”スパンキー”鬼塚選手は、高校の修学旅行参加を最初から辞退。心で決めていたままに、この時間を利用して東京の各ジムを回ったらしい。その結果決めたのが、協栄ジム。先代金平正紀会長は、「2,3戦戦見て、アッこれは”6人目”いけるなと直感した」と語っている。
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鬼塚選手の世界王座挑戦交渉でも、「カオサイとやってくれと言うんで、それでもいいと言ってやったんだ」引退を決めていたカオサイが試合するはずもなく、これはタイ側の条件吊り上げ交渉のひとつ。結果、東京での世界王座決定戦が実現した。
「タノムサクは”ラッシュ”するでもない、東京でやれる事は鬼塚選手にとって大きなチャンス」と語ったのは、鬼塚選手に日本王座を譲った中島俊一選手。元世界2位。タイでカオサイの世界王座にも挑戦し、タノムサクの試合も見ている。タノムサクいい選手でしたが、出るとこ出て来ない選手でした。ランダエダも一緒かな。(~~)
”ハルク”佐藤 修 選手は、夏休みを利用して協栄ジム食堂で合宿生活を送った。高校の先生を通じての話だったと記憶する。この合宿で、卒業後の協栄入りを決めたらしいが、「ほんとに来るかなぁ」「口だけのヤツ多いからなぁ」(~~)阪神大震災にもめげず、佐藤選手はやって来た。
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佐藤選手。「不器用なだけで、何にもないんだもん修ちゃん」(~~)大竹マネジャーで、「先代会長も期待してなかったんじゃない。今頃ビックリしてるんじゃないの」と、これは佐藤選手が世界王者になった後の話。(~~)絶妙のコントロールで、自信を植え付けた。これはまた次の機会に。(~~)
坂田健史選手。夏休みを利用して上京、いろんなジムを回ったらしい。「厳しい雰囲気で強くなれそうだと思った」坂田選手は、協栄ジムを選択。「きっと2階を見たんだろ。運がいいねアイツも」(~~)は大竹マネジャー。2階まで見学に来る子は少ない。
そして元世界ミドル級王者・竹原慎二(沖)選手の実父、竹原ジム・竹原三郎会長を窓口に協栄ジム入り。黒い帽子で、上から下まで黒ずくめのスタイルだったと記憶する最初の晩、先代会長から言われ大竹マネジャーとともに食事。ちょっと暗かったかなぁ。(~~)
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それでも芯の強さを感じ取った大竹マネジャー、「体を動かす仕事がしたい」と言う坂田選手を、叔父さんの所に預けたのでした。現場の設備やさん。「冷暖房利いている所で仕事してるヤツより、体強くなるよ」ここがスタミナ増強の原動力だった。
3人はハワイキャンプで走りまくり、体を作った。坂田選手にないのは、”世界王者”の称号。アッ、スパンキー、ハルクのようなカッコいい呼び名もない。”さんちゃん”もいいが、何かないものかなぁ。
そういえば先代会長、本気で”天才棋士”坂田三吉氏にあやかりこれをリングネームにしたらと坂田選手に迫った。「坂田、これはいいよ。プロなんだから目立つのも大事だよ」(~~)先代会長のしつこいアタックに屈しなかった坂田選手は意志が強い。(~~)あやうく、”王将”だとか”飛車”だとかの”将棋の駒”トランクスはかされるところだった。
「それだけは勘弁してください」何度も聞いた。真剣そのもの、必死の抵抗でありました。私も何度か説得しました。ゴメン。(~~)坂田選手が入門してすぐ、先代会長は言った。「坂田、世界王者にしたいね」まさに最後の弟子、坂田健史 。先代会長の心残りは、坂田選手の世界奪取と”王将”トランクスかなぁ。(~~)
興味がある方、”協栄ジム”どしどし見学に来てください。厳しいコースもありますよ。(~~)
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★スタート前は超強気ポーズの溝口選手「坂田さんと勝負します」も、あまり時間かからずヘロヘロ状態に。「話が違うじゃないか!」
-合宿所はこんな感じです-
-亀田興毅VSランダエダがよくわかるページ -亀田興毅VSランダエダ
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