元IBFアジア王者飯泉健二・網膜剥離を乗り越えて | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。


元IBFアジアライト級王者飯泉健二選手。1984年4月デビュー。86年無敗の黒人マーク堀越(八戸帝拳)選手との新鋭対決を制し注目を浴びる。同年の第1回A級トーナメント・フェザー級優勝。87年1月12日、杉谷 満 (協栄)選手との日本フェザー級王座決定戦へと駒を進める。

1位飯泉選手(19歳)12勝(10KO)1敗。2位杉谷選手(22歳)20勝(14KO)2敗。86年8月、暑さに負けた日本王者杉谷選手は、計量後の”クリームソーダ”で自滅。その王座を来馬英二郎(神戸)選手へ明け渡していたが、来馬選手の王座返上で再びチャンスがやって来た。

パンチ、スピードは五分。キャリアに勝る杉谷選手のKO勝ちと、当時のボクシングマガジン誌の予想担当沼田義明氏はコメントしている。

「この試合に引退を賭けていました」


杉谷vs飯泉。

初回からいきなり激しい打撃戦。五分のスタートも、2回は飯泉選手が取った。続く3回も飯泉選手の左ストレートからスタート、パワー満点のサウスポーのファイターが勝負を焦った瞬間、杉谷選手の左フックがテンプルに炸裂。これは効いた。記憶が吹っ飛んだ程である。

島川レフェリーがスタンディング・カウントを取る。再開後、一気にラッシュの杉谷選手。止めは右ストレート。「今でもしびれて痛い」(試合後の控え室で)


ショッキングなKOシーン。

前のめりに倒れ飯泉選手は、ピクリともしない。新鋭はタンカでリングを去る。まさにキャリアの差が出た一戦となってしまった。しかし、めげない飯泉選手は前年に引き続きA級トーナメントに参戦。連続優勝を果たす。優勝者に与えられる特権、日本王座挑戦によって再び杉谷選手と合間見える立場に立った飯泉選手であるが、再戦でも判定負け。王座には届かなかった。

心機一転、米カリフォルニア州のリングで再起戦を飾った飯泉選手は再びKO街道を突っ走る。1989年3月13日後楽園ホール。韓国フェザー級4位 文 成煥を6回KOした飯泉選手だが、インタビューを受ける最中、左目をしきりに気にする。網膜剥離。

2度の手術。その後、白内障の手術も受けた。網膜剥離を患った選手は即引退が日本のルール。だが、飯泉選手はロードワーク、ジムワークを欠かさない。飯泉選手の引退半年後、辰吉丈一郎選手がデビューする。先頃、5年の歳月を経てカムバックを果たした元世界王者。しかし、飯泉選手が再びリングに上がる為に擁した時間は9年間に及ぶ。

さらにもう一度の手術も経験。それでもリングの夢をあきらめられない飯泉選手は、ひたすらリング復帰の機会を待ち続けた。そんな時、彗星のように現れ世界タイトルを奪取した辰吉選手。しかし、その後網膜裂孔から網膜剥離を患う不運に見舞われる。

”特例”。JBCは辰吉選手の国内試合を許可した。戦い続けた辰吉選手は紆余曲折を経て、世界バンタム級王座に返り咲く快挙を演じた。素晴らしい。しかし、飯泉選手に特例はない。辰吉選手の国内再起は、網膜剥離ボクサーにとって快挙と受け止め、さらにトレーニングを続けた飯泉選手。

1997年春も終わる頃、日本IBFからIBFアジアチャンピオン決定戦開催の通知が、JBC加盟の各ジムに送付された。中には選手向けの文章もあったように記憶する。アジア王座獲得者には、IBF世界タイトルへの挑戦権が与えられるとなっていた。

選手とマネジャーのサイン。日本IBFが認定する病院のメディカルチェックに合格したものは何人も試合に出場出来る。出場選手多数の場合は予選を行う。JBCには出場選手、マネジャーを処分する権限はないので安心されたい。そのような内容であったと思う。

飯泉選手は、これを聞き付け参加を決めた。練習は続けていた。しかし、日本IBF参加の意思表示と共に、古巣である草加有沢ジムでの練習は禁止された。これは仕方ない。その後は倉庫にバックを吊るし、再起に備えた飯泉選手。

当時の私は西島洋介選手のスカウト活動中、日本IBF池田会長とお話しする機会も多い。飯泉選手が出場するが、練習場で困っているとの話を聞いた。先代金平正紀会長に相談する。「いいですよ。うちはパブリックですから、使用料さえ払ってくれたら誰でも練習出来ますよ」(~~)

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飯泉選手が協栄ジムにやって来た。その動きはダイナミックで力強い。9年振りのリング、間もなく31歳という年齢を感じさせないパワーがあった。練習、続けていたんだなァ。現日本ウェルター級5位加藤壮次郎(協栄)選手は、まだデビュー前の新人。

「スパーやってみるか?」

「そんなに強かった人ならぜひやってみたいです」

スパーは飯泉選手がパワーで圧倒。今でもたまに話をします。「飯泉、凄かったよなァ」(~~)、「あんなにパンチ強い人とは、あれからやった事ありませんよ」「寒くなっちゃうよなァ」(~~)

大阪府立体育館第2競技場には、全国からたくさんの飯泉ファンが来場。池田会長も満足そう。しかし、IBFアジアライト級王座決定戦は、あっけなく2回で終わる。スラヤ・ケラン(インドネシア)のひどい出血で、飯泉選手がストップ勝ち。全身血にまみれた新王者は、ちょっぴり照れながら豪華なベルトを腰に巻いた。


飯泉vsケラン。

ホテル南海のロービー一杯に広がり記念撮影に講じる飯泉軍団。かつての恩師須田先生の顔も見える。9年振りのリングは僅か230秒で終わったが、それは嬉しそうでした。



初めて手に入れたベルト。日本IBFは現金で相応以上のファイトマネーを支払ってくれる。そして、世界王座への挑戦権。世界王座へ挑戦出来るのである。

しかし、彼はこの試合を最後にリング生活にけじめをつけた。この試合の実現に協力してくれた全ての関係者への感謝の言葉を残して・・・。



出井マネジャーと9年振りの勝利を喜ぶ飯泉選手。ロスで知り合った出井マネジャーはボクシング素人ながら、よく飯泉選手をサポートしていた。

「世界戦、出来るよ」(~~)

「いえ、この試合だけが目標でした」

素晴らしい決断である。爽やかな笑顔を残してリングに別れを告げた飯泉選手。9年間の努力。ちょっとやそっとでは出来るものではありません。凄い選手でした。

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