徹夜
気付いたら昨晩から今朝にかけて、寝ずに卒論に取り組み、朝、そのまま学校に向かい、教授に会ってきました。
そのため、研究室から出てきたのは昼12時過ぎだったにも関わらず、感覚としては17時くらいの感覚でいました。部屋に引きこもりすぎるのは、外部世界と自分に隔たりを作ってしまうので、危険ですね。太陽の光を浴びましょう。
ということで、一応、提出してもおかしくはない形での卒業論文を、教授に見せてきました。フォーマットは前回よりは整っていたので、教授も安心していましたが、表の分析が甘かったり、コメントの量が少なく、「論文を読む人の立場に立っていない」と指摘されました。
やはり最終的な、卒業論文の評定は、その教授がするわけなので、教授にわかりやすい論文を書くように心がけなければいけません。
次は論文提出日にあたる日の午前中に教授にアポを取りました。その時は、本当に最終確認程度です。提出日は2日間割り当てられているので、どちらかの日の17時までに教務課に提出すればよいのですが、気分的に1日目(すなわち1月17日)には提出していたいですね。がんばります。
今日も図書館に行くと、同じ境遇の女の子がパソコンに向かって文字を打っていました。その子は、特別優秀な子ですけどね。
明日は、久しぶりの授業です。論文論文とばかり言うのではなく、ちょっと男らしいところを見せてきたいと思います。
この続きは、また明日、この板の上で。
そのため、研究室から出てきたのは昼12時過ぎだったにも関わらず、感覚としては17時くらいの感覚でいました。部屋に引きこもりすぎるのは、外部世界と自分に隔たりを作ってしまうので、危険ですね。太陽の光を浴びましょう。
ということで、一応、提出してもおかしくはない形での卒業論文を、教授に見せてきました。フォーマットは前回よりは整っていたので、教授も安心していましたが、表の分析が甘かったり、コメントの量が少なく、「論文を読む人の立場に立っていない」と指摘されました。
やはり最終的な、卒業論文の評定は、その教授がするわけなので、教授にわかりやすい論文を書くように心がけなければいけません。
次は論文提出日にあたる日の午前中に教授にアポを取りました。その時は、本当に最終確認程度です。提出日は2日間割り当てられているので、どちらかの日の17時までに教務課に提出すればよいのですが、気分的に1日目(すなわち1月17日)には提出していたいですね。がんばります。
今日も図書館に行くと、同じ境遇の女の子がパソコンに向かって文字を打っていました。その子は、特別優秀な子ですけどね。
明日は、久しぶりの授業です。論文論文とばかり言うのではなく、ちょっと男らしいところを見せてきたいと思います。
この続きは、また明日、この板の上で。
最近内容が…
最近は内容が、やっつけ的になってきていますが、それは生活が不規則で、卒論中心主義になっているということで勘弁してください。
さきほど、同じ企業の内定者の友人からメールが来ました。
「卒業できなくても、仲間だからな。」と。
本当なのでしょうか?
「ちょっと卒業できるか、危うい」とは以前に話してはいましたが、ちょっと今回ばかりは、友人自身のことが心配なのと、自分も同じ境遇に陥ったりはしないかと不安になりました…。
人生の節目とは言え、やること(卒論)はやらなければいけないのですね。
友人曰く、彼は「卒論ではなく、必修科目を落としそう」らしいですが…。
最近は生活が非常に乱れています。
一つのことしかやらなくていい、という環境は、それに集中できていいと言えるのかもしれませんが、見方を変えれば、「追い込まれて辛い」んですね。
言っていることがよくわからなくなってきたので、ここらへんにします。
明日は教授に、卒論の(一応)完成版を提出してきます。
さきほど、同じ企業の内定者の友人からメールが来ました。
「卒業できなくても、仲間だからな。」と。
本当なのでしょうか?
