4年生引退ブログ 澤田 章吾「マジで感謝!」 | 立教大学体育会サッカー部日記

立教大学体育会サッカー部日記

立教大学体育会サッカー部のマネージャー日記です☆
2013.3~

☆4年生引退ブログ☆
 
 
 
 No.37 澤田 章吾
 
 
「 マジで感謝! 」




 

 
 
《プロフィール》
 
 
学部学科:経営学部経営学科
出身校(チーム): 横浜FマリノスY
ポジション: DF
背番号: 5
 
 
 


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 『 マジで感謝! 』


こんばんは。
本日のブログ担当を務めます4年澤田章吾です。
同期のブログはどれもエモいですよね。
このブログ企画は、毎日夜9時頃に更新されてその日のうちに読むのですが、同期のブログを読むと毎日のように寂しくなって、目をウルウルさせながら散歩してます。(たまにガチ泣きしながら散歩してます。)
皆本当に素晴らしいブログなので、是非興味ない人のブログも見てやってください。僕は川副(4年・大分南)だけまだ読んでませんが時間があったら読みたいと思います。
 
 
さて、本題に入る前にこれまでの僕のブログについて振り返りましょう。
2年生の時はGReeeeNの「ビリーブ」という大好きな曲を紹介しながら、「辛い日々だけど、夢を実現する為にもう少しだけ頑張ってみます」という内容のことを綴りました。
3年生の時は菅田将暉の「まちがいさがし」を紹介しながら、「自分の選んだ道を正解にする為に努力していきます。」という、今年のタカ(2年・國学院久我山)とほぼ同じ内容のことを綴りました。(タカ、パクるなよ。)
 
過去のブログを読みたい方はこちらから



今年は何の曲を紹介しようかなと考えていたのですが、色々な想いと伝えたいことがありすぎて曲がまとまりませんでした。ってことで今年は...。
 
是非あなた自身が、好きなエモい曲でも聴きながら読んでみてください。
耳にイヤホンを当てましたか?
 
 
 
では始めます。
 
 
 
 
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back number「水平線
 
この曲は、3年の冬にAチームに向けてモチベーション動画を作った時の大好きな曲です。
元々この曲はコロナ禍でインターハイが開催できなくなった時に、back numberが高校生らを勇気づけるために作った曲だそうです。
 
 
「水平線が光る朝に あなたの希望が崩れ落ちて
風に飛ばされる欠片に 誰かが綺麗とつぶやいてる
悲しい声で歌いながら いつしか海に流れついて光って
あなたはそれを見るでしょう」
 
 
当時(3年後期)、思うように試合に出場できていなかった。でもある時、CBにコンバートされスタメンで出場させてもらった。
この瞬間誰かは「悔しい」と思っただろうか。
 
結果は負け。
しかも自分がマークを外してしまったせいで負けた。
この瞬間誰かは「ラッキー」と思っただろうか。
 
 
サッカーには(というかスポーツには)、表と裏が存在する。
大きく分けると自分と対戦相手の勝ち負け。
細かく分けるとチーム内競争の勝ち負けだ。
もっとあると思うけど。
勝ちがあるからこそ負けが存在する。
 
ここで伝えたいのは、2つある。
1つ目は『勝っている奴は、負けている奴もいるって自覚してほしい。』ということ。
負けてる奴も必死に練習してる。
負けてる奴は当然悔しい。
そいつに対して下手くそだと笑い飛ばして馬鹿にするのは違う。
いじられるのはおいしい。という次元ではないと思う。
勝ったやつは負けている奴の分まで死に物狂いで頑張ってほしい。
 
そして2つ目は、『負けている奴は勝っている奴を応援しよう』ということ。
そんなの応援できるわけないじゃんって思うかもしれない。
勝負の世界だし、悔しいのはわかる。
不貞腐れるのもわかるけど、心の余裕は自分を成長させてくれる一つの要素だと思う。
ライバルからの「頑張れ」の一言ほど、湧き上がってくるものはない。
そしていつかは自分自身に光が差し掛かる日が来る。
 
「馴れ合い」とか「仲良しごっこ」とも違くて、お互いリスペクトし合うということ。
この勝負の世界でそれぞれが認め合う事で、組織というものは大きく成長すると思う。
 
 
 
