浪速のロッキー/渡辺二郎/デュラン | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

渡嘉敷選手が不運の世界王座転落をしたこの時期、83年8月号ボクシング・マガジン誌には興味深い試合がたくさんレポートされています。

人気絶頂の”浪速のロッキー”赤井英和(グリーンツダ)選手が、WBC世界S・ライト級王者ブルース・カリー(米)に挑戦したのは7月7日。赤井選手、7ラウンドKOを予言。「ズバリ、ラッキー7。アリのように嘘はつかない。負けることは考えた事もない」と豪語。

カリーは、クォーリー・フジのリングネームで日本のリングでも活躍。デビュー以来7連続KOのホープ杉谷 実 (協栄)選手を軽く一蹴した他、不倒王ライオン古山(笹崎)選手をもKOし、ファンをビックリさせました。この頃が一番強かったような気がします。

時の世界王者ウィルフレッド・ベニテス(プエルトリコ)との2連戦は、カリーにとっては不運な判定に泣かされた試合。しかしその後は泣かず飛ばず、トミー・ハーンズにも軽くKOされる等、いわば”咬ませ”役を務めていました。

数々の試練を乗り越え世界王者になっての日本リング。日本では三迫ジム所属で試合をしていたカリー。日本で試合をするに当たっては契約問題で揉めましたが、山縣孝行氏(故人)の男気で問題クリア。

世界戦前、電柱に登ってしまったり、その奇行が話題になったカリー。しかし、リングでは思う存分その経験を生かしたボクシング、見せてくれました。赤井選手にとっては、決して勝ち目のない試合ではありませんでした。が、結果は予言した7回に玉砕。予言通りにこの回勝負に出た根性、凄いです。

関西初の世界王者、WBA世界S・フライ級王者渡辺二郎(大阪帝拳)選手は、6月23日メキシコからの輸入選手、同級9位仙台・ラミレス(仙台)との4度目の防衛戦を行っています。

この試合、1ラウンド開始早々いきなり2度のダウンを渡辺選手が奪います。ラウンド終了間際には左グローブをキャンバスにタッチさせたラミレス。3ノックダウン。これで本当はKO勝ちだった渡辺選手。しかし、レフェリーはスリップの裁定。「コミッションは何のためにいるのかわからないじゃないか」吉井清・大阪帝拳ジム会長の試合後のコメントです。

前半戦、いつでも倒せる。倒せる気満々になってしまった渡辺選手。4回、9回とダウンを追加しますが、後半戦は倒しに行った”ツケ”が回って来ます。10回以降は追い詰められるハメになってしまいました。最終回はダウン寸前まで追い詰められる事に・・・。

そして判定は、レフェリー・デンキンは141-141のドロー。残り二人の中立国ジャッジが143-141。143-140で渡辺選手。ラウンドシステム採点が、このような結果を生む事になりました。ちなみにデンキン氏、1回目はラミレス7、最終回は渡辺8と付けています。

渡辺選手「いい勉強になった」その後の活躍で、これは見事に証明してくれました。クレバーでした渡辺選手。私は日本で生まれた世界王者の中で、その実力は一番の部類に入ると思っています。

そしてロベルト・デュラン(パナマ)。一時は無名選手に2連敗を喫し、もう終わった選手と見られていましたが、WBA世界S・ウェルター級王者デビー・ムーア(米)に挑戦したタイトルマッチで8回KO勝ち。世界の舞台に帰って来た。

この試合、左ジャブと左ボディが有効でした。ムーアの顔面はもうボコボコ。「ノー・マス」レナードとの対戦で不可解なストップ負けしたデュランに、世間は引退を迫ったらしい。が、雌伏を乗り越え見事に復活。

こんな大選手でもスランプがあった。歴史を顧みると、スランプは気の持ちようだけだったように思います。ア~、後年来日したデュランに水道橋の焼肉屋さんでビールを注ぎ合い、一緒に焼肉つまんだ事、今でも信じられない思い出です。(~~)

続く・・・。