「ちょっと卒業できるか、危うい」とは以前に話してはいましたが、ちょっと今回ばかりは、友人自身のことが心配なのと、自分も同じ境遇に陥ったりはしないかと不安になりました…。
人生の節目とは言え、やること(卒論)はやらなければいけないのですね。
友人曰く、彼は「卒論ではなく、必修科目を落としそう」らしいですが…。
最近は生活が非常に乱れています。
一つのことしかやらなくていい、という環境は、それに集中できていいと言えるのかもしれませんが、見方を変えれば、「追い込まれて辛い」んですね。
言っていることがよくわからなくなってきたので、ここらへんにします。
明日は教授に、卒論の(一応)完成版を提出してきます。
変化の1月
1月は巷では新年会、成人式の月なのでしょうが、僕にとっては
「卒論提出」
「新生活のための引越し」
という激動の月になります。
なにせ、上京後、5年間、同じ寮の同じ部屋に住み続けた僕としては、引っ越すのは一抹の寂しさを感じますね。
今日はそれだけです。
「卒論提出」
「新生活のための引越し」
という激動の月になります。
なにせ、上京後、5年間、同じ寮の同じ部屋に住み続けた僕としては、引っ越すのは一抹の寂しさを感じますね。
今日はそれだけです。
生活リズム
昨晩も卒論を3時頃までやったあと、眠りに就き、8時に目を覚まして、バイトへと向かいました。でも、ここのところ、朝方まで卒論をやって、昼頃まで寝るというリズムで生活していたため、どうも、体調がしっくりきませんでした。
バイトへ向かう途中の電車で、急に下痢に襲われました。
「こんな時にストッパを持っていれば!」と感じました。
現に、通勤中に下痢になる人がいるからこそ、ストッパの需要はあるわけです。
僕に下痢が訪れた原因は、おそらく生活リズムが乱れていたところに、そのリズムを崩すように、朝起きてしまったため、体温が十分に上がっていなかったのです。その状況で、寒い早朝、自転車をこいで、駅に向かったため、お腹の温度が低いところに、冷えが加わって、下痢が発祥してしまったというわけです。
辛かったです。
慌てて、高円寺駅で降りてトイレに駆け込み、難を逃れました。
本気で危うくもれるかと思いました。
さぁ、卒論提出までちょうど10日です。今日も栄養ドリンクを飲みつつ、踏ん張ります。
バイトへ向かう途中の電車で、急に下痢に襲われました。
「こんな時にストッパを持っていれば!」と感じました。
現に、通勤中に下痢になる人がいるからこそ、ストッパの需要はあるわけです。
僕に下痢が訪れた原因は、おそらく生活リズムが乱れていたところに、そのリズムを崩すように、朝起きてしまったため、体温が十分に上がっていなかったのです。その状況で、寒い早朝、自転車をこいで、駅に向かったため、お腹の温度が低いところに、冷えが加わって、下痢が発祥してしまったというわけです。
辛かったです。
慌てて、高円寺駅で降りてトイレに駆け込み、難を逃れました。
本気で危うくもれるかと思いました。
さぁ、卒論提出までちょうど10日です。今日も栄養ドリンクを飲みつつ、踏ん張ります。
教授から怒られる
あるある探検隊!あるある探検隊っ!
「卒論進めず、ぼーっとする」
はいっ、はいっ、はいはいはい!
なかなか卒論が進まないまま、教授にできたところまで見せてきました。(5日夕刻)予想通り、「もっとしっかり書いて!こんなんじゃ4年生として恥ずかしいぞ!」「あと、一通り書いてください。判断できませんから。」
でも、久々に人に怒られたので、むしろやる気が出ました。
次は来週の水曜日にまた教授に会いに行きます。
本当の卒論提出までは、残り11日です!!
しゃれになりません…。
一応、先行研究をまとめるところまで終わりました。
あとは、独自の分析を文章とグラフもしくは表でまとめて、結論を書いて終わりの予定です。
だのに、バイトは週4日で入ってるし。もう、友達と遊ぶ時間を削るしかありません。友人からは、今年は年男だからと、「厄払いに行こう!」と誘われるし。卒論が一番の「厄」なのかも…。
さぁ、とりあえず、明日はバイトダブルヘッダーデイです。
もう、とやかく言ってられません。
右手にはキーボード、左手には栄養ドリンクです。
がんばりましょう。
「卒論進めず、ぼーっとする」
はいっ、はいっ、はいはいはい!
