亀田兄弟・協栄ジムのルーツⅣ | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

海老原選手の活躍で協栄ジムには、「強い男になろうと一年発起」した宮下政生(沖ジム会長)選手が入門。

高校時代からボクシングを始めたそうですが、かなりの”やんちゃ”だったそうで、”ガチンコ”の会長はまさに地で行ったわけですね。(~~)

昔、札幌での試合、古口 哲 (Sスポーツ)選手のチーフセコンドに付いていた宮下トレーナー。インターバルで、”ビンタ”飛ばしてました。「何やっとんだワレ~」(~~)その甲斐あってか、古口選手は勝利しました。

続いて、世界フェザー級王者となる西城正三(ナカハマジム会長)選手もトレーナーの兄・正右氏と共に、この当時では画期的な選手とトレーナーのコンビで入門。

現マネジャーの大竹重幸選手も、”シンデレラボーイ”西城選手に憧れて中学1年生で入門。沖縄から元祖”沖縄の星、康恒&フリッパーの、上原兄弟。高校時代、上原家に下宿していた具志堅用高選手も協栄ジム入り。

そして、具志堅選手の試合をテレビで観戦「オレが、こいつをやっつけてやる」との決意で、ボクシングを志した渡嘉敷勝男選手が、同門対決はできないことを知らずに協栄ジムに入門。(~~)

このように人が人を集めて、名門”協栄ジム”と呼称されるようになりました。最近ないのが寂しいですが、OB会には地方からも大勢の元選手、関係者が集まります。

そしていつも海老原選手の事を熱く語る、”とんきん”時代からの盟友、”鬼の山さん”(~~) こと、山神淳一トレーナー(現山神ジム会長)。

「山さんも丸くなったよなぁ~。昔は怖くて、山さんの前では何もしゃべれなかったんだから」「よぉ~、大坪元気かぁ~」いきなり直立不動になる大坪先輩。やっぱり怖い(~~)

この時代に”鬼”と呼ばれていた名物会長は、笹崎ジムの先代笹崎会長。しかし、60を超えて丸くなってきたとの記事があります。題して”鬼の笹崎”はもうろくしちゃいない!

ファイティング原田(元世界フライ・バンタム級王者)選手を、これでもかこれでもかというくらい鍛え抜いた笹崎会長。

「ボクシングは格闘技だ。たしかにテクニックは尊重するが、そればかりに頼っていてはいけない。そのうらにはいつでも根性、どんなときにもくじけない闘志が伴っていなくてはならない。その根性をかりたてるためにオニになって挑発する」

「原田は、あれだけの功績を残した選手だけに、よく私の挑発に反発してきてくれた。いま思っても頼もしい限り。原田にはすばらしい根性が息吹いていた。そこへいくと、今の選手は反発が弱い。これも時流のせいかと諦めかけたこともある。しかし、思い直して行動で示す根性論を話し合いで諭す方法に転換することに決めた。このへんが”オニの笹崎変じてホトケの笹崎”と写るんじゃないですか。私の本心は昔から一筋ですよ」

渡部勇次郎先生に弟子入りした笹崎会長。「先生の教育方針が”習うより覚えてみろ”だったから仕方がない。こうなると歌の文句じゃないけれど”挫けちゃならぬ”と激励するのは自分自身しかない。ずいぶん苦労したけれど、自分に打ち克つ根性という根性だけはみっちり叩き込まれたものです」(以上、ボクシングマガジン誌1976年12月号から抜粋)

現代の”牛若丸”は、亀田兄弟と共に売り出し中の渡部信宣選手ですが、昔、ファイティング原田選手の実弟が、牛若丸原田のリングネームで日本王者、世界ランカーとして活躍しています。

ちなみに”弁慶”は、ベンケイ藤倉選手(故人)が日本王者になっています。このベンケイ選手の実弟も期待された選手で、協栄ジムからプロ入り、ハワイのリングでデビュー。そしてハワイに住み着くことを決心、現在はハワイ在住。

ボクシングは心半分。「オレは”心を”教えているんだよ」大竹マネジャーも、やっぱり”鬼”ですかねぇ~(~~)坂田選手、鍛えられています(~~)

続く。