結婚を考える年齢
大学の友人と「もうこれからは、恋人と付き合う時も、『結婚』を頭に入れながら付き合わないと相手に対して失礼にあたる」という話をした。
僕には今は彼女はいないが、もちろん好きになる人がでてきたら、結婚ということは、少なくとも頭の片隅には置いておきたい。
もちろん、「自分の奥さんにしたいかどうか」という基準で、恋人を選ぶようなことはしないし、「結婚できそうにないから、付き合わない」というようなことはしないつもりだ。
いずれにしても、僕は今年で24歳になる。友人で結婚している人もいるし、子供が生まれている人もいる。僕はそこまで、結婚願望は強い方ではないが、32歳ぐらいまでには結婚したいとは思っている。
今晩、大学で同じクラスだった仲のいい友人Mと吉祥寺のイセヤに行って飲んだ。途中から、その友人の彼女も参加したのだが、その会話で、「二人が結婚を考えている」ことをうかがい知ることができる内容があった。
まず、僕の友人Mは、4月から、とある機械メーカーに就職が決まっているのだが、海外勤務の可能性も十分ある。その彼女は、同じく4月から東京都で教師として働くことになっている。そこで、今その彼女は、時間に余裕があるということで、海外でも働けるように、日本語教師の資格を取ろうとしているというのだ。
ということは、もし友人Mがどこか海外に赴任することになっても、彼女は連れ添い、同じ土地で自分の仕事を持つことができるだろうということである。素晴らしいと思った。
それは、思うように、日本語教師として現地で100%就職できる保証はないし、そもそも二人が結婚するとも限らない。
でも、彼女も無理に彼氏に合わせているわけでもないし、それを彼氏が強要したわけでもないということだ。お互いがお互いの人生を尊重して、付き合っている。
これはあくまでも、僕の期待だが、彼らには幸せな結婚を迎えてほしい。
人の人生なので、他人が首をつっこむことでもないが、彼らが僕の理想形であることに間違いはない。
24歳、結婚を考え始める年…。実際そうなのかもしれない。
僕はまず、相手を見つけることから始めます。
僕には今は彼女はいないが、もちろん好きになる人がでてきたら、結婚ということは、少なくとも頭の片隅には置いておきたい。
もちろん、「自分の奥さんにしたいかどうか」という基準で、恋人を選ぶようなことはしないし、「結婚できそうにないから、付き合わない」というようなことはしないつもりだ。
いずれにしても、僕は今年で24歳になる。友人で結婚している人もいるし、子供が生まれている人もいる。僕はそこまで、結婚願望は強い方ではないが、32歳ぐらいまでには結婚したいとは思っている。
今晩、大学で同じクラスだった仲のいい友人Mと吉祥寺のイセヤに行って飲んだ。途中から、その友人の彼女も参加したのだが、その会話で、「二人が結婚を考えている」ことをうかがい知ることができる内容があった。
まず、僕の友人Mは、4月から、とある機械メーカーに就職が決まっているのだが、海外勤務の可能性も十分ある。その彼女は、同じく4月から東京都で教師として働くことになっている。そこで、今その彼女は、時間に余裕があるということで、海外でも働けるように、日本語教師の資格を取ろうとしているというのだ。
ということは、もし友人Mがどこか海外に赴任することになっても、彼女は連れ添い、同じ土地で自分の仕事を持つことができるだろうということである。素晴らしいと思った。
それは、思うように、日本語教師として現地で100%就職できる保証はないし、そもそも二人が結婚するとも限らない。
でも、彼女も無理に彼氏に合わせているわけでもないし、それを彼氏が強要したわけでもないということだ。お互いがお互いの人生を尊重して、付き合っている。
これはあくまでも、僕の期待だが、彼らには幸せな結婚を迎えてほしい。
人の人生なので、他人が首をつっこむことでもないが、彼らが僕の理想形であることに間違いはない。
24歳、結婚を考え始める年…。実際そうなのかもしれない。
僕はまず、相手を見つけることから始めます。
後輩の悩み
こんな内容をWeb上でおっぴろげに書くようなことではないのかもしれないが、自分の考えを整理するという意味でも書いてみたい。
先週、大学のダンスサークルの後輩と飲みに行って、カラオケにも行った。その時、後輩の一人が、心の病を患っていることを知った。