なかなか卒論が進まないまま、教授にできたところまで見せてきました。(5日夕刻)予想通り、「もっとしっかり書いて!こんなんじゃ4年生として恥ずかしいぞ!」「あと、一通り書いてください。判断できませんから。」
でも、久々に人に怒られたので、むしろやる気が出ました。
次は来週の水曜日にまた教授に会いに行きます。
本当の卒論提出までは、残り11日です!!
しゃれになりません…。
一応、先行研究をまとめるところまで終わりました。
あとは、独自の分析を文章とグラフもしくは表でまとめて、結論を書いて終わりの予定です。
だのに、バイトは週4日で入ってるし。もう、友達と遊ぶ時間を削るしかありません。友人からは、今年は年男だからと、「厄払いに行こう!」と誘われるし。卒論が一番の「厄」なのかも…。
さぁ、とりあえず、明日はバイトダブルヘッダーデイです。
もう、とやかく言ってられません。
右手にはキーボード、左手には栄養ドリンクです。
がんばりましょう。
あけましておめでとうございます
2005年になりました。
あと3ヵ月後には僕も社会人として、公共の利益を考えて行動することが強く求められるわけです。だから、当面3ヶ月は自分にわがままに行動していきたいと思います。
さて、2005年の抱負ですが、キーワードは「人脈」。つまり、人との付き合いを築いていくということです。
それは、もちろん営業マンとして一番大切なことでしょう。クライアント先との関係をうまく、築き上げる、もしくはうまく保っていかなければ、会社に必要とはされなくなります。それは、仕事上の社交辞令で付き合ったり、仕事上の遊びなども含まれるかもしれません。つまり、自分の気持ちを押し殺して、「仕事をする上で」必要な「付き合い」になるかもしれません。それも大切です。
しかし、もう一つの「付き合い」は、今までに知り合った友人、知人との関係です。大学で知り合った仲間は大きな存在です。一緒に酒を飲んだり、ダンスの練習などで苦労を共にした、いわば同志です。僕は一生付き合っていきたいと思っています。
でも、大学4年生にもなると、週2回ほどしか学校にはいかないので、なかなか会って話をするという機会もろくにありませんでした。その空白の時間(とでも言えるでしょうか)を取り返すべく、この3ヶ月はいろんな人と交流して、付き合いを深めたいと思います。本当に、これからの僕の人生で、友人知人との関係が、大きな財産になると思うからです。
仕事でこれから巡り合う人たちも大切ですが、お互いの時間をお金で買うような付き合いになるような気がしてならないのです。
僕はもっと、「会っていなくても、どこかで通じ合っているような」関係を作りたい。
難しいのかもしれませんが、そんな関係を作れるように努力していきたい。ただでさえ、友達が少ないのでね。
2005年は、新入社員として会社に身を置き、社会人1年目として、社会の荒波にもまれるわけですから、仕事に時間を忙殺されることでしょうが、この「人脈」というキーワードを忘れることなく、暮らしていきたいと思います。
まるで、小学1年生の「ともだち100人できるかな」みたいなもんですね。
これって、人生においても、ものすごく重要な意義があるんですね。
さぁ、卒論教授提出までは、残り4日。
あと3ヵ月後には僕も社会人として、公共の利益を考えて行動することが強く求められるわけです。だから、当面3ヶ月は自分にわがままに行動していきたいと思います。
さて、2005年の抱負ですが、キーワードは「人脈」。つまり、人との付き合いを築いていくということです。
それは、もちろん営業マンとして一番大切なことでしょう。クライアント先との関係をうまく、築き上げる、もしくはうまく保っていかなければ、会社に必要とはされなくなります。それは、仕事上の社交辞令で付き合ったり、仕事上の遊びなども含まれるかもしれません。つまり、自分の気持ちを押し殺して、「仕事をする上で」必要な「付き合い」になるかもしれません。それも大切です。
