渡嘉敷勝男流血と怒号!WBA世界L・フライ級戦・判定が覆った | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

血と怒号の中でチャンピオン交代。日本のリング、世界タイトルマッチのリングでそれは起こった。”後味の悪さ、極めつけ”WBA世界L・フライ級タイトルマッチ、王者・渡嘉敷勝男選手と挑戦者・同級1位ルペ・マデラ(メキシコ)の3度目の対戦は、83年7月10日後楽園ホールに3,500人の観衆を集めて行われた。

渡嘉敷選手、初防衛戦できわどく勝利した相手、マデラとはこの年4月10日にも5度目の防衛戦で対戦。流血の激突はまたしてもきわどく、引き分け防衛。最終回の驚異的頑張りがタイトル防衛につながった。

それにしてもこれだけ激しい試合をした両者が3ヵ月後に再戦。両選手の体の丈夫さには感心するばかりです。特に渡嘉敷選手、15回戦の世界戦をズ~ッと3ヶ月ローテーション。しかも15回きっちり戦って(~~)(伊波戦を除く)ですから丈夫です。これは普段の練習のたまもの。

この時WBAの世界戦は15回戦。日本で始めてWBC12回戦による世界タイトルマッチが行われたのは、この年7月”浪速のロッキー”赤井英和(グリーンツダ)選手が王者ブルース・カリー(米)に挑戦したWBC世界S・ライト級タイトルマッチでした。

15回戦と12回戦では戦い方が違ってきます。渡嘉敷選手、前半はいつもポイントを取られがち、しかし後半が強い。スタミナ、精神力で勝負。「坂田(健史・協栄)も15回戦、やらせてみたいなぁ」とは大竹マネジャー(~~)

試合はまたもや最初から激しい打撃戦。渡嘉敷選手も応戦するがポイントはマデラ。そして4回事件は起こった。めまぐるしい攻防のさなか偶然のバッティングが2度。2度目はマデラ、渡嘉敷選手に背を向ける。この時、レフェリーのコールは何もない。試合放棄ともとれる感じ・・・。

ややあってレフェリーが試合を停止、宮本コミッションドクターにマデラの傷を見せる。傷は額。特に激しい出血でもなく、目尻でもない。そして、世界戦にしてはあっけないほど早く試合終了。

直後、小島事務局長のアナウンス。「3回までに偶然によるバッティングで続行不可能になった場合は、WBAルールによりドロー」毅然たる口調でした。ドローでも王座防衛。すっきりしない表情で渡嘉敷選手、防衛成功のポーズ。

しかし修羅場はここから始まった。バッティングが起こったのは4回。3回を越えている、スーパーバイザーを交え、リング上が怪しくなる。ガードマンもリング・エプロンに駆け上がり警戒態勢。

再び小島事務局長「3回を過ぎてからの偶然のバッティングで続行不能の場合は、WBAルールに乗っ取り、それまでのポイントが勝っている方のTKO勝になります。したがって3回までのポイントが優っているマデラ選手の勝ち」声が震えていたの覚えてます。私は赤コーナーポストでこの騒動見守った。

一度出された判定が覆った。ありとあらゆる怒号が飛び交い、シートカバー、丸めたパンフレットがリングめがけて飛んできた。リング上は超険悪。セコンド、協会関係者が、小島事務局長に詰め寄る。リング下からもファンの激しい抗議が続く。

「小島さん、これはあなたのミスですよ!」「ドクターが見る前、マデラは背を向けてギブ・アップしたじゃないか」確かに試合放棄とも取れる態度でした。

ビデオを見るとわかりますが、4回マデラの傷を見る前に小島事務局長と宮本コミッションドクターが役員席でなにやらヒソヒソ話。これしっかり確認できます。写ってますから。ルール勘違いしたんですね。リングを降りても激しいやり取りが続いた夜でした。

この当時は偶然のバッティング・ルールが整備され始めた頃で、15回戦の3回以降のバッティングは、それまでのポイントで優る者がTKO勝とは、下に恐ろしいルールです。今ではだいぶ合理的になって来ました。

その昔は、理由の有無を問わず傷を負い、続行不能と判断されればその選手のTKO負け。無敵の世界ウェルターチャンピオン、ホセ・マンテキーヤ・ナポレス(メキシコ)が一度タイトルを手放したのも、自身の負傷によるストップ負けでした。

WBAのチャンピオンベルト。この騒動のさなか、誰かに持っていかれちゃいました。(~~)その後出てきたのかなぁ。リング上で事の成り行きを見守っていた渡嘉敷選手、気の毒でした。こんな事あると、人生観、変わってしまうでしょうね。しかし、気持の切り替えが早い渡嘉敷選手。この夜は”新宿2丁目”で、朝まで歌いまくり、悔しさを晴らした。(~~)

4度も世界戦のリングで対決したライバル、ルペ・マデラ。もうこの世にはいません。若くしてなくなりました。生前、渡嘉敷氏はTV番組の企画でメキシコまでマデラ選手を訪ね、再会を果たしたそうです。「元気で幸せそうだったのに」あれが今生の別れになるとは・・・。

30才にして世界王者になったマデラでしたが、渡嘉敷選手との戦いで消耗しつくしたのか、その王座は長く続きませんでした。戦績負け越しのフランシスコ・キロス(ドミニカ)にあっさりKOされタイトルを手放しました。負け越しの世界王者、あれから出てないですね。

続く・・・。