ウィラポンへの道!挫折からのスタート | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

未だWBC世界バンタム級2位にランキングされ、長谷川穂積(千里馬神戸)選手へのリベンジを伺っている、日本でもお馴染みのウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)。

1968年の11月生まれ。ということは、今年39才になる。

「坂田なんかまだまだだよ~」(~~)

「アイツはウィラポンになれるよ」(~~)

10才からムエタイを始め、100戦のキャリアで3階級を制覇したウィラポン。

国際式転向は94年12月、26才の時。

センサク・ムアンスリンの3戦目には及ばなかったが、デビュー戦でWBC・Sフライ級インター王座決定戦を制し、4戦目、デビュー10ヶ月目でWBA世界バンタム級王座を獲得した。

タイの怪物センサクは、デビュー戦で世界ライト級2位ルディ・バロ(比)を1ラウンドKO。2戦目は世界Sライト級2位ライオン古山(笹崎)選手に7回TKO勝ち。

デビューから8ヶ月、3戦目でぺリコ・フェルナンデス(スペイン)を8回TKOに降し、世界王座に付いた。やはりムエタイの無敵王者だったセンサクは、反則負けで王座を明け渡した事はあったが、すぐに奪回。通算8度の防衛を果たした。

さてウィラポン。4戦目で奪った王座は、アッケなく手放す事になる。

96年1月、元王者・1位のナナ・コナドゥ(ガーナ)の挑戦を受けた王者は自信満々だった。

「挑戦者は年寄りだ」

コナドゥが、渡辺二郎(大阪帝拳)選手から王座を奪ったヒルベルト・ローマン(メキシコ)に勝ち、世界王座に付いたのは89年11月、もうずっと昔の事になる。

初回いきなりダウンを奪ったウィラポン。2回、勝負を焦り倒しに出た。いいカッコしたかったのだろう。

大振りの右に、挑戦者は小さなカウンターを併せる。試合はこれで終わった。

グローブよりも顔面が前に出ては・・・。

ウィラポンにも大きな失敗の歴史があった。そしてここから彼の復讐への道が始まる。

惨敗から3ヶ月と空けず再起。長い名誉回復への道が始まった。

3年間で16の白星を並べたウィラポンだったが、ランキングはWBCバンタム級5位。世界への道は遠かった。

そんなウィラポンを挑戦者として選択したのが辰吉丈一郎(大阪帝拳)選手。

”総合力の辰吉が中盤KOか!”

指名挑戦者ポーリー・アヤラ(米)に勝った王者楽勝の予想。ウィラポン30才。もう終わった選手と思われても仕方ない。

「まず朝早くおきて12キロのロードワーク」

「そのあとに30分のシャドーボクシング」

「1日に8ラウンドのスパーリングをこなし、サンドバッグを10回打ちます」

「日本の寒さは知らないが、そんなもの怖がっていたら何も出来ない」

98年12月29日。試合は皆様ご存知の通り、ウィラポンが予想を裏返し6回KOで歓喜の王座返り咲きを果たした。

家族と共にリングが見える部屋で生活するウィラポン。

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コナドゥ戦での屈辱、教訓を信じ、活かし、三度目の王座返り咲きを目指す真面目人間は、06年長谷川選手とのリマッを含め5試合。今年も2戦消化している。

「スポーツ選手なんだから試合しなくちゃダメだよ」(~~)

「あそこが痛い、ここが痛いじゃないだろ~」(~~)

「年に2試合じゃ、ドンドン齢取るだけだよ。違うかァ」(~~)

ウィラポンがお手本。簡単に齢取るわけにはいかない坂田選手。

「タイなんてもっと暑いんだからさァ」(~~)

「トレーナーもしっかりやってよ」(~~)

た、確かにであります。トホホ・・・。

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