”こわいもの知らず”挑戦者・具志堅用高 | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

西城正三選手が世界タイトルを失って5年。上原兄弟、シゲ福山選手に継ぎ世界タイトル挑戦が決まったのが、具志堅用高選手。プロ入り僅か9戦目での世界タイトル挑戦は、1976年10月10日山梨県甲府市で行われることに決定。ちなみにこの試合のプロモートは、全日本パブリックジムの田中敏朗会長。


ボクシング・マガジン誌に”こわいもの知らず”具志堅の勝算と見出しに出ています。回りの空気は「挑戦はまだ早すぎる」というもの。しかし、具志堅選手は「負ける気がしない」と豪語。アマで高校王者、65戦の戦歴を持つ具志堅選手の、ここまでのプロ戦歴は以下の通り。


先代金平正紀会長、例の調子で「具志堅は100年に一人の選手。ケガさえなければ必ず勝てると思っている」と挑戦者をアピール。


TBSテレビ運動部長(当時)の 森 忠大氏「具志堅君の練習を始めてみたとき、私はファイティング原田、海老原博幸らに感じたインスピレーションを持った。きっと勝ってくれる」


以上3人のコメントを総括して、選手も選手なら周囲も周囲、なんと自信家ばかりが集まったものかと”きつい”表現の仕方をされている。(~~)



しかし、この二人には確固たる自信があった。近年、イトウ先生を交え 森 忠大氏と食事をご一緒させていただく機会に恵まれ、直接聞かせていただいたお話。


「どこで聞いたのか、内緒にしてたのによく調べてきたよ。誰も知らないはずだったのに」「ああいうところはマメだったなぁ」森氏は、虫垂炎を患い秘密入院していた。


「凄い選手がいるから見てください」先代会長は具志堅選手の練習を一目見てほしい一心で、手術後の森氏を直撃。「まだ痛くてねぇ。寝てるところで一生懸命しゃべるんだな。コイツは凄いと・・・」「もう、すぐに行きましょうだからねぇ」


その熱心さにほだされ「退院したらジムへ行くから」と約束させられた森氏。約束を守る為、退院後さっそく千駄ヶ谷の協栄ジムへ出向く。


そこで見た具志堅選手の練習。「一目見て、これは素晴らしい選手になると思いましたね。体はまだ小さかったけど・・・」これは、まだデビュー前の事です。


具志堅選手デビューから3年。この時L ・フライ級は、新設間もないクラスで最軽量ウエイト(当時)という事もあり、世間の認知を得るまでにはいたっていなかった。


「小さい選手でも、画面を通せばその良さを存分に伝えられると思った」と森氏。局内の大反対を押し切って、この試合を実現させたんだそうです。ボクシング史に残る名勝負を演じ、世界王座を奪取した具志堅選手。この乾坤一擲のチャンスをモノにし、世に出る事に・・・。


先代金平正紀会長と 森 忠大氏の選手を見抜く”力”とチャンスを与える”度胸”。そしてプレイヤーとして類まれな素質、闘争本能を持った具志堅選手。全ての歯車がうまく絡み合い、この試合は実現され、勝利し、新しい世界王者が誕生した。


ちなみにこの試合の1週間後、私は東京へ出てきました。その時の先生が競馬好き(~~)だったのでよく覚えていますが、この年の菊花賞をグリーン・グラスが勝った直後でした。(~~)高配当獲ってご機嫌でしたが、その後は聞いた事ありませんねぇ。(~~)


世界王者となった具志堅選手、次はオプションとの戦いが待っていました。2つのオプションをグスマンの前の王者、ハイメ・リオス(パナマ)側に押えられていた。


そして、ここでも先代金平会長は、絶妙の”読み”と”行動力”を見せる事に・・・。


続く・・・。