僕もびっくりしたのだが、「一人でいると、自分でもよくわからなくなって、手首を切ってしまった」というのだ。彼女の手首を見ると、はっきりと切り傷の痕が残っていた…。
彼女は普段から、ふいに暗い表情になったり、テンションが急激に下がったりすることがあった。それは単に、人付き合いが苦手というか、気分屋なのだろうというくらいの認識でしかなかった。 でも、上の話を聞いて、納得することができた。
彼女はいわゆる、うつ病なのだと思うが、僕はその話を聞いた時、以前にそういった人に会ったことがない、もしくは会っていても、その人がうつ病であることを知らされた経験はなかったので、面食らってしまった。
以前に、その子に、僕が先輩としてダンスを教えたことがあった。同じチームとしてクラブイベントに出るために、練習していた。僕が大学2年の冬だった。当時僕はまだ、「自分に甘く、人に厳しく」というような、今では考えられないような自分勝手な性格だったので、自分がちょっとできるだけ、というようなダンスの動きを、その後輩ができなかったりすると、ものすごい勢いで、怒ってしまっていた。その子の性格など考えずに、頭ごなしに「もっとこうしなきゃだめだ」とか「全然できてない」というように、注意していた。でも、注意したところで、彼女の動きが改善するわけでもなかった。むしろ意気消沈してしまう感じだった。その当時から、「うつ」の症状が出ていることに気付いた。(症状とかあるのかどうかもしらないけども、そうだと思う。)
それからというもの、彼女はそのことがトラウマになったらしく、僕と一緒にイベントに出ることはなかった。その時、僕の厳しさから、はっきりと「もう一緒には出なくない。」と話していると、人づてに聞いた。 ダンスのジャンルが違ってきたというのも、一つの理由だったが、やはり、心の方が大きな理由だったような気がする。
僕が思うほど、また、僕ほど、彼女は心が強くないということだった。本当に未熟だった自分を恥ずかしく思った。
で… 先週、一緒に飲んだ時に、彼女は話してくれた。
僕は今までどおり、普通に彼女に接するしかない。自分はネガティブなことは言わないようにつとめるだけだと思った。
先週、大学のダンスサークルの後輩と飲みに行って、カラオケにも行った。その時、後輩の一人が、心の病を患っていることを知った。
僕もびっくりしたのだが、「一人でいると、自分でもよくわからなくなって、手首を切ってしまった」というのだ。彼女の手首を見ると、はっきりと切り傷の痕が残っていた…。
彼女は普段から、ふいに暗い表情になったり、テンションが急激に下がったりすることがあった。それは単に、人付き合いが苦手というか、気分屋なのだろうというくらいの認識でしかなかった。 でも、上の話を聞いて、納得することができた。
彼女はいわゆる、うつ病なのだと思うが、僕はその話を聞いた時、以前にそういった人に会ったことがない、もしくは会っていても、その人がうつ病であることを知らされた経験はなかったので、面食らってしまった。
以前に、その子に、僕が先輩としてダンスを教えたことがあった。同じチームとしてクラブイベントに出るために、練習していた。僕が大学2年の冬だった。当時僕はまだ、「自分に甘く、人に厳しく」というような、今では考えられないような自分勝手な性格だったので、自分がちょっとできるだけ、というようなダンスの動きを、その後輩ができなかったりすると、ものすごい勢いで、怒ってしまっていた。その子の性格など考えずに、頭ごなしに「もっとこうしなきゃだめだ」とか「全然できてない」というように、注意していた。でも、注意したところで、彼女の動きが改善するわけでもなかった。むしろ意気消沈してしまう感じだった。その当時から、「うつ」の症状が出ていることに気付いた。(症状とかあるのかどうかもしらないけども、そうだと思う。)
それからというもの、彼女はそのことがトラウマになったらしく、僕と一緒にイベントに出ることはなかった。その時、僕の厳しさから、はっきりと「もう一緒には出なくない。」と話していると、人づてに聞いた。 ダンスのジャンルが違ってきたというのも、一つの理由だったが、やはり、心の方が大きな理由だったような気がする。
僕が思うほど、また、僕ほど、彼女は心が強くないということだった。本当に未熟だった自分を恥ずかしく思った。
