2位デンカオセーンは引き分けたとはいえ、ダイレクト・リマッチが認められる内容でもない。WBAスーパーバイザー氏は、「2ポイント坂田の勝ち」と言ってくれた。
3位アンドレア・サリツ(伊)。保持する欧州王座防衛戦は10月から12月22日に延期。挑戦者も、あの「ただのおじさん」にしかみえないラファエル・ロサノ(スペイン)はキャンセル。現在、未定のようである。
4位ロベルト・バスケス(パナマ)。10月予定の再起戦はウェートが作れずキャンセル。世界戦以外でフライ級リミットを作るのがきつそうなバスケス。
次戦は12月1日、WBA世界Sバンタム級王者セレスティノ・カバイエロ(パナマ)の4度目の防衛戦と同じリングにセットされている。対戦相手、ウェートはまだわからず。
ダイレクト・リマッチの禁止。昨年のLフライ級、王座決定戦でファン・ランダエダ(ベネズエラ)に勝った亀田興毅選手はランダエダとダイレクトで再戦した。これは、決定戦後ランダエダが1位にランクされた為もある。
世界フライ級王座の歴史。
フィリピン系米人、ダド・マリノがその王座につくまで世界フライ級王座は13年に渡り、英国人の間でたらい回しされていた。
1927年世界フライ級王座はNBA(WBAの前身)、IBU(国際ボクシング連盟)、NYAC(ニューヨーク州体育委員会)と3団体が王者を認定する戦国時代にあった。

ようやく英国人ベニー・リンチ(上写真)の手により世界フライ級王座は統一されたが、あっさりタイトル返上。減量苦が原因だった。
1938年新しい王座に就いたP・ケーン。タイトルはJ・パターソン、R・モナハンと英国人同士で移動していった。モナハンは世界統一王者であったが、3度防衛の記録を残しリタイア。1950年、決定戦に出場したテリー・アレンがベルトを手にした。またもや英国人である。

R・モナハン
海外に出る事のなかった世界王者テリー・アレンを、地元ホノルルに迎えラストチャンスにかけたのがダド・マリノ。ラナイ島からやって来た元不良少年マリノは、まもなく35才を迎えようとしていた。
この時代、なかなか防衛戦はやらないが、ノンタイトル戦はいくつもこなす。1951年5月、来日し白井義男選手と戦ったマリノ。約2ヶ月間の日本滞在で4つのノンタイトル戦を消化した。

写真右、ダド・マリノ。
1951年11月1日、ホノルル。ようやく初防衛戦に挑んだマリノは、前王者アレンを15回判定に降し防衛成功。前座リングでは白井選手もリチャード・サカイを2回KOしている。
そして、マリノと白井選手は12月4日ノンタイトル戦で対決。試合は7回TKOで白井選手が勝つ。
世界フライ級王者ダド・マリノは、翌年5月19日東京で白井選手にその王座を明け渡す。この間、一つのノンタイトル戦も行なっていない。51年には9回もリングに上がったというのに・・・。

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★女子ボクサーのハワイ・カカアコジム日記
初めて日本人が手にした世界タイトル。世界フライ級王座。新たな歴史の幕は切って落とされた。日本人初の世界チャンピオン白井義男選手は、2年半の間に4度の防衛に成功。
伏兵ファイティング原田選手が、そのタイトルを取り戻すのは8年後。白井選手の王座を奪った憎きパスカル・ペレス(亜)からタイトルを継承したポーン・キングピッチ(タイ)が相手であった。
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