他にも良い歌詞があるので是非聞いてください。
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ゆず「栄光の架橋」
 
僕のサッカー人生のテーマ曲です。
サッカーをやってきた人は、ほとんどの人がこの歌詞に当てはまる人生を歩んできたのではないでしょうか。
 
 
「誰にも見せない泪があった 人知れず流した泪があった
決して平らな道ではなかった けれど確かに歩んできた道だ」
 
 
この16年間を振り返ってみると毎年悔しくて涙を流していた気がする。
一方で、時には爆上がりするほどの嬉しいこともあり、本当に波乱万丈なサッカー人生だったと思う。
 
少し振り返ろう...。
(興味ない人は飛ばしてください。)
小学1年の頃、地元の弱小チームに所属し、1つの試合で攻撃も守備もほぼ全てのポジションを担い無双していた。FC東京とマリノスのスクールに通い、このときから週5,6くらいサッカーしてた。
 
朝は6時に起きてランニングにいったり、リフティングしたり、家の庭でジグザクドリブルをしてた。
 
小3の時にこの環境じゃプロサッカー選手になれないと思い、家から電車で40分ほどかけて「ヴィトーリア目黒」という、現在、新潟アルビレックスの矢村健とベガルタ仙台の加藤千尋も所属していたチームに入った。(あっ道間(2年・川崎F)も一緒のチーム。1対1したの覚えてるよ。余裕だったけど。)
 
このチームの初練習・初試合は印象的だった。
まずめちゃくちゃ顔黒くて怖い監督だし、坊主の奴がめちゃくちゃでかい声でブラ隊してるし、ロン毛のサッカー上手い奴がめちゃくちゃ話しかけてくるし、どっちがどっちだかわからない双子もいるし、優しすぎる奴いるし...。
このチームならプロサッカー選手になれると思って卒業まで続けた。
 
6年の夏合宿では、上記の双子が部屋移動をしてはしゃいだせいで監督に「最後の大会は、全て5年生を出す。」と怒られた。皆で謝って、許してもらえて出場した東京都大会では東京ヴェルディを倒して見事優勝した。
 
中学では横浜F・マリノスジュニアユースに入った。
3年では副キャプテンを務め、東日本代表(メニコンカップ)にも選出された。
 
高校ではそのままユースに上がれて
1年の時は国民体育大会で優勝した。
今考えるとそりゃ優勝できるメンバーだった。
スタメン11人中7人が現在プロサッカー選手として活躍している。
 
大学は、その国体優勝の戦績を使って立教大学に進学した。
毎年のように怪我をして4年間思うようにプレーできなかった。
でも最後はやり切った。
 
ってういうのがざっくりした16年間の振り返り。長くてごめんなさい。
 
 
「いくつもの日々を越えて 辿り着いた今がある
だからもう迷わずに進めばいい 栄光の架け橋へと」
 
 
小学1年生の時から本格的にサッカーを始め、実に16年間サッカーと向き合ってきた。その日々があったから今があると思ってる。
夕日(4年・矢板中央)より負けず嫌いだし、
大倉(4年・神戸国際)より仲間想いだし、
杉下(4年・神戸国際)よりメンタル弱いし。
サッカーやってなかったら、多分海賊王目指してたと思う。
こんな面白い僕を形成せてくれたのも全部サッカー。
 
めちゃくちゃ険しくて苦しいサッカー人生だったけど、
いま「幸せ」です。
 
これから先何があるかわからないけど、
全てサッカーで培ったものでカバーできる気がする。
 
突き進みます。
いつかの栄光の懸け橋へと。
――――――――――――――――
ん~。薄っぺらい内容でしたかね?
最後は無理やりだし、クサいし、いつかの栄光の懸け橋ってどこだし。​
ただこのブログ企画で曲紹介を最後まで貫きたかっただけです。
ごめんなさい。
 
実はここからが本題で、
大学4年間の想いを綴りたいと思います。
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正直、「悔いが残った」大学生活だったなと感じる。
ブログでこんなこと書く人はいないかもしれないけど、これが本音。
 
