「プロになるつもりはないんです。ただ体を動かせれば」(~~)
あと2ヶ月で25才を迎える輪島選手。運動するのが目的だったが、ジムに通うに連れささやかな夢を見始めた。
「一度でいいから試合がしたい」
建築業で鍛え、体は頑丈だった輪島選手。入門4ヶ月でライセンス取得。今では考えられないスピードのこの時代。協栄ジムの大先輩・海老原博幸選手にあっては、僅か20日でテスト合格しています。(~~)
協栄ジム最初の世界王者・海老原博幸【協栄ジム・亀田兄弟揃い踏み】
「ダンナ試合決まったぜ」
教えられたのは左ストレートだけで、昭和43年(1968年)6月のデビュー戦に挑み、見事1回KO勝利。
ただ一度4回戦のリングに上がってみたかった輪島選手の夢はかなえられた。が、ここからが夢の始まりだった。2週間後にはまた試合。これも2回KO勝ち。
結局この年は7戦オールKOで東日本ウェルター級新人王獲得。翌年2月の全日本新人王戦は判定に終わったが、25才の新人王誕生。その後も勝ち続け、12戦目で日本Sウェルター級王座に挑戦する事になる。
昭和44年(1969年)9月4日、名古屋で行なわれた吉村則保(中日)選手とのタイトルマッチでも見事4回KO勝利。運動目的のダンナは、思いもしなかった日本チャンピオンになった。
12戦全勝11KO勝ち。今や日本ボクシング界のホープとなった輪島選手には、早くも世界への道が開かれた。
時のWBC世界Sライト級王者ペドロ・アディグ(比)とのノンタイトル戦。輪島選手が勝てば次はタイトルマッチだというマッチメーク。試合は10月30日後楽園ホール。
試合は実にアッケなく終わった。輪島選手、1回2分21秒KO負け。ピクリとも動かない。試合は世界王者が放ったたった一発の右フックで終わり、大事を取って救急車で病院に運ばれる程のダメージを被った。
「無理だと思ったよ」
”世界を甘く見るな!”
痛烈な見出しで、批判されたこの試合。キャリア不足、背伸びし過ぎ、好素材もダメに・・・。輪島選手の再起はかなり難しいだろうとまで、断言されている。
しかし輪島選手は違った感触をつかんでいた。
「マグレ当たりを喰ってしまった。喰った自分が悪い」
それはなぜか?心にスキがあったから。いつになく練習も積んだ、体の調子もいい。つい図に乗ってしまった。この戦いで心の重要性を学んだ輪島選手。
決して油断してはいけない。
新人王戦では、「ボクシングというスポーツは”根性”が大事」だという事を学んでいる。「頑張れば、俺にも出来るスポーツだボクシングは」
「苦しいのは僕だけじゃない。それをどうはね返すかで、その人間の価値が変わってくる」
これは協栄ジムの初代王者・海老原博幸氏の言葉。時を同じくして世界フライ級王座を手放しました。
【最強を求めたチャンピオン・大場政夫】
同じ失敗は繰り返さない。こう心に決めて再起を決めた輪島選手だが、周囲の目は冷たかった。世界を目指すホープ一転、一気にロートル扱い。(~~)
「もう十分だよ。潮時だ」
デビューしてまだ1年半は、まだ新人である。周囲の目、予想、心配は怖い。
輪島選手はその後の活躍で、自分が感じた事が間違いではなかった事を証明しているが、奇しくも一発の右フックで輪島選手を失神させた世界王者アディグが語っているのである。
「あれは、ラッキーパンチよ」
アディグは次の試合で世界タイトルを手放した。
戦った人間にしかわからない部分あります。そこには誰も入り込めない。輪島選手も読んでいたのかなァ、「ラッキーパンチよ」(~~)
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