この世に生を受けて、かれこれ25年になる。
思い起こせば様々な事があった。
嬉しいこと、哀しいこと、楽しいこと、詰まらないこと。。。
しかし、
今の自分を形成するにはどれもが必要不可欠で、一つでも欠けたら今の自分はないんだな、とよく思う。
人の過去は切り離せるものではない。
”過去”があるから”今”があるわけで、そして”未来”へと繋がっていくんだ。
そう…
まるで一本の軌跡を描くように、辿って来た道には必ず跡が残る。
その足跡を忘れず、噛み締める意味を込めての、
『スタンプ』。
迷ったときの"道標"として、
友人に対する"近況報告"として、
私を理解する"情報源"として、
…使っていこうと思う。
今まで出会った人々、物事に感謝したい。
2004年8月12日
おのっち
有機野菜
最近、よく店頭で見かけるようになったものがある。
「有機野菜」だ。
これは、一体なんだろうか?
調べてみた。
有機野菜とは、正式には"有機農作物"と呼ばれ、
農林水産省の規格によると
「3年以上化学的に合成させた農薬および肥料を使っていないことを、第3者機関に認定された農産物」
のことを指しているらしい。
この規格は”有機JAS規格"と言い、2000年6月に施行された「農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律」(改正JAS法)に基づいて定められている。
もう少し詳しく述べると
・種まき又は植え付け前2年以上、禁止された農薬や化学肥料を使用していない田畑で栽培する。
・栽培期間中も禁止された農薬、化学肥料は使用しない。
・遺伝子組換え技術を使用しない。
・・・
と言った感じだ。
この項目をクリアし、検査認証を受けた農産物のみ、
店頭での「有機野菜」「有機○○」「有機栽培」「有機農産物」「オーガニック」などの表示と有機JASマークの貼付が許可されており、これに背くと1年以下の懲役または100万円以下の罰則(条件による)が課せられる。
さらに、認定後も農林水産大臣に登録された登録認定機関により最低1年に1回調査を受けなければならず、結構厳しい審査になっているなんだそうだ。
いつの間にこんなのできたんだろう?
まあ、野菜の消費者としては、
ありがたい限りだが。。。
普段口にするものだから、
やはり安全なものの方がいい。
これからはできるだけ有機野菜にしようかな。
party
友達と一緒に4人で参加したが、
開始30分で2人帰り、途中で1人が合流して
結局3人で朝4時過ぎまでいた。
150名くらいのクローズドの貸切パーティだったが、
普段パーティには行かない面子と一緒だったことと
久しぶりのパーティだったということが重なって、なんか新鮮に感じられた。
ただ、今回は誘われて参加したパーティということもあり、
淡々と時間が過ぎていった印象だった。
なんだかな、という感じが正直否めなかった。
なんでだろ?と思ったときに
音楽に例えて考えてみた。
ただなんとなく聴いていた音楽よりも
何かをやっているときに聴く音楽、
例えば
スキーのリフトに乗っている時に聴いていた音楽、
仕事中の合間に聞く音楽、
よく行ってた喫茶店に流れていた音楽、
車を運転するときによく流していた音楽、
といった方が、良く覚えているし、
思い入れが強い。
その音楽を聴くだけで、
その時の情景が浮かび上がってくる・・・
ああ、だからなんだとその時思った。
パーティも音楽と一緒で、ただ参加しただけのパーティよりも
何かを成し遂げて、開催したパーティの方が
きっと思い出に残るし、楽しいだろう。
もちろん人生もだ。
ただ、淡々と過ごした人生より、
様々なことを経験した人生の方がきっと楽しいし、充実している。
そう、今日の”なんだかな”は、
自分自身の怠惰から来ているんだ。。。
それに気づいたとき
まだまだ自分は頑張れると思った。
2006年12月、
来年からと言わず、今日、この時から頑張ろう!
