ゆるしと許しと赦しのための無意味さ無価値さとのたたかい。/癒されざる自分 | ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくブログ~

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14歳頃に霊性に目覚めた私がマスターの魂と内なるビジョンに引きずられあるべき未来へ逆走してゆく聖なるストーリーを開くための記録だったものの続き。今ではすっかり玄人向けでノンデュアリティスピリチュアリティ要素や前提知識超多め注意★

なんのためにそれをしているのか、



というのは今の私には見えない物だし思い出せないものになってるけど



今なにをしているのか、

どのような状態に自分があるのかということはわかってる気がする。







今の私は"癒されざる自分"みたいな物を非常に強く実感し体感している状態にあるのだと感じられる。


物凄く簡単に言うと、

頭の中も心の中も非常にごちゃごちゃドロドロとしていて処理しきれなかったり受け止めきれなかった想いなんかに呑み込まれてるような状態にあるんだと感じてる。





これだけわかりやすくなればわかる。



この私は神聖さを受け入れないし選べないし思い出せないし癒しも受け入れないし選べないし思い出せない。


怒りだとか悲しみだとか嘆きだとか、

そんな人生のどこかで見たり感じたりしてきた未消化の想いが一度に浮上してきて自分を包み込んでいるような……そんな気分。






そしてそれは常に燻っていて、

急に現れたように見えるものではあったとしてもどこかからやって来たような物ではなくて自分の中にあった物が表面化しただけなのだと感じられる。



それが封じ込まれている時に気付くことは難しいけれどそのような記憶も思い出すこともなく激しい感情を味わうこともそれらが波のように自分を揺さぶることもない。



これだけわかりやすくなればわかる。



というのはそういう意味。





……そしてそれは気付かずに隠されたままでずっと闇になっていたままだった物を一掃する機会だとも言えるのだろう。



おかげさまで私は自分の中にいくつも許せなかったり禍根となっているような想いや記憶があることに気付かされている。



それだけ無意識にでも怒りや不快感を呼び覚ます対象が目の前の現実として浮かび上がってくるのならもはや気付かないフリなんてできるわけがないんだから。





……それならこの機会に、闇になってしまっていた物に直面して一掃、してしまうことが望ましいのだろうと思うけれど、


それには感情的な体験が必ず入ってくる。





いつもであれば何かしらの闇みたいな感覚を捉えてなぞることしかできないけれど、


今なら"具体的な対象"に思える物がいくらでも目につく耳につく癇に障る。



……それらを否定しようとするのもバカバカしいくらいに怒りを感じるし憤りを感じるし陰鬱とした気分になるし神聖さであるはずの物さえ敵視して抵抗したくなる。






これは、なんなのだろうな。


普段なら気付くことさえかなわない闇である物がわかりやすく現れてくれることを喜ぶことが相応しいのか、


とにかく認識するすべてに不快感や鬱屈した想いを味わわされることになる事実を呪うことが相応しいのか、







……まぁ、そのどちらか1つだけを自分で選べというタイミングなのだろうし、



ようやくそれが可能になった

長い間待ちわびた解放でありゆるしが成される瞬間が訪れたのだと捉えることもできるのだろう。。。







正体不明の不快感としてのみ気付ける闇でしかなかった物そんな曖昧な物ではなく存在感とリアリティーを持って現れてくるというのはもはや終わりも近い時なのかもしれないと私は思っている。



