モンスト、
(アニメ)リゼロコラボ終わりましたね。
なぜその書き出しから始まるのかといえば少なくともリゼロコラボが終わるまで(19日昼)はこのブログは放置されることになるだろうと予感していたから。
いや実際には何回か記事は書かれていたけれど全く公開されなかっただけ(*ノ・∀・`)
なぜ公開されなかったのか?
前回の記事、にそれほど重要な意味があったということなのか?
そして前回記事から10日以上経ってるので色々と忘れててとても気楽な感じです(*゚∀゚)☀️
語りたいことや伝えたいはずのこと、
というのは無数にある気がするけれど、
実際にこの場に記され私の意思やメッセージとして届けられる物と私が伝えた方がいいと感じている物ってのは多くの場合一致しないことが多いのです。
もしあの時本心を伝えることが許されたなら違った世界があったのだろうか……とかそういった世界観にリアリティーを見る者ならリゼロ、というかスバルには共感できると思うのですね
それは控えめに言って慰めであり、
大袈裟に言えば救いの一種です。
個人的な想いとしてそれはどれほど強くても
誰かに打ち明けることが許されずそのような機会が実際に訪れなければ誰にも理解してもらいようがないのです。
そうなった想いをどうしてやればいいのか?
……あらゆる望まない体験をしてしまった人間はその答えを見つけなければならないと私は思っています。
これは私という人間の意思です。
だから私はそのように動いてます(笑)
その望まぬ体験という物がどうやっても受け入れられず到底許すことなどできるわけがない物なのだとしたら、なぜそのような体験を自分がしなくてはならなかったのかを知らずには安らいで生きてゆくことなどできないのですから。
これは私という人間の人生哲学……(?)と呼んでもいい物だと思います。私はそれを知るためにそのような想いを抱く者であったから真に受け入れるに値する答えに辿り着くまで探し追い求め振り返り続けるのです。
そして私はそれを概念……観念?のような物を通して体験する人生だったので、
それを概念的だったり精神的にではなく実際の経験や物理的な経験として味わうのならスバルが七転八倒して苦死してゆくような形になるのかもしれない………………
とか思ったりするのです。
1つ思い出したのは、
私はかつて"自己信頼"のテーマのような学びみたいな人生状況にあったことと、
そこまでして自分の直感や想いを信じて貫くことにはどれほどの価値があるのか?
周りの反対や誰かの想いを無視したり裏切ったり踏みにじるような選択をしてでも、それでも自分が真に願い望むもののために進み続けることにはどれほどの価値があるのか?
私はそれが知りたいと思っているし、
今もそれを自らに問い続けずには生きられない状態なのですね。
天の者は言うでしょう。
他の者には真実が見えていないし貴方もまたそれを理解することはできないけれど直感という形で何が正解かを知ることはできる、
とかそんな感じで。
しかし地上を生きる私たちは戸惑う。
自らを導く声である直感に従い突き進む中で不調和や対立を経験することがある。それらは特に親密で強い縁を感じられる物との間に生じる不可避の衝突……。
そんな時に、どうすればいいのか。
……答えを選ぶのなら、
自らが真に相応しいと感じられる選択をその瞬間に繰り返すことだけだと言えるだろう。
……しかしその"正解"を選んだその先にある結果が離別だったり道を違える物だったのだとしたら???
自分は確かに正解を選んだ!
そのはずだった!!
しかし現実はどうだ、
全く望んでいなかったような、むしろ何よりも恐れていたような結果が目の前にあるではないか!!
………………本当に心の声だとかに従ってくと人生ってそーゆータイミングに直面して超絶望的な状況に陥ることって結構普通にあることだと私は思うんだよね(  ̄ー ̄)
だからそんな感じでアニメリゼロ一期はすごく感情移入しながら過去のトラウマとか思い出したりして心痛を感じながら放送当時に見ていました/(^o^)\
つらい、辛い話だよ、
もはや辛い。からいんだよ。
"ちょっと俺に世界が厳しすぎる"って気持ちもよくわかります。
……しかし実際にはむしろ自業自得で自らの未熟さや愚かさにより破滅を招いたのだと自覚しているので救われない/(^o^)\💔
で、
でだよ?
"超自然的な力"によって自分を思い通りに動かすことができないという現実を知ってしまった人間は、やがてそれを受け入れるしかないんだと思うんだよ。
それと同時に、
やっぱりなんで自分がそんな体験をしなきゃいけないのかを知らずには絶対に許せないって感じるようになると思うんだよ。
だって理不尽じゃん?