で… 先週、一緒に飲んだ時に、彼女は話してくれた。
僕は今までどおり、普通に彼女に接するしかない。自分はネガティブなことは言わないようにつとめるだけだと思った。
NHK海老沢会長辞任
本日、NHKの海老沢氏が会長職から降りました。
彼の座右の名「和して同ぜず」が、僕の母校である高校の校訓と同じだったということと、僕はNHKを信じていたということから、海老沢氏の辞任に関しては感慨深いものがあります。
僕は現在大学5回生で、今年の4月に就職を控えた身分なのですが、なぜ、5回生かと言えば、いわゆる就職浪人をしたからです。
端的に言えば、僕はNHKのアナウンサーになりたかった。そのために、一度ならず、二度もNHKの新卒採用試験を受験しました。
一度目は、僕の思いが通じたのか、最終役員面接まで進みました。しかし、運がなかったのか、熱意が足りなかったのか、落選してしまいました。その時のことは今でもはっきりと覚えています。
そして、1年後、前年最終面接まで残ったという自負もあり、自信を持って、エントリーシートを提出したのですが、残念ながら、書類選考落ち。あまりにあっけなかったので、涙も出ませんでした。
僕がなぜ、そこまでNHKにこだわって受験していたかと言えば、「公共放送」という役割が、他の放送局では絶対に代替できないということ、もっといえば、地方でのその土地ならではの情報をその土地土地で伝えることができること、潤沢な資金(受信料に支えられる)を元手に、ジャーナリズムとして、価値のある番組・映像を制作・保存できるということが大きな理由です。
僕は新潟出身ということもあって、地方へ貢献したいという思いが人一倍強いんです。そこで、地方を「中央と地方」という視点では眺めずに、「地方からでも、全国に価値のある情報を伝える」というスタンスを持っているNHKは、僕の志向にあっていると強く思いました。
そこで、昔から人前で話すことが得意だった自分の特性を生かして、新潟以外の地方からでも、世界の人が興味を抱くような産業だったり、文化を発信していきたいと思ったのです。
NHKに落選した今でも、この思いは強く持っています。
その思いを、NHKのアナウンサーとしてではなく、他の形でも具現化できるように、努力していくつもりです。
ただ、公共放送という役割は、他の企業では絶対に担うことはできません。
採算を度外視した、教育テレビのような放送、番組を即座に休止して伝える災害報道、アマチュアスポーツを中心としたスポーツ中継などなど。これらは公共放送でなければ、放送することはできません。利益を上げることよりも、視聴者の心に響いたり、視聴者が本当に必要としている情報を伝えることが使命だからです。
だからこそ、数々の不祥事、それに対するNHKのお粗末な対応は、見ていて悲しいものがありました。NHKを信頼している人は、数多くいます。
今後は放送法によって保護されている受信料や、プロジェクト制で番組の予算が割り振られるような制度そのものを考え直していく必要があるのかもしれませんが、公共放送という国民の付託を受けた存在として、あるべき姿であってほしいと思います。
そして、その状況をしっかりと視聴者である国民に開示してもらいたいと思います。日本を代表する「報道機関」なのですから。
長々と書いてしまいましたが、以上です。
彼の座右の名「和して同ぜず」が、僕の母校である高校の校訓と同じだったということと、僕はNHKを信じていたということから、海老沢氏の辞任に関しては感慨深いものがあります。
僕は現在大学5回生で、今年の4月に就職を控えた身分なのですが、なぜ、5回生かと言えば、いわゆる就職浪人をしたからです。
端的に言えば、僕はNHKのアナウンサーになりたかった。そのために、一度ならず、二度もNHKの新卒採用試験を受験しました。
一度目は、僕の思いが通じたのか、最終役員面接まで進みました。しかし、運がなかったのか、熱意が足りなかったのか、落選してしまいました。その時のことは今でもはっきりと覚えています。
そして、1年後、前年最終面接まで残ったという自負もあり、自信を持って、エントリーシートを提出したのですが、残念ながら、書類選考落ち。あまりにあっけなかったので、涙も出ませんでした。