そう決断したパーティだった。
東京国際女子マラソン
僕の家はちょうど28km地点で、目の前を選手達が走っていく。
様子を見ようと外に出ると、
ほんの2m先を土佐礼子とQちゃんこと高橋尚子が通り過ぎていった。
僕が見たときは、2人は先頭でほぼ並走。
小雨が降り、気温は12月並に低く、
かなり肌寒かった。
そのせいか、帽子をかぶっていて余力があると見られた高橋尚子が
31km地点から失速。
優勝は、土佐礼子。
高橋尚子は3位だった。
マラソンという競技は過酷だ。
42.195kmをたった一人で走りぬく。
僕からしてみれば信じられないほどの精神力だ。
相当の覚悟を感じさせる。
何が何でもゴールまで走りぬく。
そう、「決めている」から走れるのだろう。
「決める」ことの大切さ。
それを再認識した一日だった。
最近の習慣
先日、都内のオープンカフェでお茶をした。
この季節は、暑くもなく、寒くもなく、気持ちがいい。
そういえば、最近、喫茶店?カフェ?に出入りすることが多くなった。
多い時は、一日に3回もお茶をする。。。
逆にお酒はほとんど飲まなくなった。
飲むときは、ほんと付き合い程度だ。
別に言いたいことは、お酒が入らなくても言えるし、
お酒を入れてストレス発散、する必要もないし、
ご飯を食べるなら、お酒を飲まない方が味を楽しめるし、
んー、「普通にご飯かお茶でいいんじゃない?」
という感じになってきた。
決してお酒が嫌いというわけではないのだが。。。
お酒を飲む必要がなくなったというか、お酒を飲まなくても楽しめるようになったというのが正解かもしれない。
これをある種の成長と捉えるか、変化と捉えるか難しいところだが、僕的にはいい傾向なのではないかと思っている。
『男子、三日会わざれば刮目して見よ』
ということわざがあるが、
ほんと日々、人は変化するし、成長する。
僕も、「刮目して見よ」と言えるぐらい
成長していきたいものだ。
2006上海
上海に行ってきた。
まさに10年ぶりの中国。前回は北京だったので、上海としては初だ。
まず、驚いたのが、上海市の近代化だ。
中国の直轄市である上海は、その進歩がすさまじい。
空港を出ると、目の前を走るリニアモーターカー。
そして、立ち並ぶ高層ビル・・・
自分が思い描いていた右上写真のような中国は、もはや過去になりつつある。
もちろん、昔ながらの街並みも残っているが、行政レベルで取り壊しが始まっているから、なくなるのも時間の問題だろう。凄まじいほどの変化を感じる。
「これからは、中国だ。中国の時代だ。」
と、良く耳にするが、自分の頭の中ではその10年前の北京が思い出され、どうしても都市の近代化という点で日本より遅れているイメージがあった。
だが、実際は違う。
既に日本は、中国より遅れているのではないか?
リニヤモーターカーなんて、日本はまだ実験段階だ。光ファイバの導入も中国は、早かった。
この時期に上海を見れて、とてもよかったと思う。 今回、上海に来なければ、きっとこの事実を知らないで生きていたに違いない。
約2年ぶりの海外。
知らず知らずのうちに視野が狭くなっていた。
きっと世界には、まだまだ知らないことがたくさんある。
一度きりの人生、無知のまま終わりたくはない。
時期が来たら、あちこちの世界をめぐり、旅をしよう。
そう、心に決めた上海だった。
牛乳って本当は・・・
.
面白い情報を得た。
牛乳についてだ。
『牛乳』のイメージは?といいうと『=健康』というのがほとんどではないだろうか?学校の給食には出るし、「カルシウムを取るために・・・」とよく親から言われたものだ。
しかし、最近、その牛乳に問題点があることがわかってきた。
その1つがカルシウムの吸収率についてだ。
よく牛乳は、カルシウムの吸収がよいと言われる。
それは、「牛乳を飲むと血中のカルシウム濃度が高まる」ところからきているらしいが、実は、それが間違っている。
もともと、人間には血中のカルシウム濃度を9~11mg/ccと一定に保つようになっており、ホメオスタシス(生体恒常性)という。
通常、人間がカルシウムを吸収する場合は濃度が9~11mg/ccを超えないようにゆっくり吸収する。ところが、牛乳を飲むと急激にカルシウム濃度が高まり9~11mg/ccをかなりオーバーしてしまう。
すると、当然人間の体は拒否反応を起こし、カルシウムを腎臓から尿として排泄しようとする。このときに、余分なカルシウムだけではなく、人間に必要なマグネシウム・亜鉛・鉄といったミネラルも一緒に排泄してしまうのだ。