しかし、もう一つの「付き合い」は、今までに知り合った友人、知人との関係です。大学で知り合った仲間は大きな存在です。一緒に酒を飲んだり、ダンスの練習などで苦労を共にした、いわば同志です。僕は一生付き合っていきたいと思っています。
でも、大学4年生にもなると、週2回ほどしか学校にはいかないので、なかなか会って話をするという機会もろくにありませんでした。その空白の時間(とでも言えるでしょうか)を取り返すべく、この3ヶ月はいろんな人と交流して、付き合いを深めたいと思います。本当に、これからの僕の人生で、友人知人との関係が、大きな財産になると思うからです。
仕事でこれから巡り合う人たちも大切ですが、お互いの時間をお金で買うような付き合いになるような気がしてならないのです。
僕はもっと、「会っていなくても、どこかで通じ合っているような」関係を作りたい。
難しいのかもしれませんが、そんな関係を作れるように努力していきたい。ただでさえ、友達が少ないのでね。
2005年は、新入社員として会社に身を置き、社会人1年目として、社会の荒波にもまれるわけですから、仕事に時間を忙殺されることでしょうが、この「人脈」というキーワードを忘れることなく、暮らしていきたいと思います。
まるで、小学1年生の「ともだち100人できるかな」みたいなもんですね。
これって、人生においても、ものすごく重要な意義があるんですね。
さぁ、卒論教授提出までは、残り4日。
卒論教授提出まで残り6日
2004年も残すところ、あと2日です。
その最中、僕は卒論を書き始めました。
年越しもパソコンの前になりそうです。
いいんですか?そんなんで?
というわけで、2004年を振り返ってみようと思います。
2004年の幕開けは、元の彼女とプリクラを取るところから始まりました。今思えば、ほんと懐かしい…。
で、年明けから本格的に2度目の就活に励みました。2月3月は、ほぼ毎日、セミナーか選考に参加していました。
で、3月末に第一志望だった公共放送局から落選の通知を受けました。
で、4月に入ってから、当時1ヶ月近く会っていなかった彼女に振られました。
5月に入ると、ダンスをしながら、就活をして、その資金稼ぎのために、バイトをして…という今思えば、大変な日々でした。
6月に入って、「世界の中心で愛をさけぶ」を映画館で観て、大泣きしました。当時はまだ、彼女に振られた事実を受け入れられないでいました。彼女を失った自分と、映画の主人公を重ね合わせて見ていました。
6月後半はダンスの発表会の練習に励みました。相当楽しかった。でも、就活もまだやってて、昼はスーツを着て、夜はスタジオで練習という日々が続きました。
で、7月に今の会社から内定をいただいて。気持ちに、「一人立ち」という自立心みたいなものが生まれていきました。
8月9月はバイトに励みました。
その頃から、だんだん生き方について考えるようになって…というのも、「ノルウェーの森」など、小説を読みあさっていたからなんですが。
10月。ひっそりと23歳を迎えました。友達から誕生日パーティーを開いてもらったものの、誕生日を迎えたという実感もなく、将来もこんなふうに「なんとなく」歳をとっていくのかなぁと、少し寂しい気持ちになったのを覚えていきます。でも、自分の誕生日くらいは今後は盛大に祝おうと思います。
で、10月23日。僕の姉の誕生日に新潟県中越地震が起きました。ニュース見ながら、僕は半泣きでした。でも、ほんと実家も両親もとりあえず無事でよかった。
で、11月はダンスイベントに出て、外語祭があって、内定者との小旅行に行って、事故ってと、結構いろいろとありました。
で、12月。意中の人と接近しつつあり、まぁ、これから楽しみですな。という感じです。
2004年前半はやっぱりいろいろとありました。でも、やらなければならないことに追われている感じは否めませんね。あと、今は卒論執筆に追われています。
2005年の抱負を明日書きたいと思います。
さぁ、提出まであと6日です。がんばります。
その最中、僕は卒論を書き始めました。
年越しもパソコンの前になりそうです。
いいんですか?そんなんで?
