日本で一番短命だった世界王者ロイヤル小林(国際)選手の王座在位は46日。昭和51年10月。一日違いで世界の頂点にかけ上がった具志堅用高(協栄)選手が、13度の防衛記録を打ち立てたのとは対照的だ。
出身地の熊本でパレードの小林選手。
小林選手は、ミュンヘンオリンピックでは準々決勝まで進出。メダルには一歩手が届かなかったが、プロ向きと評判の大器は、激しい争奪戦の末、新進の国際ジムからデビューする事になった。
”KO仕掛け人”のキャッチフレーズで売り出し、勝負の3年目。18連勝16KO勝ち(無敗)の勢いで、WBA世界フェザー級王座に挑むも5回KOで玉砕。王者はアレクシス・アルゲリョ(ニカラグア)。後年、相手が悪かったという事になる。
ちなみに世界前哨戦の相手を務めたのは、畑山隆則(横浜光)選手を育てた 柳 和龍氏でした。
パナマ遠征も経験し、逞しさを増した小林選手は、昭和51年9月1日、新設間もないWBC世界Sバンタム級王座に挑戦する事が決まる。チャンピオンは、同じくフェザー級から転向のリゴベルト・リアスコ(パナマ)。
小林戦の1ヶ月前、韓国で 廉 東均の挑戦を受けた王者。この試合の勝者は小林選手と対戦する事で契約が交わされていた。リアスコの自信は凄い。挑戦者側は勝ったら、どうするつもりだったんだろう。
釜山総合グランドは1万3千人の大観衆。試合は10回から雨に見舞われる。激しい雨の中、試合終了のゴング。ラリー・ロサディラ主審はチャンピオンの手を上げた。チャンピオンが帰った後も大観衆は猛抗議。すると、あろう事かロサディラ氏は、今度は廉の手を上げたのである。
「雨でスコアリングを間違えた」
スコアは、150-143(韓国)、143-147(パナマ)、ロサディラ氏が145-143で廉。
判定を覆されたリアスコ陣営の怒りは収まらない。「WBCに提訴する」。8月3日発表のWBCランキングではチャンピオンと認定されている廉。2位にリアスコ、小林選手は8位。
リング外のバトルが収束したのは8月12日。ロサディラ氏の、「判定を変更しなければ殺すと言われた」がものをいい、リアスコがチャンピオンと認められた。
”スリップ・ダウン”のWBCライト級王者ロドルフォ・ゴンザレス(メキシコ)を引き起こそうとするロサディラ・レフェリー。強引に試合再開させた。
WBCのトラブルは収束を迎えたが、小林選手の9月1日挑戦は消えた。試合は10月9日に仕切り直しと決まった。1日1食作戦で、11キロ減量の小林選手。
「ほんとに落ちるのか。落として動けるの?」
「どうなるかは、やってみないとわからないです」
契約を終えていた小林選手の挑戦は決まったが、廉側も黙っていない。WBCは事態を収束させる為、韓国側にとんでもない利権を与える。
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「小林さんに殴られてばっかりで悔しくてさァ。俺、いつもトイレで泣いてたんだよ」
「だけど小林さん、トイレ長いって怒るんだよう」
「ま~た、悲しくなっちゃてさァ~」
「だからチャンピオンなれたんだけどなァ~」(~~)
シャイアン山本選手も悔しい日々を送ったが、ロイヤル小林選手は、もっと歯がゆく、悔しい経験をする。 ー 続 く ー
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