つまり、カルシウムを補う目的で飲んだ牛乳が、逆に骨からカルシウムやミネラルを奪い、骨粗しょう症の原因にもなってしまうというのだ。
事実、アメリカでは肉と牛乳の取り過ぎが原因で骨粗しょう症になる人が多いと学術的に証明されており、牛乳はむしろ「不健康食品」として、「健康のために」といったコマーシャルは一切禁止されている。
つまり、血中の濃度の高まりから、よいとされてきたカルシウムの吸収率は結局のところ30%足らずしかなく、さらに思わぬ弊害まで出ていたことになる。
もう1つの問題点が、下痢や便秘だが、
牛乳をのんで下痢や便秘をする人が日本人に多いのは、日本人には遺伝的にラクターゼという乳糖分解酵素が欠損しているからで、実際にはどうしようもないのが現状だ。(欠損している人の割合:アメリカ人14%、スウェーデン人3%、日本人79% ※秋田大学)
今まで、健康になるために摂取していたものが、実はそうでもなかった。
なんてことは、これからたくさん出てくるかもしれない。結局のところ、それが大丈夫かどうかなんて、時間がたたないとわからない。
牛乳が広まった経緯なんてもっと傑作だ。
第2次世界大戦後に、アメリカは日本をアメリカの産業拠点地にするために洋食を導入した。その一環として入ってきたのが牛乳だ。
しかし、牛乳産業を推し進めた結果、膨大な量の牛乳を余らせることになってしまった。
そこで困った政府は、需要と供給を義務付ける目的の元、全国の小中学校の給食に牛乳を配給することに決めた。それと共に牛乳は重要なカルシウム源と認識させ、カルシウム不足を恐れさせる教育を徹底させ、「牛乳を飲めば健康になる」と思い込ませた。
つまり、給食に牛乳が出るのは、子供たちのことを考えてではなく、牛乳産業をつぶれないようにするためだったといえる。
これを聞くと、なんか、あきれてしょうがない。。。
自分の身は、やはり自分で守らなければいけないのか・・・
「知っている」ということ
.
先日、ラジオのパーソナリティの人とお話しする機会があった。
とは言っても、ローカルFMの深夜枠を担当している人で、
まだまだ「駆け出し」らしい。
基本的に内容は、ラジオの番組をどのように作っているか?
というところに終始し、取材ノートとかも見せてもらった。
驚いたことに、与えられているのは「枠」のみで、
あとは取材から内容の構成まで全て自分で決めるのだという。
てっきり、ディレクターの人とかが書いた原稿を読むだけだと
思っていた自分にとって、それは衝撃だった。
(まぁ、一応ローカルなんでその地区に関することでないといけないが・・・)
放送した内容のなかでとりわけ印象的だったのが、「のしいか」の話だ。
「のしいか」とは、知っている人もいると思うが、
イカを乾燥させたもので、「スルメ」と近い。
「スルメ」と違うところは、切断されているかどうかの違いで、
加工し、切断されたのが「スルメ」
そのままの状態なのが「のしいか」
だそうだ。
屋台などでは、熱して柔らかくした干しイカを鉄製のローラーにくぐらせて薄く引き伸ばして売っているらしい。
昔は、どこでもよく売られていたらしいが、
最近ではめっきり減ってしまって、日本で「のしいか」を販売している屋台はそこ一軒だけだそうだ。
そして、その干したイカを引き伸ばす鉄製のローラーを作っている人も
もう日本にはいなくなってしまったらしい・・・。
小さな商店街にたたずむ一軒の屋台。
その屋台で、日本にたった一台しかない機械から作られる「のしいか」。
そんなの普通は知るわけがない。
彼女は言った。
『もし、ラジオのパーソナリティをやっていなかったら、
まさかこんなところに「のしいか」を売っている
日本でただ一軒の屋台があるなんて知らなかったし、
そして、私は一生、「のしいか」を食べることがなかったんだよねー。
「知っている」ということは凄いね。』
ほんと、そのとおりだ。
「知っている」と「知らない」との間には、雲泥の差がある。
情報というのは、時にものすごい価値になるんだな。
と僕は、再認識した。
時は金なり
『時は金なり』。
ベンジャミン・フランクリンの言葉だ。
論文『若き職人への助言』にて、彼はこう述べている。
「時は金なりということを忘れてはならない。自らの労働により一日10シリングを稼げる者が、半日出歩いたり、何もせず怠けていたりしたら、その気晴らしや怠惰に6ペンスしか使わなかったとしても、それだけが唯一の出費と考えるべきではない。彼はさらに5シリングを使った、というよりむしろ捨てたのである。」
