仕方ない人生 | 疲れたおじさんのブログ

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もう少し頑張って数年後は海外ノマドを始めます

私が大学院生の頃は日本のサイエンスは今よりもイケイケで、それはその当時の50前後の人たちが海外で成果をあげて帰国してきている状況で、その当時の30−40くらいのそれなりのポジションについていた中堅は「我々も上の世代のようにもっと国外の研究者と交流するべきだと思った。自戒の意味も含めてここに書いておく」的なことを言っていたけれど、もちろんぬるま湯の環境は快適なので敢えて英語の訓練をして海外の学会やセミナーで参加するような人はおらず(私の知る某学会なんかは)海外交流なんか続かずその後衰退したのであった。

 

例のアメリカ人案件はこちらでも報道されており、おそらく過激な動画は削除されているとおもわれるが、SNSに出てくる記事は「これはさすがにまずい」的な内容が多いような気がする。つまり、その方向に向かうということだ。アメリカでもCNNやNBC等でニュースとして報道されているので、このまま無難な展開になっていくと思う。そうなると、バランスを図るために別の悪者が必要になり、そうなると毎度のことでダートーイーベンの動画が増えて、ここしばらくこのフレーズを聞かなかったのでむしろ懐かしさを覚えるくらいである。やあ、久しぶりだね、的な。

 

日本のマスコミとか外務省の役人とか、もっと現場に出て調べて行動した方がいいのではないか。嫌な思い、辛い思い、情けなるような経験、を経てようやくそれなりのモノが手に入るのではないか、と私は思うのである。良い悪いとか、善悪とか、出来る出来ない、ではなくて、諸々がぐちゃぐちゃに絡まった現実に対面してから次の行動がとれるのではないか。少しでも歴史の勉強をした人なら異世界で我々が恨まれる理由は理解できるはずである。が、その一方でその恨みを未来に持ちこすべきではないのも明らかであり、このぐちゃぐちゃは論評したり性善説に基づいた勝手な思い込みなんかでは解決しない。感情に任せた自分のコンプレックスを交えた負の論評も意味がない。

 

偉そうなことを書いているお前はどうなのだ、と言われそうだが、私は自分の能力を過信して、「自分がやるべきこと」と思い込んだことをこなして、肉体も精神もキャパオーバーになったようであり、そうなると、じゃあ意味ないじゃん(笑)、と言われても仕方ないので、まあ仕方ない。私の人生はその程度なので仕方ない。