●「ドラゴンへの道」藤波さん物語 第3回  

 

 

藤波辰巳 まだ17歳だ!

 

今日は5月9日! そうです!

藤波さんのデビュー記念日ですっ!

おめでとうございます!

 

5月9日の藤波さんの「デビュー記念日」 当日になりました。

 

 

まず、これが、デビュー戦の記録だ。


◆1971年(昭和46年)5月9日 岐阜・岐阜市民センター

▼20分1本勝負
○新海(7分52秒・首固め)藤波×

 

 

これが、いちばん有名な写真ですね。

 

 

 

日本プロレス時代に入門したのは昭和45年の6月。
 それから約11ヶ月かかって、デビュー戦を迎えた。

 その前からバトルロイヤルデビューは果たしていたが、これが本当のデビュー戦。
 相手は、入門を直訴した北沢(当時のリングネームは新海)。

 藤波自身、緊張のあまり何をしたのかも、まるで覚えていないというデビュー戦。
 とにっかく、調べてみました、専門誌などでも、その試合経過の記述はほとんどない。

 

※この上の「ドロップキックを藤波が」やっている写真は、東京スポーツ社の書籍にあったものですが、写真を見ると、ドロップキックのフォームがすばらしい。


「緊張しているか?」
「・・・・・・。」
「思い切って、とび蹴りをやってこい!」
「はい」

こんな会話が、試合前にあったそうだ。

ただ、当時、若手は派手な技はやってはいけなかった(派手なことをやると、あとで、先輩から殴られた・・・)などという不文律からすると、デビュー戦での緊張とあいまって、
できたのは、このとび蹴りだけ
という話もつたわっています。

 


ちなみに
 この一戦が行われたシリーズは「第13回ワールドリーグ戦」
 この日、猪木はアンジェロ・モスカとリーグ公式戦。8分12秒・あばら折りで快勝。
 馬場は、大木と組んで、ブッチャー、メンドーサ組に2-0で勝利している。ブッチャーとメンドーサが組んでいるところは、なかなか面白い。

さらに言えば、この「第13回ワールドリーグ」は、馬場と猪木が同点で最終戦を迎え、5月19日大阪府立で、猪木がデストロイヤーと両者リングアウトの引き分け後、馬場がブッチャーに勝って優勝した。というもの。

 いうまでもなく、藤波のデビュー戦はワールドリーグとは直接関係はない(ですね。。)

 


▼さらに、デビュー戦について、

自伝「未完のレジェンド」(藤波著)ほか、何冊か書籍や、さまざまなインタビュー記事から
デビュー戦についてまとめてみると、ほとんどの記述に「なにも出来なかった」とある。
          

いよいよ「デビュー戦」の試合を組むと
出場を告げられたのは試合の当日だという。
その数日前から「そろそろ試合を組むから」といわれてはいたという。

 

・藤波「試合に出場することを告げられたのは試合の当日、でも、その数日前から「そろそろ試合を組むから」といわれてはいました。

 試合がいついつだぞ、というのは言われないんですけど、おまえシューズはもっているのか?とか、なんとなくおしえてくれました。まとめ役は、中堅以上は吉村さんでしたけど、若手はミツ・ヒライさんでした」


デビュー戦の感想の記述では、共通しては、、「練習とはちがって、なにも出来なかった」
 「北沢さんが、ものすごく大きく見えた」
 「とにかく、なにもできなかった」
 「なにをしたかなんて、無我夢中で覚えていない」
 「練習では何時間でも出来るのに、試合では5分で精一杯だった」
          
・藤波「頭が真っ白になってね。試合後に北沢さんから『痛かったか?』と声を掛けられた気がする。でもその次には『早く着替えてセコンドに行け』と怒られました」

  ・「北沢さんが、普段以上に大きく見え、5分過ぎからは立っているのがつらいほどスタミナがなくなった」とも。(著書「無我」より)

 

 ・藤波「試合のことはほとんど覚えていません。ただ、やたら苦しくて、試合時間がものすごく長く感じた。北沢さんとはいつも練習していたんですが、試合になると、一発一発が強烈で、練習の時とは全然違うんです。試合になると違うパワーが出ることを思い知らされました」(2014年)
       
         

 入門からデビュー戦まで時間がかかったが、これは、藤波が格闘技の経験がなく、また身体を大きくするのに時間がかかったことによる。。また、猪木の「プロとして、恥ずかしくないようになってから、デビューさせる」という方針もあったという。

 

そして、別の側面として、藤波が言っている。

「デビュー戦の相手も北沢さんです。北沢さんが相手をしてくれなかったら、相手をしてくれる人がいなかったんです(苦笑)。 だから買って出てくれたんじゃないかな。当時は67~68kgしかなかったんです」(2016年、新間寿氏との対談)

 

「メキシコに遠征することが決まった」北沢は、その前に、藤波をデビューさせてやりたかった。自分が名乗り出た、との北沢の発言もある。

▼デビューのお祝い?

