プロボクサー・ファイトマネーの歴史 | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

世界チャンピオンのファイトマネーが公表されなくなって久しい。昔も今も、ファンの感心はここに来る。

「裸一貫から、100万の富を」

【戦後最大の花形産業”ボクシング”】

一攫千金、家、海外遠征等。ファイトマネーで得られる夢は、限りない可能性を秘めていた。1970年(昭和45年)世界タイトル初挑戦が決まったガッツ石松(ヨネクラ)選手は、周囲のキャリア不足、選手生命の心配をよそに、こう言ったものだ。

「世界に挑戦出来るのもうれしいが、パナマという外国へ行ける事が、とにかくうれしい」



太平洋戦争時、昭和15~16年頃の選手報酬は、4回戦で10円~20円。6回戦50~60円、8回戦クラスで200~500円。しかし、”拳聖”ピストン堀口選手だけは別格で、千~3千円。休みを知らぬラッシュ戦法は、空前の人気を博した。

【戦時中の物価】

戦後、昭和27年頃の後楽園スタジアムでの興行では、4回戦で千円。6回戦3千円、8回戦で8千円。ランキング1位、2位の選手が2万5千円。チャンピオン級は10万~25万円が相場で、挑戦者は5万円とある。

試合場が京橋公会堂になると、その額は半分程度になったという。

昭和26年5月21日、白井義男選手とノンタイトル戦を戦った世界フライ級王者ダド・マリノ(米)選手のファイトマネーは220万円。翌年のタイトルマッチは、一桁違った。

「パンナムのバックにお金パンパンに詰めて、もって歩いたのよ」(~~)

昭和44年9月、関西期待の星・ 南 久雄(中外)選手は、日本選手にとっては未知のクラス、Sウェルター級王者フレディ・リトル(米)に挑んだ。強すぎて対戦相手が見つからないと言われた、重量級王者リトルの報酬は4万ドル(1440万円)。

挑戦者は5500ドル(200万円)。いずれも推定となっている。

あくまでも推定で発表されるのが日本スタイルであるが、海外は違う。ハッキリと数字は公表される。推定はない。

昭和44年10月、ロサンゼルスで行われた世界ライト級タイトルマッチ。王者マンド・ラモス(米)は、6万ドル(2160万円)。挑戦者・沼田義明(極東)選手は、1万ドル(360万円)。

昭和44年11月、ハワイ・ホノルルでノンタイトル戦に挑んだ世界フェザー級王者西城正三(協栄)選手は、5千ドル(180万円)。ファイトマネーに加え、練習費として別に5千ドルが支払われている。


とにかくカッコ良かった西城選手。奥様は、ハワイ出身です。

同じ月、東京で行われた世界Sフェザー級タイトルマッチでは、チャンピオン小林 弘 (SB中村)選手に4万ドル(1440万円)。挑戦者カルロス・カネテ(亜)は5千ドル(180万円)。


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当時のハワイのファイトマネーが1ラウンド100ドル(3万6千円)程度。復興するハワイリングのファイトマネーも、最初はこの位に抑えられそう。後は、やっぱり人気が出てという事になる。

ロス、ハワイ遠征選手は人気が出て、ファイトマネーがたくさん貰える様になると、合宿所を出てアパートを借りる。皆、いい試合やったそうです。

戦うボクサー達。昨日の東日本新人王準々決勝戦。局地的豪雨にもかかわらず、後楽園ホールはいつになくお客さんの入りが良かった。よって、好ファイト続出。やっぱり、ファンあってのプロですね。

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