不条理ですか?
だとしたら何だって言うんだよ、
どいつのさしがねなのか知らないけど、
自分の意思じゃない誰かや何かに操られて踊らされてるって感じられるのなら、その正体を知りたいと思わないわけがないだろう?
それが運命様なのか神様なのか知らないし誰でもいいんだけど、
自分を操ってるらしい何者かが存在するって一度気付いてしまったならそれを意識せずには生きられなくなると思うんだよ。
……それでも多くの人間は自分を騙して生きてゆくのかもしれない。でもそれも不可能なくらいに"締め付け"られたら?
勝てるか勝てないかはどうかは別にしても
そいつの顔を拝んでやろうとかせめて一撃かましてやろうとか思うでしょう?(笑)
俺はただの操り人形じゃねえ!!
意思持つ一人の存在なんだ!!
……って思うようになるのは絶望の底みたいな物に触れてからのことかもしれないけど、
……ってゆーリアリティーとかそういう質の人生を生きてきた私にはリゼロはある種癒しのような側面があるのでしょう。
あの話なにがすごいって、
人間はどのくらいの体験をして何に気付くことで生まれ変わったみたいに成長してゆくことができるのかが描かれてる所だと思う。
スバルもそうだけど、
後で劇的に成長するタイプの主人公って結構最初は"イタい人"だったりすごくバランスが悪かったりすることが多いと感じる部分があるんだけど、
……その時点だと見てて気付かぬ心の闇を感じたりするわけですね、投影ですね、はい。
ってゆーわけでリゼロアニメ一期から見直してるんだけど12話らへんから見たくなくてまた止まってます/(^o^)\
……だって当時見た時も以前見た時も心痛で心が痛かったんだもん!!
なんかもう恐ろしくて気持ち悪くて吐きそうになるよね。
死ぬことだとかが怖いんじゃない、
一生懸命やってるはずなのに、その結果が誤解や裏切りや自分や誰かの心を抉ることになるって事実が何より恐ろしいのです!!
……あれ以上の選択なんてなかった。
俺じゃダメだったんだ……そうだ俺という存在こそが最初から間違いだったんだ!!
うわああぁ(以下略)
……みたいなね~、
あぁハイハイ存在否定ですね。
ちょぉ~っと受け入れられない事実があったからって思考停止して狂気に陥ったフリをするなんて怠惰
とか言われそうな考え方や感覚ってのもよくわかるもんで…………………………
……いやほんとにそう思うもんなんだよ。
最終的に行き着くのは自分の存在こそが間違いだったという考え方。というわけで死こそが救済ですか。
でも死に戻るスバルくんはそれだと救われないからダメですね。
/(^o^)\
……いや、確かにそれは超安直な考え方なんだけど、その想いの中にある人間にそんなこと言ってもねぇ?┐(´∀`)┌
とかそんなことを延々と考えてるような世界観とか人生観になっちゃったんだよねぇ。
だって仕方ないよね?
望んでなくて可能なら避けたいし何とかしてそれを避けよう回避しよう被害を減らそう助けよう助かろうと一生懸命やったのに、自分も誰かも救えないってんなら、
もうそれには見切りをつけるしかない。
そうなったら本当にもう理屈なんて何でもいいから実際に救われるっていう現実が得られる方法だけを選ぶべきなんだよ!!