というわけで、2004年を振り返ってみようと思います。
2004年の幕開けは、元の彼女とプリクラを取るところから始まりました。今思えば、ほんと懐かしい…。
で、年明けから本格的に2度目の就活に励みました。2月3月は、ほぼ毎日、セミナーか選考に参加していました。
で、3月末に第一志望だった公共放送局から落選の通知を受けました。
で、4月に入ってから、当時1ヶ月近く会っていなかった彼女に振られました。
5月に入ると、ダンスをしながら、就活をして、その資金稼ぎのために、バイトをして…という今思えば、大変な日々でした。
6月に入って、「世界の中心で愛をさけぶ」を映画館で観て、大泣きしました。当時はまだ、彼女に振られた事実を受け入れられないでいました。彼女を失った自分と、映画の主人公を重ね合わせて見ていました。
6月後半はダンスの発表会の練習に励みました。相当楽しかった。でも、就活もまだやってて、昼はスーツを着て、夜はスタジオで練習という日々が続きました。
で、7月に今の会社から内定をいただいて。気持ちに、「一人立ち」という自立心みたいなものが生まれていきました。
8月9月はバイトに励みました。
その頃から、だんだん生き方について考えるようになって…というのも、「ノルウェーの森」など、小説を読みあさっていたからなんですが。
10月。ひっそりと23歳を迎えました。友達から誕生日パーティーを開いてもらったものの、誕生日を迎えたという実感もなく、将来もこんなふうに「なんとなく」歳をとっていくのかなぁと、少し寂しい気持ちになったのを覚えていきます。でも、自分の誕生日くらいは今後は盛大に祝おうと思います。
で、10月23日。僕の姉の誕生日に新潟県中越地震が起きました。ニュース見ながら、僕は半泣きでした。でも、ほんと実家も両親もとりあえず無事でよかった。
で、11月はダンスイベントに出て、外語祭があって、内定者との小旅行に行って、事故ってと、結構いろいろとありました。
で、12月。意中の人と接近しつつあり、まぁ、これから楽しみですな。という感じです。
2004年前半はやっぱりいろいろとありました。でも、やらなければならないことに追われている感じは否めませんね。あと、今は卒論執筆に追われています。
2005年の抱負を明日書きたいと思います。
さぁ、提出まであと6日です。がんばります。
卒論教授提出まで残り8日
1月5日に教授に卒論を提出しなければなりません。そのリミットが残り8日。その間にも、帰省したり(実家は新潟)、バイトしたりしなきゃなので、終わるか心配ですが、今まで怠けてた分、取り返すつもりです。
でも、今日はバイトダブルヘッダー、10時間15分労働のため、これから卒論に取り掛かります。明日の朝まで、まあ眠くなるまで。でも、夜の方が雑音がないので、集中できます。
でも、今日のブログは昨日のテレビ「僕と彼女と彼女の生きる道」で僕が泣いてしまった話を書きます。
夕方、再放送していました。本放送は見たことはなく、スペシャルでドラマの概要だけは知っていました。でも、親子関係の話にめっぽう弱い僕は見事にはまってしまいました。
特に泣けてきたのが、離婚調停後、凛ちゃんが、くさなぎの元から離れていくシーンです。「お父さんさようなら。」くさなぎくんのあのなんとも言えない表情で、おもわず僕から涙がこぼれました。
そこからは終始泣いていました。
次にきたのが、凛ちゃんが神戸に向かう直前、くさなぎくんが「お父さんは離れていても、凛のこと愛してるから。そのことは忘れないで欲しい」というセリフ。いまどき、子供に向かって「愛してる」と言える親はどれほどいるでしょうか?
その後の凛ちゃんの「はいっ!」という言葉も健気でぐっときました。
ほんといいドラマだと思います。
放送された当時、娘との関係を考え直す父親が増えたというぐらい影響を与えたドラマですから、僕が泣いてしまうのも当然なんでしょうか。
今日はとりあえず、ものすごい泣けたということだけを書いておきます。
さぁ、卒論卒論!