僕がなぜ、そこまでNHKにこだわって受験していたかと言えば、「公共放送」という役割が、他の放送局では絶対に代替できないということ、もっといえば、地方でのその土地ならではの情報をその土地土地で伝えることができること、潤沢な資金(受信料に支えられる)を元手に、ジャーナリズムとして、価値のある番組・映像を制作・保存できるということが大きな理由です。
僕は新潟出身ということもあって、地方へ貢献したいという思いが人一倍強いんです。そこで、地方を「中央と地方」という視点では眺めずに、「地方からでも、全国に価値のある情報を伝える」というスタンスを持っているNHKは、僕の志向にあっていると強く思いました。
そこで、昔から人前で話すことが得意だった自分の特性を生かして、新潟以外の地方からでも、世界の人が興味を抱くような産業だったり、文化を発信していきたいと思ったのです。
NHKに落選した今でも、この思いは強く持っています。
その思いを、NHKのアナウンサーとしてではなく、他の形でも具現化できるように、努力していくつもりです。
ただ、公共放送という役割は、他の企業では絶対に担うことはできません。
採算を度外視した、教育テレビのような放送、番組を即座に休止して伝える災害報道、アマチュアスポーツを中心としたスポーツ中継などなど。これらは公共放送でなければ、放送することはできません。利益を上げることよりも、視聴者の心に響いたり、視聴者が本当に必要としている情報を伝えることが使命だからです。
だからこそ、数々の不祥事、それに対するNHKのお粗末な対応は、見ていて悲しいものがありました。NHKを信頼している人は、数多くいます。
今後は放送法によって保護されている受信料や、プロジェクト制で番組の予算が割り振られるような制度そのものを考え直していく必要があるのかもしれませんが、公共放送という国民の付託を受けた存在として、あるべき姿であってほしいと思います。
そして、その状況をしっかりと視聴者である国民に開示してもらいたいと思います。日本を代表する「報道機関」なのですから。
長々と書いてしまいましたが、以上です。
大学教授って…
今日は卒論も一段落したということで、ゼミのメンバーでなかなか行かない飲み会に行きました。先生がいなかったこともあって、やっぱり先生の話題が中心になりました。というか、みんな英米科ということで、英米科の先生が話題の中心ではありましたが…。
一番驚いたのが、僕のゼミの教授(厳密には助教授)は白髪なので、老けて見えるんです。本当に失礼な話ですが、実際そうなので、しょうがないですな。
なので、必然的に黒髪の先生は若く見えますよね?
実際、他のゼミの先生(仮にN先生)で、黒髪の先生がいるんですが、そのN先生は、うちの教授より若く見えるんです。
でも、ゼミのほかの子によると、なんとN先生の方が、2歳も年上らしいんです。
もう、僕はびっくりでした。白髪かそうでないかで、これほどまでに年齢の見え方に差が出てくるのかと。
でも、N先生は独身で、うちの先生は既婚者という差もあります。
「独身」というのも、人の若さを保つ一つの要素だという仮説も成り立ちます。
そのN先生曰く、結婚しなくても「パートナーはいる」とのことですが…。
何のパートナーなんですか?
人生の、ですか?
なら、なぜ結婚しない?
…まあ、いろんな理由があるのでしょうな。
まあ、さておき、僕はいくつになっても老けたくはないと思っているんです。かといって、生涯独身でいるのは嫌ですね。
はぁ、人生は難しいですね。
さぁさぁ、引越しの荷作りを進めましょうや!引越しは29日(土)に決まりました。
一番驚いたのが、僕のゼミの教授(厳密には助教授)は白髪なので、老けて見えるんです。本当に失礼な話ですが、実際そうなので、しょうがないですな。
なので、必然的に黒髪の先生は若く見えますよね?
実際、他のゼミの先生(仮にN先生)で、黒髪の先生がいるんですが、そのN先生は、うちの教授より若く見えるんです。
でも、ゼミのほかの子によると、なんとN先生の方が、2歳も年上らしいんです。
もう、僕はびっくりでした。白髪かそうでないかで、これほどまでに年齢の見え方に差が出てくるのかと。
でも、N先生は独身で、うちの先生は既婚者という差もあります。
「独身」というのも、人の若さを保つ一つの要素だという仮説も成り立ちます。
そのN先生曰く、結婚しなくても「パートナーはいる」とのことですが…。
何のパートナーなんですか?
人生の、ですか?
なら、なぜ結婚しない?
