「そんなにケンカが好きなら、ボクサーになれ」
あしたのジョー、よろしくプロボクサーになった男。元日本ライト級王者・バズソー山辺選手。1952年4月1日生まれ。茨城県出身。
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71年6月のプロデビューはハワイ。田辺ジム練習生の時、ハワイへ渡った川端光男トレーナーの後を追い、71年6月自らもハワイへ渡った異色の経歴を持つ。
ある日、たまたまジムを訪れたハワイの天皇サム・イチノセ氏は山辺選手の動きに目をとめた。
「今度、試合に出てみないか」
休む事を知らない、そのクレージー戦法はファンに受けた。イチノセ氏に目をかけられるようになった山辺選手は、一気に出世街道を突っ走る。
「オイ、写真撮ってくれ」
「何で俺がお前の写真、撮らなくちゃいけないんだよ」
同時期、ハワイでデビューした藤倉 明 (協栄)選手は、ワイキキのど真ん中で山辺選手と大ゲンカしたそうだ。(~~)
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13勝(9KO)2敗2分。2年間のリングキャリアで、ハワイリングではメインエベンターに成長した山辺選手。そんなスターを日本ボクシング界が放っておくはずがなく、73年3月下旬、2年ぶりに日本へ帰る事に。
ハワイでのプロライセンス取得は、選手とマネジャーが一緒にコミッションへ出向く。所属ジムはなく、マネジャーを登録する事になる。山辺選手のマネジャーは、サム・イチノセ氏の子息ローレンス氏。
ハワイリングでは所属ジムもなく当然フリーだが、日本リングに上がるとなるとそうはいかない。田辺ジムと川端氏の間には感情的しこりが残り、トラブルがあった。
これを収めたのが船橋ジム・石川会長で、日本リングに上がる際は船橋ジム所属となった山辺選手。正式にはローレンス氏から船橋ジムへの3年間の期限付き譲渡契約が結ばれた。エディ・タウンゼント氏も専属トレーナーとして活躍していた時代である。
同時期ハワイに渡り、大した成功もなく日本へ戻って来た元田辺ジム所属の選手達は、何事もなかったかのように元のさやに収まり日本のリング復帰を果たしていた。ノー・サスペンド。
73年1月、永遠のチャンピオンとなってしまった大場政夫(帝拳)選手。新たなスターを求めていた日本ボクシング界にとって、”あしたのジョー”バズソー山辺選手はまさに救世主。
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強さも本物で、5月11日の逆上陸第1戦は、日本ライト級5位村上広行(極東)選手を、2回右フック一発で豪快にノックアウト。多くのファンを唸らせる勝ちっぷりだった。
「いつかこの生活がいきる時がある」
最初からボクシング一本で稼ぐギリギリの生活に耐えてきた山辺選手。ジムへ通うのもバスに乗らず、走った。バス代がもったいないからである。
「他の人間が寝ていたら絶対に起こさないで、ロードワークに出る。当たり前でしょ」
徹底したプロ意識を持っていた山辺選手。そのファイトマネーは、ほとんどが分厚いステーキに変わった。
一気に日本ランク4位に入った山辺選手にチャンスが来るのは速かった。7月2日の帰国第2戦目で、日本ライト級王者・高山将孝(P堀口)選手へ挑戦するチャンスを掴む。
高山選手は、東京オリンピック代表にもなったテクニシャンで、ガッツ石松選手とは引き分けの記録が残る。3年間に5度の防衛に成功。挑戦者を見つけるのに苦労していた王者は、活きのいい若手の挑戦を気持ちよく受けた。
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試合は後半苦しみながらも、山辺選手が判定勝ち。プロデビュー僅か2年で日本タイトル獲得。一気にスターダムにのし上がったバズソー。
「ボクシングはケンカと一緒!」
「ボクシングはテクニックを争うもの!」
当時は日本タイトルにもオプション契約があり、リマッチで両雄は意地をぶつけ合う。しかし、山辺選手にはビジネス面で様々なトラブルが待ち受けていた。
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そして、ハワイ帰りの強打者といえばもう一人。山辺選手に遅れること一ヶ月。12勝(10KO)1敗という驚異的成績を上げて帰国したのが豊島政直(SB川口)選手。
奇しくも山辺選手と同じく2年ぶりの帰国。日本では6回戦のリングにしか上がっていないが、海外での成績が認められて、既に日本フェザー級2位にランクされていた。逞しい。
デビュー以来5連続1ラウンド1分以内KO勝ちを続け、連続1ラウンドKO記録は6まで延ばした。トクホン真闘ジム佐々木会長の一番弟子だった豊島選手。
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上原康恒選手は、「ハワイでお世話になった」からと、わざわざ羽田まで出迎えに行かれている。上原さんらしいです。(~~)
「カッコ良かったなァ、豊島さん。真っ黒い体振ってさァ、左フックブーンだもんなァ」
海外帰りも揃い、中量級スターウォーズが始まった73年日本リング。ライバル対決、マッチメークの運、裏側。今後は、この時代のドラマを振り返る。
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