それだけが唯一残された選択肢なんだよ。
方法論なんて重要じゃないんだよ、
自分のプライドとか納得なんて物もどうでもいいんだよ、
実際に救われることができたならそれが正解なんだよ。
運命に翻弄され続けてきた人間てのはそういう強さっていうか覚悟みたいなのはあると思うんだよ。
できることはできる。
できないことはできない。
有る物はあるし
無い物はない、
だからあらゆるレベルで最善を尽くすんだ。
それでもどうにもならないってんならもう本当にどうにもならないんだろうよ。
それならそれこそが運命ってやつなのさ。
その時にきっと思うのだろうよ。
自分にできることはやった。
もういい、もういいのだ……。
私はここで命運尽きるがそれでいい、
きっとそれこそが正解だったのだ。
とか本当に思えるようになった時に意識が変容なんかしたりして現実も角度が変わるみたいな現象が起きてくるのは手品みたいでアメージングだわね👌✨
命は1つしかないのか死に戻らないのかもしらないけど、そもそもそんな体験をする機会がない私は思うんだよ。
私が実感してきた死と再生のイニシエーションてのは実際に生き死にで表現するとそういう感じになって、人間はそのような凄絶な体験を越えてゆくことによって気付き学び進歩してゆけるのか……
って思うんです。
延々とこんな物を書き続けてきた私はRe:ゼロから始める異世界生活のアニメを見てそのように思うのですね😌
人間だって100年200年って生きてれば色々と気付いたり考えること感じることってのも少しずつ変わってくんだろうよ。
でもそれは現代ではまず有り得ない。
……そんな中で別人のように生まれ変わるような変容や霊的な進歩を経験するためには死と再生のイニシエーションって呼ばれるような人生のドン底だとか輪廻転生の中で終わらせるべき魂の宿題に取り組むような生き方ってのが必要になると思うの。
直接的なスピリチュアルや精神世界的な表現も出てこないという点において、それでもやがて劇的に学び成長を果たすスバルと全く温くないスーパーハードな異世界モノとして見る分には素晴らしいと思うのです。
……だってフツーに生きてたらそんなに心の闇に直面することなんてないんだから。
それを生業としてきてる私はそのようにリゼロを見ているのです。
そして私は気付いたんだよ。
自分がやりたい放題に語ってる特にノンスピリチュアル×アニメゲーム題材のこれみたいな記事をブログとして公開するのってちょうど若い頃の黒歴史として抹消したいと思ってるポエムだとか歌詞だとかを他人に見られるという感覚に似ているなって😂
だから私は思うのですね。
……そうして私は延々と黒歴史を量産し続けているのではないか……これも私を操る何者かによる陰謀なのではないか……とか思ったり(笑)
これ見て初めて理解した気がするのです↓
死に戻りは回避するべきもの
だったのだと!!
いや本編的にはスバルが定期的に死んでるから死に戻されてるというより死んでるだけという認識になるというか……
あれ?
死んでも戻らないのか普通は。
(*ノ・∀・`)
そして私はいつしか思った。
……これらの自分の意思や選択による行動に思えるすべてが自らの意思による物ではないのだとしたら、
これはできるのか?
これはできないのか?
これは書けるのか?
これは表現できないのか?
……そうしていつしか私は"天の意思を計る"というような生き方をするようになっていたことを思い出した。
簡単なこと、
やりたい、
試したい、
できるのか?
それを行おうとするだけ。
もしも"必然"ならそうなるし、
存在しない可能性なら私は何もしない。
これは語ることはできるけれど、
それを語るという必然がなければ誰に伝えることも理解してもらうということもできないものなのだ。
……その意味がわかるにつれて、自分や誰かに強く理解を求めるということは感情が突き動かし必然が導く時にだけ必要で、実際には誰かに共感されたり理解されたりするという現実は必要ではないと知ることになる。
だってそれは外側の結果であって、
"そのように定められている"時にしか叶えられることはないのだから。
……悟るとか、それはそんなに便利なもんじゃないんだ。死に戻りがそんなに便利なもんじゃないって言ってたのもそーゆー所があるんだろうなって。
1つ、私が言えるのは、
"そういうリアリティー"に触れ続けた者にとっては"自分を支配し動かす大きな力"を意識するのは当然のことになって、そういうこの世界の外側とか表面的な現象に反応するんじゃなくてそれらの意図や流れ……強いて言うのならそれらを操る者(が居るとして)が意図する展開とはどのような物なのかをまず正確に見極めることこそが何より重要だと考えるようになるのは必然だと思う。
運命に翻弄されながら生きる人間てのはそういう状況にやがて適応して法則性やルールみたいな物を見出だして積極的に活用していくことを考えることになるだろうからね。
その心は、
絶対に抗えない勝てないとわかった絶対的な力に抵抗するんじゃなくて、実際に可能である可能性の中から最も自分に望ましい結果を選び取ろうとするという意思。
その力を敵にしておくんじゃなくて、
むしろ何か味方になるような、マイナスじゃない使い道や可能性を模索していくって意識の方向転換が必要になると思うの。
俺は死に戻ってっ!!