…まあ、いろんな理由があるのでしょうな。
まあ、さておき、僕はいくつになっても老けたくはないと思っているんです。かといって、生涯独身でいるのは嫌ですね。
はぁ、人生は難しいですね。
さぁさぁ、引越しの荷作りを進めましょうや!引越しは29日(土)に決まりました。
引越し準備
来週の新居への引越しを控えて、部屋の大掃除を開始しました。いわゆる荷造りというやつなんですが、まだ「荷」を「作る」ところまでは進んでいません。それはいろいろと過去の産物が出てきてしまっているからです。
大学1、2年の授業でとったノートや、答案用紙や、レポートなどなどです。
出てくるということは、捨てずにとっておいたからなのですが、どの物を見ても、
「あの頃はよくがんばってたなぁ」と感じます。
打算的なことは何一つ考えず、試験でいい点をとるために授業に取り組んでいました。
今は、将来に役に立つのかということも考えてしまい、どうも実用的な利益を考えてしまう自分がいます。
ということで、いっこうに荷造りは進んでいない状況です。明日はレンタカーを予約して、荷造りは完成させるという予定でいきたいと思います。
大学1、2年の授業でとったノートや、答案用紙や、レポートなどなどです。
出てくるということは、捨てずにとっておいたからなのですが、どの物を見ても、
「あの頃はよくがんばってたなぁ」と感じます。
打算的なことは何一つ考えず、試験でいい点をとるために授業に取り組んでいました。
今は、将来に役に立つのかということも考えてしまい、どうも実用的な利益を考えてしまう自分がいます。
ということで、いっこうに荷造りは進んでいない状況です。明日はレンタカーを予約して、荷造りは完成させるという予定でいきたいと思います。
ガキの使い
お笑い好きの友人に連れられて、今日は「ガキの使い」のトーク収録を見学してきました。
永田町のとある会館で収録は行われました。
その友人は一番前の席を取りたいからと、18時から開場のところ、1時間前から並んでいました。にも関わらず、並んだ順番は関係なく、ランダムに整理券が配布され、結局、僕らは前から5列目という結果に。その友人は、かなりへこんでました。どれだけ、ダウンタウンが好きなんですか?
まあ、いいですけども。僕は見られるだけで結構ですから。
僕は、「プロのしゃべりを盗もう」と思って見ました。
前説のライセンスが終わると、ついに待ってました、ダウンタウンの登場!
年明け最初の収録ということで、二人のテンションは高かったように感じました。終始、笑顔でしたし。
内容については1月30日にオンエアーになるので、割愛しますが…。
僕が気付いたのは、一番浜ちゃんのつっこみがおもしろいということ。それはコンビでなければ、できない技です。何か、おもしろいことを言ったり、やったりしても、見ている人に気付いてもらえなければ、その面白いことも意味がないわけです。こういう理由で、本当に浜ちゃんのつっこみがキレていた。
間も絶妙なんですよね。だから、50分くらい話を聞いていても、ダレることはないし。まあ、ダウンタウンという大御所ですから、「次は、どんな面白いことを言ってくれるんだろう」という期待を持って見てますから、その長さに耐えられるというのもありますが…。
2時間ほど、収録時間は予定されていたものの、結局、50分ほどで、終了しました。どうやら、オンエアーできるネタが多かったみたいです、今日は。お客さんのリアクションも好感触だったんでしょう。
ぜひ、また見に行きたいです。
あと、笑っていいとも!も見に行きたいです。
永田町のとある会館で収録は行われました。
その友人は一番前の席を取りたいからと、18時から開場のところ、1時間前から並んでいました。にも関わらず、並んだ順番は関係なく、ランダムに整理券が配布され、結局、僕らは前から5列目という結果に。その友人は、かなりへこんでました。どれだけ、ダウンタウンが好きなんですか?
まあ、いいですけども。僕は見られるだけで結構ですから。
僕は、「プロのしゃべりを盗もう」と思って見ました。
前説のライセンスが終わると、ついに待ってました、ダウンタウンの登場!
年明け最初の収録ということで、二人のテンションは高かったように感じました。終始、笑顔でしたし。
内容については1月30日にオンエアーになるので、割愛しますが…。
僕が気付いたのは、一番浜ちゃんのつっこみがおもしろいということ。それはコンビでなければ、できない技です。何か、おもしろいことを言ったり、やったりしても、見ている人に気付いてもらえなければ、その面白いことも意味がないわけです。こういう理由で、本当に浜ちゃんのつっこみがキレていた。
間も絶妙なんですよね。だから、50分くらい話を聞いていても、ダレることはないし。まあ、ダウンタウンという大御所ですから、「次は、どんな面白いことを言ってくれるんだろう」という期待を持って見てますから、その長さに耐えられるというのもありますが…。
2時間ほど、収録時間は予定されていたものの、結局、50分ほどで、終了しました。どうやら、オンエアーできるネタが多かったみたいです、今日は。お客さんのリアクションも好感触だったんでしょう。
ぜひ、また見に行きたいです。
あと、笑っていいとも!も見に行きたいです。
大学生活の集大成か?
