16才でデビュー。僅か13ヶ月の間に29戦全勝の成績を上げたオグラディは、178センチの長身ボクサー。まだ18才ながら世界バンタム級9位にランクされていた。トレーナー&マネジャーは父親のパット・オグラディ。
1976年2月、18才のオグラディは故郷オクラホマを離れ、そのキャリアで初めて迎える骨のある相手、世界フェザー級7位ダニー・ロペス(米)との戦いに挑んだ。
後の名王者ロペスも、ボビー・チャコン(米)に初黒星を喫し、豊島正直(SB川口)選手には際どい逆転KO勝利したものの、シゲ福山(協栄)選手に9回TKO負け、老雄オクタビオ・ゴメス(メキシコ)にも敗れた。以後、4連続KO勝ちを続けてはいたが、まだまだ不安定。世界チャンピオンは遠い先と思われていた。
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ロングカウント。豊島選手から痛烈なダウンを喰らうロペス。
父パットがロペスに白羽の矢を立てたのもうなずけるこの試合は、ロペスのホームタウン、フォーラムで行われた。試合開始から快調に飛ばしたホープだが、3回に捕まり全くグロッキー。4回開始まもなく、親父の投入したタオルで試合は終わった。
僅か一月余りで再起を果たしたショーンは、オクラホマのリングで休む間も無くリングに上がり、勝利を量産する。初めての世界挑戦は80年11月。WBC世界ライト級王者ジム・ワット挑戦のチャンスを掴んだオグラディ一家は、英国へ乗り込む。21才ショーンのここまでの戦績は73勝(64KO)1敗。WBC3位にランクされていた。
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ワットに襲い掛かる挑戦者。
試合は一方的にオグラディのペースで進む。しかし、12回偶然のバッティングで挑戦者の眉間が割れる。ドクター・ストップ。WBCルールにある負傷判定は採用されず、王者のTKO勝ちが宣告された。11回目でのポイントも公開されず、親父はWBCへ提訴すると激怒。王者ワットは、次の防衛戦でアルゲリョに敗れ無冠となった。
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ストップ直前のシーン。オグラディがリードしていた。
父パットはやり手だ。翌年4月、WBA王者ヒルマー・ケンティ(米)挑戦を決める。WBAは1位クロード・ノエル(トリニダード)とショーンのランキングを入れ替えた。怒ったノエル側は、WBA相手に裁判を起こす。
クロンクジムに所属するケンティは20戦無敗の好選手。ショーンよりも高い180センチの長身を誇る。既に3度の防衛に成功し、自信満々。
試合は王者のアウト・ボクシングを挑戦者が崩す展開。2回ボディ攻撃から一転、右ショートを叩き込んだ挑戦者がダウンを奪う。ペースに乗った挑戦者は、無敗王者を追いまくる。明白な判定でショーンは、WBA世界ライト級チャンピオンになった。
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勝利のビクトリーポーズは、これっきりになってしまった。
しかし、半年後リングに上がったショーンの肩書きは、WAA世界ライト級王者に変わっていた。父親パットが息子の為に新設した新団体”WAA”。
裁判を起こされたWBAは、ノエル側の要求を呑み和解。ショーンの初防衛戦はノエルとの対戦が義務付けられた。だが、オグラディ側は難色を示す。またしても裁判に持ち込んだノエル側は、9月12日という試合日時を得た。
だが、親父パットは裁判の決定事項もWBAの指令も無視。よってWBAはショーンの王座を剥奪。空位の王座決定戦に出場したノエルは、不出来ながらもロドルフォ・ガト・ゴンザレス(メキシコ)を破り王座に就いた。予想有利のガトは、噂されていたチキン・ハートが大試合で出てしまった形。
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10月31日。WAA王者オグラディは、WBA世界ライト級2位アンディ・ガニガン(米)との15回戦に挑む。CBSテレビは、世界タイトルマッチと呼ぶのを意識的に避けた。
試合は2回であっけなく終わる。ピンチヒッター・ガニガンの強打が炸裂し、ショーンはアッという間に三度のダウンを奪われKO負け。ケンティ戦から僅か半年、オグラディ家に何があったかは知らないが、余りに無惨な負けっぷり。まだ22才の若さ。再起が期待された。
ハワイアンファイター・ガニガンの強打に沈むオグラディ。
メッキが剥がれた。痛烈な皮肉と共に、ショーンのボクシングキャリアも終焉を迎え、83年3月24才の若さでリングを去る。81勝(70KO)5敗。ガニガン戦以後は5勝3敗と振るわなかった。
ワットとの試合は不運に泣いたが未知の実力を示して見せた。無敗のケンティに完勝した事で評価も上がったがショーンが、なぜに一気の転落街道を歩んだのか。
親父の創ったWAAよりも、実力で奪ったWBA王座を守りたかったのでは。気持ち的に疲れてしまったんでしょうね。
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