でも、今日はバイトダブルヘッダー、10時間15分労働のため、これから卒論に取り掛かります。明日の朝まで、まあ眠くなるまで。でも、夜の方が雑音がないので、集中できます。
でも、今日のブログは昨日のテレビ「僕と彼女と彼女の生きる道」で僕が泣いてしまった話を書きます。
夕方、再放送していました。本放送は見たことはなく、スペシャルでドラマの概要だけは知っていました。でも、親子関係の話にめっぽう弱い僕は見事にはまってしまいました。
特に泣けてきたのが、離婚調停後、凛ちゃんが、くさなぎの元から離れていくシーンです。「お父さんさようなら。」くさなぎくんのあのなんとも言えない表情で、おもわず僕から涙がこぼれました。
そこからは終始泣いていました。
次にきたのが、凛ちゃんが神戸に向かう直前、くさなぎくんが「お父さんは離れていても、凛のこと愛してるから。そのことは忘れないで欲しい」というセリフ。いまどき、子供に向かって「愛してる」と言える親はどれほどいるでしょうか?
その後の凛ちゃんの「はいっ!」という言葉も健気でぐっときました。
ほんといいドラマだと思います。
放送された当時、娘との関係を考え直す父親が増えたというぐらい影響を与えたドラマですから、僕が泣いてしまうのも当然なんでしょうか。
今日はとりあえず、ものすごい泣けたということだけを書いておきます。
さぁ、卒論卒論!
自己を表現する方法
僕は大学入学と同時にストリートダンスを始めた。
最初はいわゆるヒップホップダンスだった。当時はそれしか知らなかったから、とりあえず仲の良い友人に教えられながら、サークルという形で練習に励んでいた。大学3年まで、ほぼダンス中心という生活だった。友達もほとんどがダンスで知り合った仲間だし、恋人もダンスサークルの中でできた。
しかし、今は就職を控えた状況や、卒論執筆をしなければならないという状況から、僕はダンスを自分から遠ざけていた。あれだけ夢中になっていたものから、離れていた。
でも、昨日、僕の師匠であるダンサーも関わるサイトを見てから、僕の中のダンス熱が再び燃え上がってきた。
↓
http://www.presto.co.jp/cgi-bin/dtracks/downcnt.cgi/preview-1.wmv
このままダンスから離れていっていいのかな。
自分を表現する手段を1つなくしていいのかな。
趣味を1つなくしていいのかな。
とも思った。
僕は別にプロ並に、ダンスで人を感動させられるわけでもないし、それで食べていけるわけでもない。でも、ダンスをしてる自分は心から好きだし、何かイベントに出ると言えば、がむしゃらに練習できる。向上心も常に持っている。
確かに仕事を始めれば、ダンスをする時間は少なくなるだろうし、ファッションも変わるだろう。同じように向上心を持つなら、賞与のように金銭の客観的な価値で図ることができる仕事の方に、夢中になっていくかもしれない。
でも、純粋な気持ちで、全身を使って、自己を表現する手段としてのダンス、純粋な向上心を持ち続けていられるダンス。それに向き合う自分を忘れたくはない。
だって、10年後、「あの時ダンス続けてればなぁ」なんて、言いたくはないから。
雑記でした。
最初はいわゆるヒップホップダンスだった。当時はそれしか知らなかったから、とりあえず仲の良い友人に教えられながら、サークルという形で練習に励んでいた。大学3年まで、ほぼダンス中心という生活だった。友達もほとんどがダンスで知り合った仲間だし、恋人もダンスサークルの中でできた。
しかし、今は就職を控えた状況や、卒論執筆をしなければならないという状況から、僕はダンスを自分から遠ざけていた。あれだけ夢中になっていたものから、離れていた。
でも、昨日、僕の師匠であるダンサーも関わるサイトを見てから、僕の中のダンス熱が再び燃え上がってきた。
↓
http://www.presto.co.jp/cgi-bin/dtracks/downcnt.cgi/preview-1.wmv
このままダンスから離れていっていいのかな。
自分を表現する手段を1つなくしていいのかな。
趣味を1つなくしていいのかな。
とも思った。
僕は別にプロ並に、ダンスで人を感動させられるわけでもないし、それで食べていけるわけでもない。でも、ダンスをしてる自分は心から好きだし、何かイベントに出ると言えば、がむしゃらに練習できる。向上心も常に持っている。