午前3時に起きて、午後5時の卒論提出期限に間に合うように、加筆修正を始めました。
最初から読み直し、教授に指摘された点を、しっかりと確認しながら、修正していきいました。
「本当にある程度の長さの論文を書くっていうのは、手間隙がかかるんですね。」
一冊の本を書き上げるなんて、もっと時間も手間もかかるものなのだろうと想像してしまいます。
朝飯を食べたり、新聞を眺めたり、卒論に戻ったりしている間に、完成しました。その時、すでに午後1時。卒論締切りまではあと4時間。
急いで、学校に行き、簡易製本して、教務課に提出しました。
これで、ひと安心。手続き上のミスさえなければ、卒業できるはずです。
と、なんとも、あっけない結末でした。卒論。
思えば、夏頃から、「早く取り掛からなければ」と自分にムチを入れることはしていましたが、結局何も具体的なことには取りかからず、時間だけが過ぎていました。
書き始めたのは、年末。つまり、実質3週間弱で書き上げたということです。その前、1ヶ月くらいは文献を読んでいましたけども。
あんな論文でいいんだろうかという、感想です。
でも、学者を目指しているわけではないので…と自己弁護しておきます。
でもでも
卒論を通じて、論の立て方や、データの分析法、意見を文章を通じて人に伝えるといったことを身をもって、勉強することができました。それだけでも、大きな収穫だと思います。なので、大学で、卒論を書かなくてもいいという人がいるみたいですが、書く人と書かない人とでは、大きな差がつくなと感じています。
さあ、これで、卒論物語は終了です。
これからは、卒業までの間、どう過ごすかです。
まずは、来週引越ししますので、その準備ですね。荷造り荷造り。
最初から読み直し、教授に指摘された点を、しっかりと確認しながら、修正していきいました。
「本当にある程度の長さの論文を書くっていうのは、手間隙がかかるんですね。」
一冊の本を書き上げるなんて、もっと時間も手間もかかるものなのだろうと想像してしまいます。
朝飯を食べたり、新聞を眺めたり、卒論に戻ったりしている間に、完成しました。その時、すでに午後1時。卒論締切りまではあと4時間。
急いで、学校に行き、簡易製本して、教務課に提出しました。
これで、ひと安心。手続き上のミスさえなければ、卒業できるはずです。
と、なんとも、あっけない結末でした。卒論。
思えば、夏頃から、「早く取り掛からなければ」と自分にムチを入れることはしていましたが、結局何も具体的なことには取りかからず、時間だけが過ぎていました。
書き始めたのは、年末。つまり、実質3週間弱で書き上げたということです。その前、1ヶ月くらいは文献を読んでいましたけども。
あんな論文でいいんだろうかという、感想です。
でも、学者を目指しているわけではないので…と自己弁護しておきます。
でもでも
卒論を通じて、論の立て方や、データの分析法、意見を文章を通じて人に伝えるといったことを身をもって、勉強することができました。それだけでも、大きな収穫だと思います。なので、大学で、卒論を書かなくてもいいという人がいるみたいですが、書く人と書かない人とでは、大きな差がつくなと感じています。
さあ、これで、卒論物語は終了です。
これからは、卒業までの間、どう過ごすかです。
まずは、来週引越ししますので、その準備ですね。荷造り荷造り。
卒論提出のはずが…
午前10時、教授の研究室に行きました。
ノックをする僕。
「どうぞ~。」教授が奥から顔を出す。
「どうですか?調子は?」
「え~、ま~、一応書くことには書いたんですが…。」
と、とりあえず、一通り書けた論文を教授に手渡した。
それから、教授が目を通すまでの時間は、本当に長かった…。
僕は、授業で使っているノートを、卒論とほとんど関係ないのに、眺めたりして、時間をやり過ごしていました。
何分くらい、教授は論文を見ていたでしょうか…。
数十分が経過した後、怒涛の指摘が始まりました。
「ここは意味がわからない。説明して。」
「ここ自分で訳してみて。論理が通るかな?」
「語法の間違いが多いよ、ちょっと。ちゃんと調べたの?」
「結論のところは特にしっかり書いて。論文のまとめだから。」