  当時は、デビューする新人に、先輩がレスリングシューズをプレゼントしてくれるという風習があった(素敵な風習ですね)が、藤波には、対戦相手で先輩の北沢からシューズがプレゼントされた。また、当日は、試合用のタイツも北沢から借りて臨んだという。(「未完のレジェンド」より)

もう、何から何まで北沢さんですね!

 

北沢幹之選手

 

 

 藤波「靴のサイズは27、5センチです。はじめてリングシューズを作ったときは、うれしくて枕元に置いて寝ました」    (※まさに、「坊や」から、「藤波青年」への旅立ちですね)
 

 

 

 

うわ~

(毎日)「やべえ、進まないぞ。ついつい藤波さんのことを書くと、楽しくなっちゃって、いろいろ細かく書いてしまうんです。」などと想いながら、連休中に、急に入った仕事に追われ(ありがとうございます)それでも、なんとか

今日のデビュー戦記念日に、デビューさせられました(笑) よかったでwす。

 

ここまで、お読みいただいて、ありがとうございます!

 

このたび、この一連の「デビュー戦お祝い」記事を書きながら、ネット上を検索したり、見たり、聞いたりしていたら、「日本プロレス」の当時のパンフレットをずらりと紹介してくださった方がおられます。

そちらで紹介してくれたものですが、もうすこし、当時のマニアックなとこなどを、書いちゃいます。

続きを読む勇気のある人は(いや、無い人も)読んでね。

 


●藤波の「パンフレット登場」と「デビュー戦の扱い」

これは、私が所有の「パンフレット」の藤波さんの項目

「すでにバトルロイヤルに出場している」バージョンです。



日本プロレスの当時のパンフレットをずらっとお持ちの「エコケーンさん」のブログによると
藤波が、はじめてパンフに将来されたのが70年の11月から、

 

引用します

ーーーー

藤波辰巳さんが初登場したのは、昭和451113日~12月9日のインターナショナルチャンピオンシリーズ戦参戦していたのがジン・キニスキーとジョニー・バレンタインにハーレイ・レイス(当時この表記)といったところで、12月3日、大阪府立体育館でキニスキーにバックドロップでベルトを獲られ、シリーズ終了後、ロスで奪還と言った流れで昨日のことのように

  ーー引用終わり

 

70年11月からということですので、わたしは、このころ、藤波がレスラーと認識というか、認められたのかなあ、という感想をもちますけど、いかが?

 

その最初の藤波選手紹介を見ると、写真がすこし違ううえに、紹介文も

「6月にプロレス入りし、錬成にはげむ」とあります。

 

それが、上の写真のように、(このデビュー戦のある「ワールドリーグ戦」のあとの、)「ダイナミックシリーズ」のパンフからは「すでに、バトルロイヤルに出場している」とあります。前シリーズの動きが紹介されるのは、おそらく、次のシリーズ以降になると思われますから、藤波さんのデビュー戦の紹介も(きっと、選手紹介のなかだけでしょうけど)次のシリーズ以降には。。。。と期待してしまいますが、、、

 

それが、

エコケーンさんの情報では、年末の猪木の除名・脱退、藤波のそれに追随する事件のためか、とうとうパンフでは紹介されなかったとのことです。

ちょっと、マニアックな話ですが、他では得られない貴重な情報ですから、詳しく力を入れてしまいました。

 

 エコケーンさんのブログは、こちらにリンク

 

 

日本プロレスのパンフレットがずらり、しかも「自筆サイン」が入ってる!!

そして、ブログは、プロレスだけでなく、昭和40年代全般や、最近がリンクしている記事も読める素敵なぶろぐです



▼最後に
東京スポーツ社から刊行された「1971年版、プロレス年鑑」より

藤波の紹介

資料●「1971年版、プロレス年鑑」に掲載された藤波

 たぶん、この年だけに発刊された書籍「昭和46年(1971年)・プロレス年鑑」に紹介された藤波 です。

いわく、
  「まだタマゴだが、将来の夢は大きく広がる」」


あれ?デビューの日付が違っている。
昭和46年5月9日がデビュー戦だが
昭和45年10月とある。
バトルロイヤルでも出場した?のでしょうか?(謎)
それとも、単なるミス??(可能性、高い・笑)

「プロレス年鑑1971」
東京スポーツ新聞社刊
1971.5.10

ーーーーー

この後、放漫な会社の経営から、改革を目指す選手たちの動き、そして、その中で
いよいよ、猪木が除名、藤波も猪木と共に行動、新団体に動き
「新日本プロレス」の創設メンバーとして飛躍してゆくのです。

いろいろと、楽しいエピソードがありますけど、、


今日は、ここまで。

お読みいただきまして、ありがとうございました。
         2021・5・9 RSD 藤波さんデビュー50周年記念日に!

 

続きが出来ました。2022年 ここからは「藤波さん大年表」として

新日本プロレスの創設から、いろいろあって、令和4年の「デビュー50周年」ツアーまで 大年表形式でおおくりします。

長期にわたって、連載することになりますえ。

 

では、どうぞ!

 

 

 

 

PS

あ、もし、見てない人は、ちょっと、前の、ブログ記事も見てね。

 

紹介 藤波さんのデビューの頃のパンフレット発見!

 

 

 

2022.9.19 RSD