終戦64年・ハワイ真珠湾vsボクシング | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

8月15日は太平洋戦争64回目の終戦記念日。真珠湾奇襲時、多くの乗員と共に沈没した戦艦アリゾナ は真珠湾の底にあり、その船体からは現在も油が漏れ出している。

ハワイ・真珠湾攻撃から火蓋が切られた日米戦争は、ハワイで暮らす日系人にも大きな影響を与えた。1885年からはじまった日本人ハワイの移民の歴史。

当初10年間の移民数は広島県、山口県からが断然多く、それぞれ1万人を超す。続いて熊本県、福岡県、新潟県の順。広島県出身の坂田健史選手は、ハワイ移住の夢もあるようです。


イトウ先生と坂田選手。

日本のリングに初めて世界チャンピオンを帯同し、故郷に錦を飾ったサム・イチノセ氏のご両親は、1899年福岡県からの移民という。1907年9人兄弟の五男としてサム・マツオ・イチノセ氏が誕生する。マッキンレー高校を2年で中退。1931年からボクシング・マネジャー開始。34年ダウンタウンに念願のジムを開設。

この時最初に入門して来たのが、ダド・マリノ。19歳の青年は、後に白井義男選手に王座を譲る事になる、世界フライ級チャンピオンになる。しかし、そんな事は誰にもわからない。ハワイ・プロボクシング界は低調であった。

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1940年(昭和15年)イチノセ氏は、日本アマ連盟の招きでマリノらの選手を引き連れ、初めて両親の故郷日本の土を踏む。翌41年KOでプロデビューを果たしたマリノだったが、太平洋戦争が勃発。しかし、マリノは海兵隊に入隊しながらもホノルルで戦い続ける事が出来た。これは幸運という他ない。

マリノが紆余曲折を経て世界フライ級王座を手に入れたのは、1950年(昭和25年)8月1日。間もなく35歳になろうとしていた。毎日新聞社の招きで日本へやって来るのは、昭和26年(1951年)5月9日の事。



左からイチノセ氏、王者マリノ、イトウ先生。

日米開戦を受け、米西海岸に在住していた日系人達は全財産を没収され強制収容所に収容された。しかし、ハワイにおいては日系人の比率が人口の半数にもなる為、日系人会幹部、僧侶等の一部の人々が強制収用されるにとどまった。

43年米政府は強制収容所内外から志願兵を募る。ハワイから2,600人、本土から800人の志願兵を集めた日系人ばかりの第442連隊 が編成された。ヨーロッパ戦線に送り込まれた日系人部隊は、猛烈な戦闘を繰り返し、アメリカ合衆国の歴史上もっとも多くの勲章を受ける程の活躍を見せた。この事実は、ハワイ日系人の誇りであると聞く。

日米開戦でエディ・タウンゼント選手は、14戦1敗のキャリアでプロボクサーの道をあきらめた。スタンレー・イトウ選手もしかりである。

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「戦争によって卒業する事が困難になったマッキンレー高校の特別卒業生が追加されました。そのお名前は、・・・・、ツネシ・マルオさん」

昨年だったか、一昨年だったかは忘れたが、何気に聞いていたハワイ・ケーズー放送で聞いたマルオ氏のお名前。マルオ・ツネシ選手のプロ入りは戦後の1946年(昭和21年)。兵役を終えてのプロリング参戦は、22歳の誕生日目前の頃。


マルオ・ツネシ選手。

「マルオさん、ハンサムで強かったのよ。ハワイの人、皆知ってるよ」

ハワイ日系人のアイドルとして活躍したマルオ選手のトレーナーはイトウ先生。この師弟コンビは時間が経った今でも、よい関係であります。


イトウ先生とマルオ氏。07年7月撮影。

日本人初の世界チャンピオン白井義男選手も、日米開戦によりそのリング活動を一時中断。戦局も悪化した昭和19年5月、軍からの召集令状が届く。配属は香取海軍航空隊。整備兵へと組み込まれた。

半年後の新しい赴任先は、”硫黄島 ”。栗林忠道中将指揮の下、大変な激戦が繰り広げられたが、ついに玉砕する事になる戦地である。しかし、運命は白井選手を硫黄島には運ばなかった。輸送船の手配がつかなくなっていたからである。

以後、北の地で特攻機の整備兵として終戦を迎える白井選手。後年自伝にて、「夜になると洩れてきた、すすり泣きの声が、いまも耳の奥に悲しく残っている」と述回されている。

重労働で腰を痛め復員して来た海軍整備兵は、ボクシングを再開する。そして、ひょんなことから米国人のアルビン・カーン博士と知り合い、その指導を受ける。物心両面からの支えに導かれ、世界のベルトを手に入れるのは昭和27年(1952年)5月19日。

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太平洋戦争勃発により、様々な運命をたどったハワイと日本のボクシング人達が一つのリングに集った。ここから、戦後日本のボクシングは世界へ羽ばたいて行く。

4年前、一人の高校生をハワイ合宿へ伴った。歴史にはまるで興味がないらしいが、アリゾナ・メモリアル、戦艦ミズーリへ強制連行。彼の脳裏にはどう焼きついたろうか。

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幸運にもイトウ先生に指導される機会を得た彼、小野木協栄(カナエ)君は、遠回りをしながらもプロデビューを飾る事が出来た。イトウ先生への感謝の心を忘れず、自由に自分の意志で出来るボクシング活動を全うしてもらいたいものであります。

歴史はつながっている。継承を忘れてはならない。

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