ボクシング協会が交渉・契約の世界挑戦者決定戦! | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

その昔、プロボクシング協会が世界タイトル挑戦の交渉窓口となる事を約束、実行した上で行われた”世界タイトル挑戦者決定戦”がありました。チャンピオンは、この試合の勝者と日本で防衛戦を行う契約を済ませていた。

その試合とは、78年8月6日後楽園ホールで行われた、OPBFフェザー級王者ロイヤル小林(国際)VS日本同級王者スパイダー根本(草加有沢)の試合である。小林選手は元WBC世界S・バンタム級王者でもあり、あのW・ゴメスに敗れた後OPBF王者となっていた。

一方の根本選手は素人からのプロたたき上げ。156cmの短身、デビュー戦はライト級での代打出場判定負け。2戦目も引き分けた。その後、この当時では異例の、デビュー2年半での世界タイトル挑戦も経験。

E・マルセルへのWBA世界フェザー級王座挑戦は、敵地パナマで9回KOで敗れている。この時点での戦績10勝(1KO)4敗1分。この時はガッツ石松(ヨネクラ)選手も一緒のダブル挑戦で、R・デュランに10回KO負けしている。

デビュー6年半、ようやく日本フェザー級王座を手に入れたスパイダー根本選手。呼ばれれば韓国へもよく出かけた。そして勝った事もある。50人韓国遠征すれば勝つのは2、3人の時代であった。(~~)

”小型世紀の一戦”と銘打たれたこのカード。プロボクシング協会のコーディネーターの一人、レジ・一の瀬氏をパナマに派遣し、WBA世界フェザー級王者エウゼビオ・ペドロサ(パナマ)側からこの試合の勝者との日本での対戦契約を取り付けてあった。

小林選手、WBC世界ランクは3位、WBA5位。根本選手はノーランクながら、この年3月世界6位E・コルテスにも勝って、国内27連勝中。両選手とも、公開スパーではパートーナーをダウンさせるほどの張り切りよう。この試合にかける意気込みを感じさせている。

「多くの人が根本が勝っていたと言っている。人気でポイント付けられるんじゃ、人気のない選手はたまりませんよ」「ジムをやめようかとも思っている」男泣きしながら訴えたのは、草加有沢ジムの先代有沢二男(つぐお)会長。コミッションに再戦要望の抗議文も提出した。

判定は、レフェリー吉田57-56、ジャッジ森田58-57、ジャッジ内田57-58の2-1で小林選手の勝ち。しかし最終12ラウンド、根本選手はなぜかプッシングで減点を取られている。この時リングサイドは「引き分けだな」減点がなければ、根本選手有利の引き分けだった。

草加有沢ジムの前身は”協栄ジム”であるともいえる。協栄ジム先代金平正紀会長は、この地で一時ジム活動を行った。その後、小島正一氏(元東洋ジム会長)の手を経てこのジムを買い取ったのが有沢二男会長です。上写真右有沢会長、中央根本選手。

第1号選手は三船 豪 選手(本名・須田芳黄)。現在はトクホン真闘ジム・マネジャー。現役時代は強打のサウスポーとして活躍し、ハワイ、ロス、メキシコでも戦った。トクホン真闘ジム佐々木会長の”秘蔵っ子”で、世界タイトルにも挑戦した当時無敗の磯上修一選手に初黒星を与えたのは三船 豪 選手だった。写真はハワイでの三船選手の試合。

空母”飛龍”。ミッドウェー海戦で最後まで戦い抜き、唯一米空母を攻撃せしめた。総員退去の甲板上で最後の訓示、艦長・加来止男大佐 は涙ながらに「・・・責任は私が取る」。第2航空戦隊司令官・山口多聞少将 「諸君は全力を尽くして祖国のために戦った。感謝にたえない」そして二人は艦に残った。

この偉大な二人の指揮官の声を空母”飛龍”甲板上で聞き、御真影 を守って
退艦されたのが、有沢二男・草加有沢ジム先代会長です。至る所で火災が発生し、満身創痍の空母”飛龍”は駆逐艦”風雲”と”巻雲”が横付けされ、総員退艦の命令が下され、やがて沈んだ。

星 亮一
山口多聞―空母「飛竜」に殉じた果断の提督

小林戦後も勝ち続けた根本選手には、1年遅れで世界タイトル挑戦のチャンスが与えられたのでした。有沢会長の”執念"でしょうか。


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