だから意図的に無価値で無意味な物として見せておくことで相応しい時が訪れるまで封印して眠らせておく | ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私のストーリーの続き~魂の休息期間中

ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私のストーリーの続き~魂の休息期間中

14歳頃に霊性に目覚めた私がマスターの魂と内なるビジョンに引きずられあるべき未来へ逆走してゆく聖なるストーリーを開くための記録だったものの続き。今ではすっかり玄人向けでノンデュアリティスピリチュアリティ要素や前提知識超多め注意★

このブログの話は私の体験や体感が何日か遅れて記されているように思います。





今の私は何をしているのか?



そういえば 原点回帰でしたね。



こんな感じで↓



“蒸留”を繰り返すようにして私は原点回帰を行っているのです。







うん、しかし、


話の連続性や脈絡という物を一貫させることができる気がしないので、ひとまずまばらな情報を書き記していって後から必要になった所を拾っていくことにします。





あぁなるほど、

蒸留を繰り返して原点回帰2 みたいな記事として扱えばいいのですね💡



どうせこれらの話も後になって初めて生きてくるようなもの。今はまだ死んでるようなものなのでしょう👻



それを理解した上で、





布石として仕込んでいきましょう✨





どこから記したものか。



じゃあまずはこっちの話から。



私は、ある日スーパーの貼り紙で


グリーフケア


という言葉を知ったのです。



今日(もう前日)たまたまそこに再び行く機会があったので写真撮ってきました😃





ちなみにこのグリーフケアという言葉、



喪失感を癒す


というような意味らしく、

特に日本では死別の悲しみや喪失感などをケアすることを意味するんだとか。





ふーん、グリーフケアねぇ?

“グリーフ”って言葉なんてグリーフシードでしか聞いたことなかったなぁ?




とか思っていたのです。

今から3週間くらい前のことですかね???



そして先日、

私の伯父が亡くなったそうなのです。

それによって私の父親が葬儀などのため東京の方に出向いているのですね。











それでマスター・キーの本、

昨日……前回のブログを書いた後にも読んでいたのですが、


うん、

色々とすごく興味深いことがかなりわかりやすく書いてありました。なるほど、さすがは現代のスピリチュアルマスターと名高いアラン・コーエン氏の説明や解説は理解できるようになった後ではとてもバランスが良くてわかりやすい。





やっぱりあの本の著者であるマリアとはかなり違うのですね。女性と男性の違いというのも感じるし、センスや感覚がかなり違う。


あの本↓


この本はお喋りが上手、

みたいな感じなのですね。マリアがアナウンサーだとか女優行だとかをやってた人だからってのもあるんだろうけどそれぞれの本の表紙の色や雰囲気くらい違うのですよ(゜Δ ゜)



多くの人間に進められるのはマリアの本の方なのですが、可能であれば読んだ方がいいと思うのはマスター・キーの方というか。

特に女性なら読みやすいと思います。基本的に女性の視点……マリアの実体験なんかを通して語られているから。





まぁそれはいいとして、

マスターキーの本の中で



パラレルを選択し移行することで異なる過去や自己を持つ人間として生きることは可能である



みたいな話があったのですよ。



今の私だと全然上手く説明できる気がしないんだけど💥



そこでちょっとバシャールな話が出てきていたのですね。

確かにそういう話……異なるパラレルな現実感に移動することによって異なる過去を生きてきた自分として生き直すことは可能だ~みたいな話を見かけたり少しだけ調べたことがあったのです。



……しかしそれによって、

アレルギー反応が無くなったり病気を癒したり無くすことができるというような発想は大変驚愕すべきものでした………………



とは思わなかったけど(笑)



私が密か~に愛好していた、

オカルト板なエニグマスレな不思議体験話みたいなのと同じ匂いを感じたのですよ😃✨



ファンタだと思ってコップの飲み物を飲んでいたらその味がしてたのに、それが牛乳だと気付いた瞬間に牛乳の味になったとか。


自転車の鍵をかけたまま乗っていたことに気付かなかった時にはそのまま走れていたのに鍵がかかったままだと気付いた瞬間に引っかかって走れなくなったとか。



……そういう、とてもオカルトちっくな不思議体験話みたいなのと同じようなとても興味深い物を感じたのですね私は。

心霊系はかなり好きじゃないです🙅



強いて言うなら私は、スピリチュアル精神世界とかよりもそういう不思議体験系な話の方が好きだと思ってます💖


なんでって、

楽しいからです☆




それはマジカルなのかはわかりません。

それがミラクルだとは思いません。


そういうこの世界の物理法則……に見える物の影響や力から外れたような話とか考えとか好きらしいのですよ。



なので私に理系の資質……世界を数字や式で切り取り象り解読するようなセンスがあったらそういうことに夢中になったことでしょう。

……残念ながら今生の私に数式を扱う高いセンスや適正は無かったのですが👻





私はそういうこの世界でたまに起こるような不思議な“奇妙な体験”という物に密かに憧れているのだと感じます。


有り得ないとは思わないので。





まぁそんな感じで(?)