だって大学入る前までは、プロサッカー選手を目指して必死にボール追いかけてきた。
ユース出身だから関東リーグでも活躍できると思ってた。
 
現実とのギャップに苛立ちと悲しさを覚え、
ずっと「現実逃避」をしていたから。
 
諦めたことに後悔しているわけじゃない。
活躍できなかったことに後悔しているわけじゃない。
 
全ての決断から逃げて、自分は被害者づらしながら言い訳ばかり並べて、誰かに、何かに縋り付いていたことに後悔している。
 
「少し足が痛いです」
「もう無理です」
「どうすればいいかわからないです」
 
サッカーなんて楽しくなかった。
キツイ練習なんてさぼりたかった。
上手くいかない自分が大嫌いだった。
 
上手くいかない現実から逃げ出していた。
こんなとき、スタッフや先輩、同期には沢山の迷惑をかけたと思います。
本当に申し訳ございませんでした。
 
でもこうやって、
「後悔している」って思うってことは、
楽しい時もあったし、青春を感じた時もあったってこと。
 
毎週月曜日に松下(4年・帝京可児)と自主練に励んだ日々。
太雅コーチ(20年卒)の鬼指導を受けている時。
誰かの誕生日の夜に突撃訪問した時。
最後に大好きな4年だけで試合に出れた時。
 
もっとあるけど、
これらの経験ってマジでかけがえのない宝物。
 
だからこそ。だからこそなんだよ。
「楽しくない」「さぼりたい」「大嫌い」って感じた日々をやり直したいと思ってしまう。
 
どうせ過去には戻れないのだから
ここであえて僕なりの後悔を記して、後輩には「悔いのない」大学生活を送ってほしいと思った。
そして、「楽しい時間、青春している時間」を大切にしてもらいたい。
これが大学4年間で、感じ学んだこと。
 
 
耀(3年・大宮Y)頑張れよ!
森保(3年・広島Y)頑張れよ!
ヨハン(2年・鹿島Y)頑張れよ!
道間もユスフ(2年・川崎F)もタツキ(2年國学院久我山)も頑張れ!
 
あと誰だ。名前書いたら反応してくる可愛い後輩は。
悠力(3年・浦和南のエース)も熊木(3年・新潟明訓の司令塔)も、颯も(3年・立女)頑張れよ!
 
その他の後輩たちも頑張れ!(名前上げない人は心配してないだけ)
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それとあと3つ僕の想いを伝えたいと思う。
(長いけどラストスパートだから最後まで読んで!)
 
グラウンドに行けば会えて、
自分が考えてたことなんてちっぽけに思えるほど楽しい日々をくれた『同期』へ感謝の想いを伝えたい。
 
 
『甘いプレーや考えをしている時に厳しい意見をくれてありがとう』
リーグ途中、練習中に厳しい意見を言えず、
メンバーを褒めてモチベーションを上げる事しか考えていなかった僕に対して、「甘すぎる」って穴吹(4年・三菱養和)、今井(4年・JFAアカデミー)、立川(4年・浦和Y)に怒られた。理詰めされた。特に今井は目がガンギマリしてた。泣きそうになった。
今だから言える。「何もできずにごめん。そしてありがとう。」
これも一つの思い出だ。
 
 
『何もかも上手くいかず辛い時でも、支えてくれてありがとう』
特に2年のときは、同じ学部の佳輝(4年・三菱養和)に沢山迷惑をかけてしまったと思う。本当にごめん。
その他にも沢山の人たちに支えられました。ありがとう。
 
 
『買い物やご飯、付き合ってくれてありがとう』
大倉(4年・神戸国際)、良知(4年・清水東)など。
社会人になっても蕎麦食べに行こうな。
 
 
『毎日のように元気をくれてありがとう』
グラウンドに行くと笑顔で迎えてくれるマネージャーたち、毎日元気をもらってました。
機嫌が悪い時は、そっと水を渡してくれたり、あえて気づかないふりをしてくれたりと、いつも気遣ってくれてありがとう。
 
