元WBA世界フライ級王者大場政夫(帝拳)選手。昭和24年(1949年)10月21日生まれ。今年は生誕60年。世界王座5度目の防衛に成功したばかりの昭和48年(1973年)1月25日、23歳の若さで逝ってしまった大場選手は、”永遠のヒーロー”として今も我々の心に生きている。
東京都墨田区横川町に生まれた大場選手は、のち足立区に移り幼少期を過ごす。5人兄弟の真ん中。魚と野菜が大嫌いな少年であった。
足立6中を卒業後の昭和40年6月1日、帝拳ジム入門。これは勤務先が御徒町(二木の菓子)で、その寮が板橋にあった為、途中の王子にある帝拳ジムは通うのに好都合だった。
「僕は小学校5年の頃から世界チャンピオンになりたくてしかたなかった。1日も早くボクシングでエラくなりたいと思った」」
世界チャンピオンへの明確な野望を抱いて大場選手は帝拳ジムへ入門。だが、その1ヵ月後、名門帝拳ジム総帥、日本ボクシング界の天皇とまで比喩されていた本田 明 会長が逝去する。以後、タイトルの喪失、看板選手の引退が相次ぎ、ついにメインエベンターがいなくなった。
しかし、後を継いだボクシング界最年少会長明彦氏は、「うちには大場って強くなる選手がいるから」と、デビューしたばかりの大場選手に帝拳ジム復興の手応えをつかんでいた。
「試合がやれるのが、うれしくって」
昭和41年11月7日17歳の誕生日を待ちこがれたようにプロデビュー。渡辺和喜(金子)選手を初回48秒KOに破り初陣を飾る。デビューから6連勝(4 KO)を続ける金の卵に、帝拳ジムは経験を積ませる。
大阪遠征。大阪帝拳ジムの世話で関西リングに上がった大場選手は 谷 正和(塚原)選手と対戦。そして、初回2度のダウンを奪われる。続く2回もダウンを喫した。3回、4回と猛然と反撃した大場選手だったが、3度のダウンがたたり僅差の判定負けを喫する。
しかし、一人で行かせた大阪遠征はよい経験になったと陣営は受け取った。
昭和42年度の新人王戦は、浅野英一(のちスナッピー・笹崎)選手と引き分け。敗者者扱いで無念の涙を呑む。初回、二回と大場選手が連取。3回、4回は浅野選手が挽回。ねちっこい浅野選手がポイント数で上回った。
「来年も新人王狙う?」
「冗談じゃない。そんな悠長なことはいってられない。やらせてもらえるならすぐにでも6回戦でも、8回戦でもやりたい。バリバリやらなくちゃ」
大場選手最後の敗戦は昭和43年(1968年)9月2日。花形 進 (横浜協栄)選手との一戦である。大場選手10連勝、花形選手は5連勝中。10回僅差の判定で花形選手が勝ったが、「打てば必ず打ち返してきたので根性あるなァと思った」。
ノンタイトル戦で日本、東洋、世界のチャンピオンを破るという今では考えられない王道を歩んだ大場選手は、昭和45年(70年)10月22日ベルクレック・チャルバンチャイ(タイ)を13回KOに破り念願の世界王座を獲得。自ら誕生日を祝った。
大場vsチャルバンチャイ。
「アレがほんとの挑戦者だよ」
世界王座初防衛後の大場選手もたくましい。米・テキサス州へ遠征した世界王者は、メキシコ王者ロッキー・ガルシアと対戦。猛烈な倒し合いを演じる。5千人のメキシカンの大声援。完全なる敵地である。
二回、世界王者はダウン。調子に乗るガルシアはなおも攻め立てる。6回には再びダウン寸前のピンチに陥る。しかし、持ち前の負けん気で反撃に転じた王者は、9回得意の右でダウンを奪い返し、2度のダウンを追加しTKO勝ち。観衆の心をつかむ勝利だった。
「リング上では絶対テンカウントは聞きませんよ」
貧困が育てた負けん気。デビュー戦から観戦を続けたボクシング好きの父松太郎氏が、自分の息子の根性に驚き、その異才に気がついたのはプロ4戦目を終えた頃。
「この野郎ひょっとしたらうまく行くかもしれない。チャンスに恵まれれば日本チャンピオンにまでなれるかもしれない」
「勝っても負けても精一杯ファイトし、会長初めトレーナーを裏切らない選手でした」(長野マネジャー)
常に最上位ランカーを挑戦者として選んだ。V4オーランド・アモレス(パナマ)戦。V5チャチャイ・チオノイ(タイ)戦はいずれも初回にダウン。チャチャイ戦では、右足をくじいてしまうアクシデント。
「ずっと痛かった。よくこの足で12回やれたなァ。でも最後に、ここでと思ってラッシュした時は、ちっとも痛くなかった。やったッと思ったトタンもの凄く痛くなっちゃった。人間て気の持ち方だね」
2度連続の逆転KO防衛。その人気は一気に沸騰。バンタム級へあげての2階級制覇も大いに期待された。そして、世界戦後は海外旅行へ行くのが常であった。
「試合が終わると、旅行をしたいと思う。今までの苦労から思いっきり解放されたいという感じ。それには、やっぱり違った環境がほしくなる」
チャチャイ戦後は、帝拳ジムの手によってハワイ旅行が用意されていた。しかし、この時ばかりは旅行に出かけなかった。これも運命か。
戦うチャンピオン大場政夫。今でも大場選手の戦は、人々の心を打つ。『根性』自室に掲げられていた言葉である。