私はある瞬間に思ったのですよ。



もし“コース”で語られるように、



ただの一度もそんなことは起こっていなかった



のだとしたら、

確かにソレを許すのはあまりにも容易いはずなんだろうし、一度も起こっていなかったことを許さないのは狂気だと言える。。。



そしてもしも、

もしも本当に私も世界も

(仮に)


神の創造したままの完全で祝福されたままのものだったとしたら?


過ちも罪も一度も犯したことはなく目撃したことも体験したこともない自分こそが本当の自分なのだとしたら?



それなら私はどのように存在しどのように生きることを望むだろうか???





そんな可能性を今の私は真剣に探っているようなのです。




私はこれまでの人生を気付いた時から悔いの残らないように一生懸命に生き抜いてきたという自負があるので、


なんかそれまでとは別に全く違うような自分になっちゃったとしてもそれでいいと思うのですよ。



苦労とか一生分したと思うし、

少なくともその意味は掴めたので。




これが私だ!!




っていうような信念みたいなのって、

実は私は薄い人間だということにも気付いているし(笑)





なんていうか、そう、本当に。



やれるだけのことはやってきた



と思っているので、

自分が変わってもいいと思うのですよ。


そのために“間に合う”ように必死に進んできたのだと思うし😌





……今の私が思っているような過去とは異なる認識や過去(?)を持つ自分になったとしたら私の世界はどんな風に変わるのだろうか?


私はそれを見てみたいと思うし、

それはきっと私がどれだけ真剣に望んでいるのかはまだわからないけどとても重要な物として目指しているように思える 



最果ての可能性を開く



という意思と一致してると思うんだよ。

こういうの↓みたいなね。



いい歌詞だよね。そして私が感じてるもの見てるものが非常~に正確に表されてる。さすが魔王様!! って感じ(笑)




この人生はアレだからね~。

ひどく扱いにくいし意味不明な部分は多いように思うけど、その最果ての可能性だとかを目指すことができるという意味ではとても素晴らしく貴重で価値ある物だと思えるし、



たぶんそれが正しい使い方なんだろうなって感じてる。それは確信なのかもしれない。





それに、


“門”とか“扉”とか、

なんかそういうファンタジー的な話は私にとっては馴染み深いものだし、



有るか無いかで言うならさ、


あった方が楽しいでしょ?




例えて言うなら、


私は去年の夏のオカルト~陰謀論界隈を調べまくっていた中で見かけた、



宇宙や月は存在しないし

“アース”とは地球ではなく地表である



みたいなフラットアースな話とか。



確かに私も当時の人類月面着陸はさすがに不可能でかわいそうな嘘だったんだろうな~って思ってるんだけどさ?



でも、だけど!!



宇宙があった方がいいのか?

宇宙は無かった方がいいのか?



って考えるなら、

有った方がいいと思ってるんだなって。

そう感じてることに気付いたんだよ最近💡




だって有った方が楽しいでしょう?


……現実はどうかは別に知らんよ?

でも物語の中では存在していた方が圧倒的に楽しいんだよ。





だから私はこう答えるよ。



宇宙なんて存在しない可能性もあるけど、

有った方が楽しいと私は思ってるよ。


君はどう思う???






それと同じだと思ってる。



確かにアラン氏の言う通り、

たったの1つでも例外が認められるならそれはもはや法則ではないんだよ。


だとしたら、

たった1つでも例外を作り出すことができたならその見せかけの法則が破綻して崩れ去るのは時間の問題なんだよ。


そしてそれを幻想と呼ぶわけだ。

本物だと思ってたけどよく出来た偽物……

ダミーだったのだと。



そして既に不思議体験としてこの世界の物理法則とか思われてる物には既にいくつもの穴が開いてるわけだ。




……なら、私もその隙間を通れたり新たに穴を開けることは十分に可能だろう?


少なくとも不可能ではない。




そういうことなんだよ。






誤った思い込みも集結すれば真実並の力を持つことがある



そんな言葉が本では紹介されてたけど、

でもそれは飽くまで見せかけの話。


どれだけ思い込もうと真実や本質という物は変わらない。



それが可能だと思い込むこと、

そして実際にそれが可能であると信じるに相応しいような形を作り出すこと魔術と呼ぶのなら、




私はその相矛盾しているように思えるようなその2つの信念を信仰しているか……


あるいは本質では無くただの見せかけに過ぎないと知ってそれ自体ではなくそこに見える何かを純粋に愛しているに違いない。





果たしてそれは“魔術”だろうか?



それは完全性を損なうような不浄ではない何かしらの聖なる“魔術”と呼べるものなのか?






……“教師のためのマニュアル”とかに明確に記されてるはずの“魔術”の定義も理解しないままに私はこうしていつものように独自解釈や探求を楽しんでいるのです。




それはただの愚かな選択に見えるだろうか。


それとも何かしら素晴らしい意図があってのことなのだろうか???





