WBA世界フライ級戦線・その歴史 | BOXING MASTER first 2006-2023

BOXING MASTER first 2006-2023

輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

V2に成功したチャンピオン坂田健史選手。WBAが指定する指名試合期限は08年4月1日となっている。1位亀田興毅選手との対戦が同門という事で実現しない場合は上から順番か。

2位デンカオセーンは引き分けたとはいえ、ダイレクト・リマッチが認められる内容でもない。WBAスーパーバイザー氏は、「2ポイント坂田の勝ち」と言ってくれた。

3位アンドレア・サリツ(伊)。保持する欧州王座防衛戦は10月から12月22日に延期。挑戦者も、あの「ただのおじさん」にしかみえないラファエル・ロサノ(スペイン)はキャンセル。現在、未定のようである。

4位ロベルト・バスケス(パナマ)。10月予定の再起戦はウェートが作れずキャンセル。世界戦以外でフライ級リミットを作るのがきつそうなバスケス。

次戦は12月1日、WBA世界Sバンタム級王者セレスティノ・カバイエロ(パナマ)の4度目の防衛戦と同じリングにセットされている。対戦相手、ウェートはまだわからず。

ダイレクト・リマッチの禁止。昨年のLフライ級、王座決定戦でファン・ランダエダ(ベネズエラ)に勝った亀田興毅選手はランダエダとダイレクトで再戦した。これは、決定戦後ランダエダが1位にランクされた為もある。

世界フライ級王座の歴史。

フィリピン系米人、ダド・マリノがその王座につくまで世界フライ級王座は13年に渡り、英国人の間でたらい回しされていた。

1927年世界フライ級王座はNBA(WBAの前身)、IBU(国際ボクシング連盟)、NYAC(ニューヨーク州体育委員会)と3団体が王者を認定する戦国時代にあった。



ようやく英国人ベニー・リンチ(上写真)の手により世界フライ級王座は統一されたが、あっさりタイトル返上。減量苦が原因だった。

1938年新しい王座に就いたP・ケーン。タイトルはJ・パターソン、R・モナハンと英国人同士で移動していった。モナハンは世界統一王者であったが、3度防衛の記録を残しリタイア。1950年、決定戦に出場したテリー・アレンがベルトを手にした。またもや英国人である。


R・モナハン

海外に出る事のなかった世界王者テリー・アレンを、地元ホノルルに迎えラストチャンスにかけたのがダド・マリノ。ラナイ島からやって来た元不良少年マリノは、まもなく35才を迎えようとしていた。

この時代、なかなか防衛戦はやらないが、ノンタイトル戦はいくつもこなす。1951年5月、来日し白井義男選手と戦ったマリノ。約2ヶ月間の日本滞在で4つのノンタイトル戦を消化した。


写真右、ダド・マリノ。

1951年11月1日、ホノルル。ようやく初防衛戦に挑んだマリノは、前王者アレンを15回判定に降し防衛成功。前座リングでは白井選手もリチャード・サカイを2回KOしている。

そして、マリノと白井選手は12月4日ノンタイトル戦で対決。試合は7回TKOで白井選手が勝つ。

世界フライ級王者ダド・マリノは、翌年5月19日東京で白井選手にその王座を明け渡す。この間、一つのノンタイトル戦も行なっていない。51年には9回もリングに上がったというのに・・・。



ブログランキング

★adidasサウナスーツ50%OFF!!  ★女子ボクサーのハワイ・カカアコジム日記


初めて日本人が手にした世界タイトル。世界フライ級王座。新たな歴史の幕は切って落とされた。日本人初の世界チャンピオン白井義男選手は、2年半の間に4度の防衛に成功。

伏兵ファイティング原田選手が、そのタイトルを取り戻すのは8年後。白井選手の王座を奪った憎きパスカル・ペレス(亜)からタイトルを継承したポーン・キングピッチ(タイ)が相手であった。

毎日の”励み”に応援よろしくお願い致します→ 未設定

【TOP】  【BOXING MASTER 記事別 総合目次】 【最新記事一覧】


ハワイを楽しみながら、厳しく鍛える! 【2100円で海外旅行する方法!】

アマ試合、スパー大会出場もOK。ロコ気分満喫のハワイ生活+ボクシング!
世界王者が練習したカカアコジムは2500円で宿泊OK!・練習だけも出来ます


兄弟ブログ!BOXING MASTERのハワイ情報”】 カカアコジム!