亀田和毅VS坂田健史スパー・協栄ジムのルーツⅢ | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

  8日、亀田家の3男和毅君(14才)が、世界ランカー坂田健史選手と3ラウンドのスパーを行いました。

マスコミも大挙駆けつけ、TV中継までされる凄さ。さすがに、打ち込まれはしましたが、世界ランカーにあれだけ立ち向かっていける和毅君。将来が期待出来ます。

14才といっても、ランカークラスの力はありますね。体も良く鍛えられているし、とても14才とは思えません。3年後が、本当に楽しみです・・・。

この日のスパーは、きっと素晴らしい経験になった事だと思います。

さて、アカバロ敗戦後、7ヶ月のブランクを経てカムバックした海老原博幸選手が、不死鳥として甦ったのは69年3月30日。突然のアカバロ引退の後を受けて、札幌で行われた世界フライ級王座決定戦。

再起後5勝(3KO)で、世界ランキング3位を維持していた海老原選手は、2位のホセ・セベリノ(ブラジル)を判定で破り5年振りに世界王座カムバック。現役最古参29才での快挙。

しかし、このカードも簡単に決まったわけではなく、紆余曲折の末、ブラジル・サンパウロで開催が決まっていた試合を日本に持ってきました。先代金平会長も今度こそはラストチャンスと、海老原選手の為に東奔西走。

先代金平会長が、セベリノのA・カッツェネルソンマネジャーとの国際電話で、この試合の正式発表に漕ぎ着けたのは2月22日の事。ラストチャンスへの執念が伺える・・・。

この試合でも海老原選手は9回左手を骨折。しかも、試合前に痛めていた右手には”麻酔”をうっての戦いでした。しかし判定は、文句なく海老原選手へ。
日本でやれて良かった。

この時は、初めてリングで泣きました、海老原選手。写真左は、小川トレーナー(Jスポーツ・マネジャー)、拍手を送っているのが、スパーの怪我で引退した上甲トレーナー。

初防衛戦はこの年10月19日。この挑戦者も揉めに揉めた末、急転直下、比国の世界2位バーナベ・ビラカンポに決定。試合は大阪で行われました。ちなみにこの試合のプロモーターは、大阪帝拳ジム吉井 清 会長。

大阪では3度目になる世界タイトルマッチ。この試合の海老原選手のファイトマネーは、7万ドル(2520万円)。オプション無しで勝ったからこそですが、この時代を考えるともの凄い金額ですね。

ケガに付きまとわれた海老原選手。この試合前のスパーでも、左ひじと首筋を痛める事に。そして試合開始早々、その左肩が抜けるような異常にみまわれ、以後は左手が上がらない状態で戦い続ける事に。

4回終了後、セコンドに自らの左肩の異常を訴えた海老原選手。「柔道の先生を探して来てくれ」と、告げると共に悲壮な決意を告げました。

「どれほど打たれても、絶対にタオルを入れないでね。オレ、KO負けだけはしたくないから」

コーナーに帰るたびに、「タオルは入れないで」と訴え、最後まで打たれ続けた海老原選手。ラストファイトは終わりました。

海老原選手、10年間72戦のキャリアの中に”KO負け”は一つもありません。そして36KO勝ちの記録は、”拳聖”ピストン堀口選手に継ぐ記録です。

こうして、強打者ゆえに両拳の怪我に泣かされ続けてきた、海老原選手のボクサーとしての戦いは終わりました。

「僕は、たとえ明日食う米がなくっても、やりたくないことはやらない」引退後の海老原選手の言葉ですが、何かわかるような気がします。

海老原選手の活躍と共に先代金平会長は、この10年間で”協栄ジム”の土台を作り上げました。

馬小屋を改造したジムからスタートしたジムも、この頃には、立派な構えになり、西城正三選手が世界フェザー級タイトルを獲得、シンデレラボーイとして人気を博していました。

そういえば、”鬼の笹崎”と言われファイティング原田選手を育てた、笹崎ジム先代笹崎会長も最初は馬小屋を改造したジムからスタートしています。面白い偶然なんでしょうけど・・・。

原田選手と対戦後、海老原選手は原田選手とすっかり仲良しに。同時期にロスに行ったり、ハワイに行ったり、交流も盛んだったようです。「ロスで試合して、ハワイで休養してから、またロスで試合がしたいね」なんて、話し合ったりしています。

協栄ジムでは、山神淳一トレーナーが”鬼の山さん”として恐れられていたようです。(~~)先代金平会長は、海老原選手からも”カネさん”とか言われていたようで、やさしかったのかな?この辺がうまいところでしょうね。

現在、藤沢市で山神ジムを主宰する山神淳一会長。OB会の席で、海老原選手の事を語る山神会長の口調はいつも熱い。手塩にかけた選手に先立たれてしまった山神会長の気持は、自分の子供に先立たれたのと同じ気持なのでしょう。

山神会長、今、素晴らしい才能を持った若いボーイに夢を見始めています。
先日、藤沢市の山神ジムから新宿の協栄ジムまで、そのボーイを連れてスパーリングに訪れた山神会長の目は輝いていました。

今後が楽しみですね。大竹マネジャーも、「いいよ、あの子はおもしろいよ」と、語っていました。 

続く。