「何が言いたいのかはわかるから、後はまとめ方だよ。」
と…。
というわけで、今日提出できるはずもなく、明日も一応、提出日になっているので、訂正した後、提出するということに。とほほ。
まあ、自分自身でも「完成した」とは思っていなかったので、むしろ教授にいろんな点を指摘してもらえただけ、ありがたいと思っています。
大学は学ぶところなわけですしね。
というわけで、僕の卒論物語は明日まで続きます。
ノックをする僕。
「どうぞ~。」教授が奥から顔を出す。
「どうですか?調子は?」
「え~、ま~、一応書くことには書いたんですが…。」
と、とりあえず、一通り書けた論文を教授に手渡した。
それから、教授が目を通すまでの時間は、本当に長かった…。
僕は、授業で使っているノートを、卒論とほとんど関係ないのに、眺めたりして、時間をやり過ごしていました。
何分くらい、教授は論文を見ていたでしょうか…。
数十分が経過した後、怒涛の指摘が始まりました。
「ここは意味がわからない。説明して。」
「ここ自分で訳してみて。論理が通るかな?」
「語法の間違いが多いよ、ちょっと。ちゃんと調べたの?」
「結論のところは特にしっかり書いて。論文のまとめだから。」
「何が言いたいのかはわかるから、後はまとめ方だよ。」
と…。
というわけで、今日提出できるはずもなく、明日も一応、提出日になっているので、訂正した後、提出するということに。とほほ。
まあ、自分自身でも「完成した」とは思っていなかったので、むしろ教授にいろんな点を指摘してもらえただけ、ありがたいと思っています。
大学は学ぶところなわけですしね。
というわけで、僕の卒論物語は明日まで続きます。
明日卒論提出!
リポD、リポD。
ついに明日は卒論提出日(本物)です。
なんとかこれから体裁を整えて、提出にこじつけたいと思います。
もう9割はできてるんですが、一応、教授に評価されるわけなので、ある程度丁寧に仕上げたいと思います。
しかし、ちょっと眠いのが気になります。気合です。
よしっ!
ついに明日は卒論提出日(本物)です。
なんとかこれから体裁を整えて、提出にこじつけたいと思います。
もう9割はできてるんですが、一応、教授に評価されるわけなので、ある程度丁寧に仕上げたいと思います。
しかし、ちょっと眠いのが気になります。気合です。
よしっ!
今年は年男
僕は今年、数えで25歳になります。
つまり、「年男」なんですね。
もっというと、「厄年」。
ってなわけで、今日は関東三大大師の一つ、西新井大師で厄払いしてもらいました。
僕は厄だとか、縁起だとかは、そこまで気にしてなかったので、厄払いに行こうという気はなかったのですが、友人に誘われて、初めて臨みました。
20分ほどかけて、本堂にてお坊さんの読経を拝聴し、御護摩札という一種のお守りをいただくというものでした。しっかりと自分の名前が書かれ、一年の厄を払ってくれるものです。
その後、詣でです。一年間健康に自分のやりたいことに取り組めるよう、お参りをして、帰途につきました。
あいにくの雨で、寒い中での厄払いでしたが、ちょっと気が改まりました。
今年、僕は満24歳になります。社会人1年生でもあります。
自分の信念を曲げることなく、正しいと思うことだけをしていきたいと思います。
つまり、「年男」なんですね。
もっというと、「厄年」。
ってなわけで、今日は関東三大大師の一つ、西新井大師で厄払いしてもらいました。
僕は厄だとか、縁起だとかは、そこまで気にしてなかったので、厄払いに行こうという気はなかったのですが、友人に誘われて、初めて臨みました。
20分ほどかけて、本堂にてお坊さんの読経を拝聴し、御護摩札という一種のお守りをいただくというものでした。しっかりと自分の名前が書かれ、一年の厄を払ってくれるものです。
その後、詣でです。一年間健康に自分のやりたいことに取り組めるよう、お参りをして、帰途につきました。
あいにくの雨で、寒い中での厄払いでしたが、ちょっと気が改まりました。
今年、僕は満24歳になります。社会人1年生でもあります。
自分の信念を曲げることなく、正しいと思うことだけをしていきたいと思います。