 
『常に選手想いのサポートありがとう』
田村(フィジカルコーチ)、莉乃には、かなり迷惑をかけたと思う。
身体のことを考えてくれているのに、厳しいリハビリメニューだと文句を言ってごめん。
田村は自粛期間にメニュー組んでもらって一緒にTRしてくれてありがとう。
莉乃は4年間テーピング巻いてくれてありがとう。(1年の時、いつもテーピングの練習相手してたの覚えてます。)
 
 
みんなとの思い出、上げていったらキリがないね。(あっ桐(4年・日本大学藤沢)じゃないよ?キリね。)
まだまだ感謝の想いは沢山あるけど、ここら辺にしておく。
 
同期ってなんでこんなに特別なんだろうって思う。
誰かの名前がメーリスに載ってたら
つい自分も嬉しくなって得点シーンをYouTubeで見返しちゃうし。
熊瀬(4年・町田Y)は遅刻癖あって、同期皆で囲んでキレたのに、なんだかんだ皆からめちゃくちゃ愛されてるし。
かんた(4年・鳥取の高校)は、イキッてるのに可愛いし。
 
皆それぞれの個性があって大切な仲間。
本当に4年間ありがとう。
明日も明後日も、来年も再来年も、いつまで経っても仲良くしたい。
みんなが大好き。
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16年間のサッカー人生において、
関わってくださった全ての監督、コーチ、その他スタッフの方々に感謝申し上げたいと思います。
今振り返ってみると、
僕は各世代でありがたいことに役職を頂いてきましたが、「皆をまとめた」「皆を引っ張った」というようなエピソードはありません。その分、監督、コーチに迷惑をかけてしまっていたのではないかと申し訳ない気持ちでいっぱいです。
それでも信じて僕にチームを託してくださったり、悩みを相談した時には「信頼してる。」と勇気づけてくれたことは、僕がサッカーをするうえでの大きな原動力になっていました。本当にありがとうございました。
皆様からの熱い指導を受けることができ、幸せでした!!
 
やぎ鍼灸接骨院の皆さん、
僕は毎年のように通わせて頂きました。ありがとうございました。
浦和レッズが大好きなやぎ社長、絶対彼女がいる北澤さん、「また怪我したの!?次はどこ?」が口癖の斎藤さん、グラウンドのプリンス小野沢さん、検温大好き若松さん。
本当にお世話になりました。
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最後に、16年間のサッカー人生を誰よりも支えてくれた家族にメッセージをって思ったけど、直接伝えたいので割愛します。
 
ってことで最後は、
普段はこんなこと絶対に話したくないし、話せない人にメッセージを送ります。
(君が書いたから僕も書いてあげるってだけ)
 
大親友へ
同期の中で僕と同じ地域に住んでいるのは君だけ。
最初にあった時は、膝怪我してる小さい「ガキ」だな。って思ってた。
でもいつの日からか忘れちゃったけど、だんだん仲良くなって、グラウンドの行き帰りは色んな話をして、サッカーに対する姿勢とか想いの部分で「尊敬できる人」に変わった。
月曜日のオフの日は2人で対人しまくって、帰りは喧嘩して、バイトでも一切口も利かない。っていうお互い負けず嫌いぶりを発揮した時も多々あったね。
時折というか毎回、俺の嫌な事を的確に突いてくるのは凄くうざいし嫌いな部分だけど、それでもどこか心の拠り所で、楽しいことや嬉しいことは1番か2番目くらいに共有したいと思えた。
君がいなかったら、僕はサッカー辞めてたと思う。(本気で。)
そんな君と最後に一緒に試合に出られて良かった。
関東リーグという舞台ではなかったけど、1年生の頃に「最後は一緒に試合に出よう」という約束を果たせてよかった。
4年間本当にありがとう。
そしてこれからもよろしく。
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最後までお読みいただきありがとうございました。
どうせ長すぎて途中飛ばした人が多いだろうけど...。
 
この16年間、本当に苦しい日々が何度もありました。
でもこうやって最後に「幸せ」な形で終わることができたのも皆様のおかげです。
サッカーを通して出会った全ての方々に感謝申し上げます。
ありがとうございました。

 

 
 
 
 
 
 
 
お気に入りのプレー写真》



 
 
 


 
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立川 将吾(FW/浦和レッズY)