時間の尊さを述べたこの話は、いろいろと考えさせられる。
この話を述べた当時のフランクリンにとっては、
「より多くの金が手に入るかどうか」
が第一の行動基準であり、
この話には勤労への賞賛が込められている。
論文の正確な年はわからないがおそらくアメリカの独立宣言(1777年)より前だろう。その時代背景を考えると、フランクリンの行動基準に納得がいく。
しかし、時代が過ぎ、
フランクリンが述べた「尊さ」の対象は、
次第に「お金」よりも「生きがい」として解釈されていく…
「時間は大切だから、もっと有効に使いましょう」
これが、主に使われる「時は金なり」の訳だ。
これはこれで、とても大切なことであるし、
的を得た表現だと思う。
ただ、フランクリンの『若き職人への助言』にある文章を読んだとき、
僕はこう感じた。
「時間があれば、お金を作ることができる。
逆にお金があれば、時間を作ることもできる。」
と。
フランクリンの意とはおよそ逆の発想だが、
このほうが今の時代にあっているような気がする。
ほとんどの人が、自分の中で枠組みを決めて生きている。
そして、その枠組みを当たり前だとみなし、取り外そうともしない。
時間もお金も、実は作ることができる。
結局のところは、そうしようとするかしないかの差ではないだろうか?
日本の借金
先日、
世界経済フォーラム(WEF)が2005年国際競争力ランキングを発表した。
それによると、日本は総合こそ12位だったものの、
なんと
政府債務は117ヶ国中114位
財政赤字は113位
…
具体的な額についてはここ⇒ 日本の借金時計
!!!
驚愕である・・・。
なんと一秒ごとに100万円ずつ増えているではないか!?
国民一人当たりの負担額は、約1600万円…
よく、こんなになるまで放っておいたもんだ。
政府は2012年度までにプライマリバランスの黒字化を目標としている。
2003年度 -19兆6469億円
2004年度 -19兆 214億円
2005年度 -15兆9478億円 *見通し
と、徐々に赤字は減ってはきているが一体どこまでいけるのだろうか?
今回の郵政民営化で郵貯・簡保による財投はなくなり
特殊法人は2008年までに郵貯・簡保からの借入れ約350兆円を
返さなければならなくなった。
この財投の焦付き分は公表されていないが、100兆円を超えるともされており、「ほんとに返せるの?」と疑問になる。
先日述べたアフリカ諸国の債務が対外的なものであるのに対して
日本の債務は専ら内部だ。
したがって自分達でなんとかするしかない。
結局そのシワ寄せは、きっと何らかの形で国民にくる・・・
金利が暴走する臨界点(個人金融資産の90%が国家・地方への貸付)まで遅くてあと4年。。。
もう猶予はそんなにない。
.
ホワイトバンド
.先日、ついにホワイトバンドを買った。
シリコンでできている幅15mm厚さ3mmぐらいの白いバンドだ。
ホワイトバンドとは、もともとミレニアム宣言を受けて市民活動家たちが提唱したもので、白い帯状のモノであれば、タオルやハンカチを巻いたものでもなんでもよい。要は、”白いものを巻いて世界の貧困について訴えかけよう!”というものだ。
日本の場合は、G-CAPに賛同した協力企業の影響もあってシリコン製の白いバンドが主流となっており、 \300で売っている。そのうちの約40%が、実際のホワイトバンドの活動に使われるらしい。
この日本版のキャンペーンに対して、善か悪かを問いただす気はさらさらなくて、キャンペーンの透明性と持続性だけ損なわれなければ、それで良いのではないかと思っている。
ただ、確かにアフリカ諸国の過剰債務だけが貧困の原因ではなく、
アフリカ諸国の一部の人が利権を取るといった独裁構造も関係してくることから、疑問視する声もわからなくはない。
でも、まず債務返済。そして市民の教育機関の充実による国政転換。
といったのが、世界的な流れならば、それに向かって行動した日本版「ホワイトバンド」は一目置く存在ではないかと思う。
何もしないよりは、何かした方がいい。
僕は、この300円のうち約120円がその活動に使われるのならば、と思い、「ホワイトバンド」を買った。
想いを託す意味を込めて・・・。
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