大荒れ・エスカレラVS山辺Ⅰ | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

2日は協栄ジム・萩原トレーナーの結婚式。大変いい披露宴でした。新婦のご尊父の心境を思うと心がぐっときます。手塩に掛けた選手をリングに送り出す会長、トレーナーも、及ばずながら同じ思いかと・・・。


途中、萩原選手が九州で時の日本フェザー級王者・越本隆志(FUKUOKA)選手に挑戦した時のビデオが流た。試合の模様が流され次いで判定の発表。1人目のジャッジは100-94でチャンピオン。「なんだ結構離れてるね」(~~)そして二人目は、「萩原」「エッ、こんなのあるの」「すごいねェ」(~~)そして3人目は小差で越本選手。達観した顔つきでリングを降りる萩原選手が印象的でした。


新婚旅行はハワイ。まじめな萩原先生、選手のことが気になってしょうがないとは思いますが、楽しんできてください。ハワイはいいところですよ。


そのハワイリングでデビューし活躍した選手の中にバズソー山辺選手がいます。練習生時代にハワイに渡り、同地でプロデビュー。一度日本ライト級の王座に就いた後、ローレンス・一ノ瀬氏(故人)がマネジャーに就任。ハワイで世界ランク入りを果たし、1階級下げて世界タイトル挑戦の機会が与えられた。


76年4月1日、奈良県橿原市に於いて奈良池田ジムのプロモートでこの試合は行われました。池田会長は、IBF日本を立ち上げたほどの情熱家。その時抱えていたホープ新垣 諭 選手には、自分で進路を決めるよう諭し、強制的参加は呼びかけていません。


縁あって、活動を再開したIBF日本のリングに飯泉健二選手が上がることになった時、スパー等協力したことがあります。飯泉選手の1回限りのカムバックのリングには、熱烈な支持者が全国から応援にかけつけ、感動的フィナーレでした。池田会長のご配慮で最前列で見させて頂きました。


さて山辺選手の挑む王者は、WBC世界S・フェザー級王者・アルフレッド・エスカレラ(プエルトリコ)。柴田国明選手を強烈なKOで下し王を奪っている。そしてこの試合、イトウ先生が山辺選手のトレーナーにつきました。山辺選手は、大変上手な戦い方をしたと選評されています。この試合のビデオをハワイに持って行きました。


試合は山辺選手が上体を振りながらボディ・アタック。エスカレラは右ストレート、アッパーのカウンターを狙う。空振りで場内が大きくざわめくほどの鋭いパンチ。それでも山辺選手は決定打をもらわず、上手に戦っていました。ボディが当たる。そしてエスカレラが弱ってきたかと思われた6ラウンド、試合は突然ストップされる。


「ノーノー」「ノー」ローレンス氏がぶ。騒ぎはここから始まった。この回終盤、エスカレラの連打、山辺選手は上体を振ってディフェンス。全部はずすまではいかないが、効いたと思えるパンチもない。ここで、プエルトリコ人レフェリー・ファルーが割って入る。誰も意味が分からないようなタイミングで・・・。


リングにはありとあらゆるものが投げ込まれ、ケガ人も出た。これほど混乱した世界戦はないほどの荒れよう。渡嘉敷VSマデラⅢも、コミッション席のルール勘違いで荒れたがこれほどではなかった。


「すごかったね、あの時は」イトウ先生も「あれは、ディフェンスしてたんですよ。パンチはもらってない」と珍しくムキになってインタビューに答えている。ちなみにレフェリーの採点は5回までイーブン。イトウ先生は「この試合チャンスあったね」と、今でも残念そう。

「エスカレラに試合を再開するよう説得する」コミッション席からこんなアナウンスが流れ、山辺選手はリング上でがんばった。かなりの時間が経過したが、試合再開などありえるはずはなく、混乱は続いた。


結局は主催者池田会長が動き、同地で両者の再選を行うという事で決着。この当時は立会人制度なかったんですね。殴られてガードマンが気絶とありますから、普通じゃない。ハワイのジム関係者もビックリしていました。