87ラスベガス・サム金平&ロイ大竹の師弟コンビ | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

87年5月、ラスベガス・ヒルトンホテルで開催された世界ヘビー級タイトルマッチ、マイク・タイソンvsピンクロン・トーマス戦。協栄ジム先代・金平正紀会長に率いられた、桂一郎現会長と大竹マネジャーも観戦の旅に出かけた。

そして、ハワイからサム・イチノセ氏と、スタンレー・イトウ先生も招待されている。

日本に世界フライ級タイトルを残していったダド・マリノ選手のマネジャーであり、JBC設立から、戦後日本のボクシング復興に大きな力を注ぎ、ハワイの天皇とも言われた実力者イチノセ氏。

”サッド”(悲しみ)の愛称があった。その由来は、色々とあるがめったに笑わないからとは面白い。(~~)



写真は、笑顔のイチノセ氏。貴重な笑顔になりますね。(~~)

戦前、ダウンタウンのイチノセ氏経営のボクシング・クラブには、エディ・タウンゼント氏、スタンレー・イトウ氏も所属。日本リングとの関係は奥深い。

先代会長とイチノセ氏との交流は古い。タウンゼント氏は、世界タイトル奪回を目指す海老原博幸選手のトレーナーを務め、イトウ先生は、シンデレラ・ボーイ誕生のリングではチーフセコンド。西城正三選手とのコンビは長い。

サム・イチノセ氏の片腕、スタンレー・イトウ先生は、西城正三選手引退後も協栄ジムとの関係は深く、現在でも坂田健史選手にアドバイスを与える。大竹マネジャーの夢は、イトウ先生をもう一度世界戦のリングに上げることである。



若い頃、桂一郎現会長は大竹マネジャーにボクシングを仕込まれ、プロテスト受験レベルまで鍛えられた。激やせで有名になった会長であるが、当時はフライ級。(~~)

先代会長は、大竹マネジャーを先輩としてたて、若き桂一郎青年に、先輩、後輩の礼を教えた。何をするにも先輩が先、それは厳しかったそうだ。

世界ヘビー級タイトルマッチ。人気絶頂のマイク・タイソン戦とあって、イチノセ氏は上機嫌。てきぱきとふるまう二人に声を掛ける。

「これからは君達の時代だ」

「世界へ出て仕事をしなくちゃいけない」

「二人にアメリカン・ネームをあげよう」

「大竹君は、”ロイ”。桂一郎君には、私の”サム”をプレゼントしよう」

ロイ・大竹、サム・金平。

「サムさんがつけてくれたんだよなァ」



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写真は晩年のイチノセ氏。イトウ先生に連れられて、ご自宅まで伺わせて頂きました。

翌88年にはボクシングの殿堂入りも果たしているイチノセ氏。ご子息ローレンス氏がボクシング・ビジネスを始めるにあたっては・・・。

「俺もゼロから始めた。やるんならゼロからだ。当然だろう」

軍歌を愛したイチノセ氏。アメリカ人カーン博士が世話をする白井義男選手にチャンスを与えたのは、「故郷に錦を飾ろう」の言葉に動かされたのもうなずける。

87年ラスベガス。とても印象に残る旅だったようです。

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