って自分を積極的に囮に使うとか、
そういうことなんだよね(笑)
ほんと、
この"天の意思"だとか世界の内側の力っていうかそういうリアリティーを実感できる人間にとっては"リゼロ"は自分の世界観を孤独で閉ざされた特別な物じゃなくて1つの物語として受け入れる助けになってくれるし、
その内情の理解されにくさゆえに本当に物語を見ていて救われる気持ちを追体験してゆくこともできると思うんだ✨
……逆に言うとその実感が無いと"この自分ではない別の世界の自分が必ず目的を達成するだろう"とかそんな可能性を本気で頼りにしてる二期のロズワールの話とか絶対に理解できないと思うんだよ⚡
でも現代なら世界の分岐も転生も一般的な知識だからわかるのかも?(笑)
そうですね、
私は天の意思を推し量る者です。
だってそうしないとどれが正解かわからないしなんだってそんなふざけた現実に思えるものがあるのかも全然理解できないしそれらの真価や真意も掴めないから。
あるものはある、
ないものはない、
それは確かなんだよ。
だからどれが実在する可能性で、
どれが虚構の可能性なのか、
それを試して確認してるってわけ。
すごく単純に言えばそれだけ。
私がやってるのはそれだけ。
その中で私は知ってゆく。
どれが本物なのか、
どれが偽物なのか、
どれが正解なのか、
どれが見せかけなのか、
だからこんなのを書いてるんだね(笑)
今は何が書けて何が書けないのか、
それはなんのためだと思ってるのか?
最終的にそれはなんのためだったのか?
やればわかるし、
やらねばわからぬ。
だから私は試し、確認する。
どれが本物でどれが正解でどれが本当に行き着くべき答えなのかを知るために。
……そしてそのために自分の感覚や感情も積極的に活用してるという側面があるんだね。一見して悶え苦しんでるように見えるのだとしてもそれらの想いや意識が自分をどこかへ導き連れてゆくと知っているから。
そうだね、
後はそーゆーあまり人間的じゃない視点だとか意識が育ってきた時に、それらに対する嫌悪感みたいな物も上手にいなしていけるようにならなきゃいけないんだね👁️
……もちろんそれらの苦しんだり嫌がっているように見える感覚や感情でさえ自分をあるべき場所へと導く大切な道しるべなんだけど、
感情でいっぱいになってる時にそんなこと言われても不愉快なだけなのは人間として自然な反応だから。
そう、だから、
だから途中で止めずに最後まで見届けてやることが必要なんだよ。苦しみも悲しみも無意味で無価値な物だと信じ込むことは必要ないし悪いものだと断じなくていい。
ただそれらの思考や想いを最後まで見届けてやればいい。それだけなんだよ。それを最後まで行うことができた時に答えは自ずと明らかになるんだから。
だからそのために自分を利用するし、
そのために誰かも利用することもある。
それは一人の人間の視点で見るなら傲慢以外の何物でもない。でも全体を通して見るのなら誰しもが物語の中で配役に沿って進んでいくように生きているのは確かなんだよ。
だからそれらに対して罪悪感や嫌悪感を抱くのなら最後までそれを見つめなさい。やがてそれが必要か不要か、なぜ不要でどのように必要とされたのかがはっきりとわかるようになるから。
……真実を望む者は真実だけを愛しそれ以外のすべてを捨て去らなければならない、というような話がある。
それは事実なのだろう。
ただそれを苦しんで捨て去るのかそれを喜んで手放すのかによってその選択は全く違った意味と現実を証明することになる。
そしてそれは自分で選べるんだよ。
……みたいな遠い世界みたいな話されるんだぜ?
なんの心構えもなかったら理解できないでしょう?(笑)
スピリチュアリティって表現をしてないけどそういう要素が描かれた話、イイネ!!
無事にエミリアも引けてよかったです✨
……アニメ二期の最後まで見て、一期の途中のひどい悪夢みたいな状態から全く別の話みたいにハッピーエンドな感じになってくれて本当によかったです!💖
既に用意された舞台は決まってる。
それが不服とは限らないし、
それこそが本命なのだとしたら、
それこそを知りたいだろう?
そーゆーことなんだよ。
そーゆーあれやこれやな情報が入り乱れて先に処理された結果が前回の記事ってわけだ。
ゼロから
しかスクショしてなかった……油断していたのですね。
このシーンはスクショせざるを得ない。
リゼロ、個人的には全然好きな話じゃないと思ってるんだけど共感と心に突き刺さる率は断トツなんだよね~。
なんだろこれ、神学とかじゃないの?
……それを好きとか嫌いとか論じるのにはかなり無理があるというか的外れというか密度高すぎて話しきれないというか処理しきれないというか原作読んでないから語れないというかww