V6世界王者小林 弘 ・代打から王者への道! | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

最初のイ~ッポ。(~~)王者への道はランク取りから始まる。

試合間隔僅か11日でランキング1位を破った小林 弘 (中村)選手。試合の話が来たのは1週間前であったという。

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8回戦は1試合経験しただけで初の10回戦、デビュー以来16連勝中ではあったが、KO勝利は一つ。そんな選手がランク1位を2回でKOしてしまうとは・・・。

当時としては珍しく女性ファが多かった益子選手。

敗れた益子勇治(東拳)選手もこれで終わってしまった訳ではない。翌年、小林選手が敗れた菊地万蔵(田辺)選手に勝ち、日本フェザー級王座を獲得している。

写真は、菊地万蔵選手。

益子戦の勝利から3ヵ月後の昭和38年(1963年)8月、菊地選手との日本王座決定戦に敗れた小林選手は、以後世界の強豪を相手に戦い続け4連敗を喫する。

昭和39年4月13日、ようやく比国選手相手に約8か月振りの勝利を飾った小林選手には、またもやピンチヒッターの話が。

試合は4月26日。対戦相手は、”名刀正宗”の異名を持つ 関 光徳(新和)選手。

3月1日、シュガー・ラモス(キューバ)の持つ世界フェザー級王座に挑み6回TKO負けを喫しているとはいえ、バリバリの東洋フェザー級王者である。

またしても大きな賭けに打って出た中村信一会長と小林 弘 選手のコンビは、スピードでこの名サウスポーをさばいてしまった。

 関 選手は、小林戦以後も3度の世界挑戦をし、東洋タイトルは12度守っている。

10回戦3度目の勝利で世界ランキングを手に入れる事になった小林選手。2度の代打はいずれもサウスポー相手、得意だったのでしょうか。(~~)

昭和37年(1962年)6月、世界王座挑戦を契約しながらも、突然の引退劇で世間をビックリさせた矢尾板貞夫選手の後釜を見事に育て上げた中村会長。

再び益子選手に勝利して得た日本タイトルを守り続け、小林選手が念願を果たすのは昭和42年(1967年)12月14日の事。

初めての日本人同士による世界戦で、沼田義明(極東)選手を12回豪快なKOで切って落とし世界Sフェザー級王座を獲得。

技術もさることながら、心のスタミナも鍛えられていったように思う小林選手は、簡単には負けないチャンピオンに育て上げられていた。

世界ランキング入りから3年以上もキャリアを磨き、その間中南米遠征も経験、確実に力を付けていった小林選手、3年半の間に6度の世界王座防衛に成功している。

選手作りのお手本とも言うべき、キャリアだと思います。キャリアを甘く見てはいけない。

ホールの4回戦でも、1勝 VS 1勝4敗なんていう試合がたまにありますが、4敗してるほうが勝つケース、かなりあります。だから面白いんですかね、ボクシングは。(~~)

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