さて私はどちらを選ぼうかな???


……そもそもどちらを選んでも正解とはならないような気もするのだけれど???



……ふむ、ならどうしようか?



というような所にまで自己の意識を連れてくることが私の役割で、それが終わったら後はホーリースピリットの仕事なのだと、


強いて言葉にするならちょうどそんな感じなんだろうなって思いました。





わかりたいやつは知ることを選べばいいんだし知りたくないやつは無条件に知らないことを選ぶことになる。


そもそも自ら超積極的に真実とか実相を求めなければ無条件に見せかけの形を見ることになるんだとしたら、



なんか私はそんなものを他者がどのように選択するかなんて全く気にしなくていいなって気付いた!!





……侮るな、

私は幼子ではないのだ、

それくらい自分で決められる。





というようなそれが自分にとってはとてつもなく難しいと知る時、

自分は何も知らない幼子のようなものだと逆に理解するきっかけにもなる。





うん、今の私には理解しきれない。

そのうち意味を成し像を成すのだ。


しかし今の時点ではわけがわからない。

それを知るためには“時間を省く”ことが必要なんだけど、


残念ながら今の私は特にそれを望んでいないらしい(笑)



だからこの記事は現時点ではバラバラで断片的で何かしら重要そうなキーワードみたいな物が散らかったままでいいんだよ。


それでも見たい人が居ればその本質ってのを見ればいいんだよ。どんなゴミクズやガラクタに思えるソレでも見ようと思えば黄金の瞬間?になるんだろうから。




今の私は愚者でいい。

内心では別に全くそんなことは思ってないのだし真意というのは相応しい時まで内に秘めながら守り育てるものでもある。何しろそうすることである時ある瞬間に何かしらの手品のようにそれを使うことができるのだから!




それまでは全く価値も意味も成さない物として寝かせておけばいいのさ。事実としては間違いないんだろうし嘘じゃないし(笑)



……ただ私は実際にこうして表現される言葉とは全く別の物を見ているということ。



それは相応しいタイミングまで隠し秘めておくことが正解なんだよ。そうすることによって余計な矛盾とか法則に見える物の影響力から逃れることができるかもしれないからね☆





もしかしたらコレこそが私が探し求めた叡知だったのかもしれねぇ。



名付けて!!



こうすることによって余計な矛盾とか法則に見える物の影響力から逃れることができるかもしれない戦法!(?)






……そうして私はまた言葉では表しにくいことこの上ないのに私自身にとっては超実用的で魔法のように問題の1つを解消するような素晴らしい方法論を見つけたのであった。





“そういうの”なら俺に任せろ!!



……しかし“そういうの”を上手く言葉にはできないから説明不可能なのであった。。。





だから意図的に無価値で無意味な物として見せておくことで相応しい時が訪れるまで封印して眠らせておくんだよ。



そう、だから私は後になって自分で開封の儀式みたいなことをしてるんだし、その頃になったら開封の方法も見つかってるし、


完成してしまえば私が頑張って説明する必要なんて全くない。





……時間や法則の制約から逃す………………


そういう手があったのか!!




強いて言うのなら、

このやり方によって“この世界”的な厄介事を無くせる……それはまるで“時間を省く”ミラクルによって問題が霧散するのと同じような効果を得ることができるのである❇️



どうやら私はそういうのをディバインマジックと呼んでいるらしかった。




……私みたいな人間以外には必要も意味も成さないであろう幻術の類だろうか。



しかしながら、きっとその結果としてもたらされる物には雲泥の差があるに違いない……私はそのように感じているらしい。






そもそもコレは先の話なんだし、

その“先”になった時に発動するような種を仕込んでるような物なんだし、


同業者以外わかるまいよ。





よってこのタイミングの私が理解されないことは自然である。なぜなら意図的にある程度わからないようにしているのだから!!




そしてその理由はタイミングの問題。

期が熟しタイミングが追い付けばすべては超自然になるんだから何の問題もない🌠






私が理解されないなんておかしい!

間違ってる!!



そう信じてる時は苦痛だったとしても、



……いや、わかるわけないでしょ?

だって“わかりにくくしてる”んだし。

むしろ誰にでも理解されたらそりゃ困るってもんだよ(笑)





そう思ってる私には全く何の問題も無いのである。むしろ計画通りである★





この2つの視点の違いが知覚をシフトさせてミラクルを選択することで本当に意味のあることだけを見るってことなんだろうなって。



形として時間はどうにもならないけど、

しかし使い道はあるし

気付かれずに“騙す”


みたいなことはできるのかもしれない。




……それこそ私が最も得意とする所なのかもしれないよなぁって。


 

“法則を欺く”とか、

“この世界を騙す”とか、


なんかそういうやつ(笑)





本質が変わらないのならどうであったとしても問題ない。真に見るべきものが見えているのならどう見えたとしても問題ない。


そうやって信義を守り抜くことは可能……



そういうことなんじゃないですかね!?





それが私の回答。


答えたので次は答え合わせですね😃✨