門田選手が作った詩です。正確かどうかはわかりませんが、こんな感じだったように思います。
世界タイトル挑戦の、入場前、門田選手のこの詩の朗読が流されたと記憶しています。凄くカッコいいなぁ~と思い、未だに頭の中に入っています。何でも、チャンピオンになったら、レコードにするんだと言う話でした。
門田選手が、ハワイのリングでカルモナを破り、凱旋帰国しての第1戦は11月20日東京・日大講堂で、世界ランカー・ジミー・ロバートソン(米)を相手に行われました。
当時の日大講堂は世界戦に使用される会場であり、この試合はゴールデンタイムで全国放映されました。私は、世界戦も全部は放映されない静岡に住んでいましたが、この試合は生放映されました。
門田選手への期待度が、如何に大きかったかが伺い知れます。9月8日、ガッツ・石松選手はWBA王者R・デュランに挑戦してKO負けしたばかり。ハワイもしくは日本での試合をOKしている、WBC王者ゴンザレスの次の相手は、”カドタ”のはずだったのですが・・・。
ガッツ・石松選手がWBC王者になった事により、日本での世界挑戦を熱望する門田選手側のターゲットは、1階級上のS・ライト級へと向けられました。(WBA王者デュランは来日の意思無)

そこで選ばれたのが、WBA世界S・ライト級王者アントニオ・セルバンテス(コロンビア)。門田戦まで63戦58勝(27KO)5敗。29才。試合は、10月26日・日大講堂に9千人の観衆を集めて行われました。

1972年10月、アルフォンソ・フレイザー(パナマ)から奪ったタイトルを、1年半で7度防衛中、そのうち5度はKO防衛。”戦うチャンピオン”として高い評価を受けていました。(73年はWBAの年間最優秀選手)
「要は金次第、ファイトマネー12万5千ドルを下らないなら、いつどこででも防衛戦をやる」
全ては金次第、相手の強さは問題ではない。これはセルバンテスの試合後のコメントです。
「体の違いをつくずく感じた。1階級違うとこんなに違うのかねぇ~」と三迫会長も、体力負けだと首をうなだれ、「運のない男だ」と続けた。(ボクシングマガジン誌より)

門田選手は1回から5回まで毎回ダウンを奪われ、8回3度のダウンを喫しKO負け。負けっぷりに、”世界を獲るんだ”という想いが伝わってくる、感動的な試合でした。
この試合後、門田選手は一気に下降線へと向かいます。再起してからは、以前のような試合は出来ず、打たれもろくもなり、以後3勝(3KO)2敗(2KO負け)1分と低迷し、76年ロスでの試合を最後に引退に踏み切りました。
一方のセルバンテスは、76年3月11度目の防衛戦で17才の伏兵ウィルフレッド・ベニテス(プエルトリコ)に判定負け、王座を失います。
しかし、77年6月ベニテス返上後のタイトル決定戦で勝ち、再び世界の王座に着きます。この年32才。このタイトルは、6度防衛。
ラストファイトは80年8月、あのアーロン・プライヤー(米)に初回ダウンを奪うも4回KO負けを喫し、王座転落。18年間のボクサー生活を終えましたが、史上に残る名チャンピオンでした。
”運の無い男”ウーン難しいですね。門田選手の世界タイトル挑戦と時を同じくして、10月18日”努力の人”花形 進 (横浜協栄)選手が、WBA世界フライ級王者・チャチャイ・チオノイ(タイ)の王座に挑戦。

実に5度目の世界挑戦の花形選手。王者の計量失格で、勝てば新チャンピオン、負けても次の決定戦に出場出来る権利を持って、リングに上がります。
どうにもやる気の見えない王者に対し、アウトボクシングでポイント連取の花形選手。6回レフェリーストップで、世界タイトルを手に入れました。
前年10月タ、イでチャチャイの王座に挑んだ時は、有利な予想にもかかわらず判定負け。この時は試合後、チャチャイがバッタリと倒れました。精根尽くしたと言う感じ。それだけに花形選手は、叩かれました。
1年後、大した実績を作り直した訳ではありませんが、再戦のチャンス。それも地元横浜開催。やめなくてよかった!デビュー11年、5度目の挑戦での悲願達成。
しかし、エルビト・サラバリア(比)を挑戦者に迎えた富山市での初防衛戦。完全に勝ち、どう間違っても引き分けがいいところ、だった試合でタイトルをあっけなく手放します。
この試合、ジャッジが採点を何度も書き直したりしていて(公開された)、後味悪かったです。試合場は大混乱。
タイトルは、マッチマーカー・ロッペ・サリエル氏の意のままに比国へと持ち去られました。河合会長も、サリエル氏の言いなりで、レフェリー、ジャッジを受け入れてしまった事、後悔していました。
一度立場が入れ替わるとボクサーとは難しいもので、再戦では勝てず、世界タイトル7度挑戦の記録を残して、花形選手も引退。
現役引退後も苦労しながら、職業を変え、今はボクシングジム会長。成功を収めています。
素晴らしい左ジャブを持っていた花形選手。弟子の菊井選手が、それを受け継いでいるように思います。また、門田選手の一撃必殺の右フックを受け継ぐ選手の出現にも、期待したいと思います。