確かに仕事を始めれば、ダンスをする時間は少なくなるだろうし、ファッションも変わるだろう。同じように向上心を持つなら、賞与のように金銭の客観的な価値で図ることができる仕事の方に、夢中になっていくかもしれない。
でも、純粋な気持ちで、全身を使って、自己を表現する手段としてのダンス、純粋な向上心を持ち続けていられるダンス。それに向き合う自分を忘れたくはない。
だって、10年後、「あの時ダンス続けてればなぁ」なんて、言いたくはないから。
雑記でした。
M-1グランプリ
今年で4回目らしいのですが、僕は一度も見たことがありません。
でも、今日昼に「直前スペシャル」みたいな番組を見ました。
そこで、お笑い芸人にもいろんなタイプがいることを感じました。
一番印象的だったのは、おととしのM-1敗者復活戦に勝ったスピードワゴンのツッコミ井戸田が、決勝の舞台に上がる前に、ボケの小沢にこう言った場面である。
「来年から忙しくなるぞ。」
彼の予想通り、スピードワゴンは翌年から怒涛の活躍を見せた。
つまり、スピードワゴンはM-1の決勝では優勝することが目的ではなく、むしろ知名度を上げて、自分達の活躍できる場を増やすために、決勝のステージに上がったのだと思う。井戸田はお笑い芸人の中でも、「デキルやつ」なんだなと思った。前々から思っていた。
彼らの漫才を見ていても、小沢さんが引っ張っていっているようで、すべて井戸田が進めているように見える。で、時には、井戸田の方が面白い時もある。
お笑いコンビは面白ければ、どっちがボケでどっちがツッコミなどということは、関係ないわけで、彼らはその理論があてはまる例だと思う。
この話から何が言いたいかと言うと、自分を自分でマネージメントできるようにならなければ、お笑い芸人であろうが、サラリーマンであろうが、成功することはできないということである。
これから、取り組む仕事は自分にとってどんな意味があるのか、その仕事をこなすことで何を得ることができるのか、また、どうやって仕事をした方が、自分の利益になるのか、といったことを踏まえて取り組むかどうかなのである。
それができるている証拠が、井戸田の上の言葉からうかがい知ることができたのである。
今年はアンタッチャブルが優勝したようであるが、彼らは計算していないようなボケがウケたんだと思います。でも、サラリーマンは天然じゃ絶対やっていけません。しっかり考えていかないと。
なんてことを考えた2004年最後の日曜日でした。
でも、今日昼に「直前スペシャル」みたいな番組を見ました。
そこで、お笑い芸人にもいろんなタイプがいることを感じました。
一番印象的だったのは、おととしのM-1敗者復活戦に勝ったスピードワゴンのツッコミ井戸田が、決勝の舞台に上がる前に、ボケの小沢にこう言った場面である。
「来年から忙しくなるぞ。」
彼の予想通り、スピードワゴンは翌年から怒涛の活躍を見せた。
つまり、スピードワゴンはM-1の決勝では優勝することが目的ではなく、むしろ知名度を上げて、自分達の活躍できる場を増やすために、決勝のステージに上がったのだと思う。井戸田はお笑い芸人の中でも、「デキルやつ」なんだなと思った。前々から思っていた。
彼らの漫才を見ていても、小沢さんが引っ張っていっているようで、すべて井戸田が進めているように見える。で、時には、井戸田の方が面白い時もある。
お笑いコンビは面白ければ、どっちがボケでどっちがツッコミなどということは、関係ないわけで、彼らはその理論があてはまる例だと思う。
この話から何が言いたいかと言うと、自分を自分でマネージメントできるようにならなければ、お笑い芸人であろうが、サラリーマンであろうが、成功することはできないということである。
これから、取り組む仕事は自分にとってどんな意味があるのか、その仕事をこなすことで何を得ることができるのか、また、どうやって仕事をした方が、自分の利益になるのか、といったことを踏まえて取り組むかどうかなのである。
それができるている証拠が、井戸田の上の言葉からうかがい知ることができたのである。
今年はアンタッチャブルが優勝したようであるが、彼らは計算していないようなボケがウケたんだと思います。でも、サラリーマンは天然じゃ絶対やっていけません。しっかり考えていかないと。
なんてことを考えた2004年最後の日曜日でした。