに→【ミニグローブ】

どちらが勝っても相手にとって不足なし。

がんばる心は折れていない。

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