つまりそれは、


自分が許していないこと、

自分が受け入れていないこと、

自分が見誤っていること、


それらがどこにあるのかが理解できるようになるということなんだから。




何を許せばいいのか、

何を受け入れればいいのか、

何を正せばいいのか、



それが自分でわかるということ。



それが可能であるかどうかは別として、


誰が、

何が、

どれが、


明確な敵や脅威と感じられるのかがわかるような状態。





だからゆるしか拒絶かを選ぶことになる。







それはもしかしたらとても幸運な、

本当に待ちわびた苦しみからの解放の瞬間でもあるのかもしれない。



それを選ぶことができたのなら。




もしそれができないのなら、

"もう一週"して……一巡りして同じような機会が再び訪れるのを待つことになるのだろうとそう感じられる。







これもそう。




"今この瞬間にはその可能性は無い"と感じるのであれば同じような輪のような体験をぐるぐると回ることになるのだろう。


それは無意味ではあっても無価値ではないと私は思っている。だからこそ私はそれを連続して行っている。



結果がわかっているからと、

その先の結果まで投げ捨てる必要はない。


"今はできない"かもしれない。

だからやっても達成できない。


しかし無駄ではないし、

"今ならできる"という瞬間のために必要なのだと知ることがあるのなら今すぐにできないからと投げ捨てることは相応しくないし間違い以外のなにものでもない。







私には、

私の認識の中にはそのようなリアリティーという物がある。







予め成否がわかるなら、

予め正否がわかるからと、


諦め続けるのは相応しくない。



なぜならそれを選び続けても望んだものには決して辿り着かないのだから。



だから可能性があると感じられる限りは進み続けることが相応しいと私は信じている。



事実としてそれだけが可能なのだし、

そのやり方だけが不可能になっていた物を可能にする手段なのだから。





それが私にとっては"ルール"とでも呼べるような物なんだ。



できない時はできない、

できる時はできる、


そしてできないの状態からできるの状態にするためには必要なものがある。そこには溝があり隔たりがあり空間があり距離があるのだから進み続けるしかない。



"絶対に今は不可能"なのだから、


"今なら可能"を目指す。



概念としてはそれだけ。





どれだけ努力しても不可能なのだから諦めるべきだというのはおかしい。


どれだけ努力しても不可能である結果は避けることができなくても積み重ね進み続けることで初めて可能になる別の物があるのだからそっちまで諦めるべきというのはおかしい。



1つダメならすべてがダメという考え方はおかしい。



この世界的には、

1つの物がダメでも別の何かはダメじゃないことがある



ということの方が自然だから。







今の私にはゆるしが必要で、


そのためにゆるしを求めて許しを選ぶことが必要になる。。。








もしもこの記事をあるべき形で書ききっても私は自分が望む答えが得られなかったのだとしても、これは無駄にはならないし必要な物だと感じられる。




それは、


無意味ではあっても無価値ではない


のか


無価値ではあっても無意味ではない


なのか、



どちらなのか私にはわからないし、

どちらも違うかもしれない。




今は無意味で無価値でしかなくても

やがて全く違った物になる可能性がある



とでも表現するのが親切かもしれない。





それなら、

どっちなんだろうか?



無意味で無価値なのか、

それとも必要で当然価値あるものなのか。




……それは時間の経過の中でやがて明らかになるもの。




だからそれを今知ることはできない。

その事実は存在していないから。




でもどちらかを選ぶことはできるし、

………………自身の経験から予測すると無価値であり続けることは相応しくないとわかる。







それなら価値あるものなのか。

それとも違うのか。



……それは時間の中で明らかになるもの、

今はわからない。







………………思考が延々とループするし、

ループする以外に道がない。。。





………………私は自分の行いや選択が無意味で無価値であることが当然でそれが相応しいのだと固く信じているように思える。



……しかしそれを私は望んでいるのか?




そうであってほしい!!

……そう望んでいるということなのか?




私は自ら無意味さや無価値さを望み選んでいるということなのか???




私はそれを望んでいる、、、



なぜ???




どうしてそれを選ぶんだ???

それは、おかしいと思う。




それが当然だと信じていたけど、

なぜ???





なぜなんだ???????


なぜそれが相応しいんだ?

なぜそれが自分に相応しいんだ?




私は無意味さと無価値さを証明したいということなのか???



………………そんな、バカな。





そんなバカなことが成立していたということなのか?




私は自分自身にとって無意味で無価値な物を自ら選択していると固く信じてそれを証明しようとしていたということなのか。



なぜ?

なんのために?

どうして?



そんなことがありえるわけないじゃない。





……それが、狂気ですか。





ありえない悪夢を見たような気がした。



その私は自らが神聖さを否定し恐れ無意味で無価値であることこそを当然だと考えていたしそれこそが自分だと信じていた。




おかしい、

何かがおかしい、




そんなことは有り得ない理解できないと感じる私がおかしいのか、



そう考えることは当然だと感じる自分がおかしいのか、




これはおかしい。




私はほんの一瞬だけ絶対に有り得ないものを見たような気がしていた。。。