世界チャンピオンのファイトマネーが公表されなくなって久しい。昔も今も、ファンの感心はここに来る。
「裸一貫から、100万の富を」
【戦後最大の花形産業”ボクシング”】
一攫千金、家、海外遠征等。ファイトマネーで得られる夢は、限りない可能性を秘めていた。1970年(昭和45年)世界タイトル初挑戦が決まったガッツ石松(ヨネクラ)選手は、周囲のキャリア不足、選手生命の心配をよそに、こう言ったものだ。
「世界に挑戦出来るのもうれしいが、パナマという外国へ行ける事が、とにかくうれしい」
太平洋戦争時、昭和15~16年頃の選手報酬は、4回戦で10円~20円。6回戦50~60円、8回戦クラスで200~500円。しかし、”拳聖”ピストン堀口選手だけは別格で、千~3千円。休みを知らぬラッシュ戦法は、空前の人気を博した。
【戦時中の物価】
戦後、昭和27年頃の後楽園スタジアムでの興行では、4回戦で千円。6回戦3千円、8回戦で8千円。ランキング1位、2位の選手が2万5千円。チャンピオン級は10万~25万円が相場で、挑戦者は5万円とある。
試合場が京橋公会堂になると、その額は半分程度になったという。
昭和26年5月21日、白井義男選手とノンタイトル戦を戦った世界フライ級王者ダド・マリノ(米)選手のファイトマネーは220万円。翌年のタイトルマッチは、一桁違った。
「パンナムのバックにお金パンパンに詰めて、もって歩いたのよ」(~~)
昭和44年9月、関西期待の星・ 南 久雄(中外)選手は、日本選手にとっては未知のクラス、Sウェルター級王者フレディ・リトル(米)に挑んだ。強すぎて対戦相手が見つからないと言われた、重量級王者リトルの報酬は4万ドル(1440万円)。
挑戦者は5500ドル(200万円)。いずれも推定となっている。
あくまでも推定で発表されるのが日本スタイルであるが、海外は違う。ハッキリと数字は公表される。推定はない。
昭和44年10月、ロサンゼルスで行われた世界ライト級タイトルマッチ。王者マンド・ラモス(米)は、6万ドル(2160万円)。挑戦者・沼田義明(極東)選手は、1万ドル(360万円)。
昭和44年11月、ハワイ・ホノルルでノンタイトル戦に挑んだ世界フェザー級王者西城正三(協栄)選手は、5千ドル(180万円)。ファイトマネーに加え、練習費として別に5千ドルが支払われている。
とにかくカッコ良かった西城選手。奥様は、ハワイ出身です。
同じ月、東京で行われた世界Sフェザー級タイトルマッチでは、チャンピオン小林 弘 (SB中村)選手に4万ドル(1440万円)。挑戦者カルロス・カネテ(亜)は5千ドル(180万円)。
★ボクサー式ダイエット・WBC世界バンタム級王者・長谷川穂積プロデュース! <PR>爪水虫用にはコレ
当時のハワイのファイトマネーが1ラウンド100ドル(3万6千円)程度。復興するハワイリングのファイトマネーも、最初はこの位に抑えられそう。後は、やっぱり人気が出てという事になる。
ロス、ハワイ遠征選手は人気が出て、ファイトマネーがたくさん貰える様になると、合宿所を出てアパートを借りる。皆、いい試合やったそうです。
戦うボクサー達。昨日の東日本新人王準々決勝戦。局地的豪雨にもかかわらず、後楽園ホールはいつになくお客さんの入りが良かった。よって、好ファイト続出。やっぱり、ファンあってのプロですね。
毎日の”励み”に応援よろしくお願い致します→ 【TOP】 【目次】
★ボクシングに関する、知りたい事、悩み等、あなたの?に、直接お答え致します。ご意見もお待ちしております。
こちらからどうぞ→【BOXING MASTER 無料よろず相談室】
夏休みハワイ・カカアコジム BOXING合宿 参加者募集中! 【お問い合わせ】
カカアコジム。佐藤 修 (協栄)選手にアドバイスを贈る元世界王者・鬼塚勝也氏。