空即是色 (9)違うけど 同じ だけど違う(PC版) | やすみやすみの「色即是空即是色」

やすみやすみの「色即是空即是色」

「仏教の空と 非二元と 岸見アドラー学の現実世界の生き方」の三つを なんとか統合して、真理に近づきたい・語りたいと思って記事を書き始めた。
「色即是空即是色」という造語に、「非二元(空)の視点を持って 二元(色)の現実世界を生きていく」という意味を込めた。

  違っているが 同じ    【色即是空】  同じだが 違っている 【空即是色】


  わたしたちは みな 本質において 同じで   (普遍性:色即是空) 
        現象においては 様々に異なっている   (多様性:空即是色) 
                   現象(要素:部分)としては 異なっているが本質(座:全体)は   同じである

  与えられたものや 経験・状況(という要素)は みな それぞれに すべて特異であるが、
  同じ本質意識の座を持ったもの同士が 多様性を携えて 一緒にダンスしているのである。

  あなたの中にも わたしの中にも 同じ一つの 「いのち」 が流れている。
  たった一つだけの 「いのち」 が、   あなたやわたしという 個別の形をとって 姿を現している。
          すべては  たった一つの  そのいのち大いなるもの」 の 異なる表現に過ぎない

  マインドフルネスを続けていれば、それが観えてくる。
       だから わたしたちは違ってはいるが 対等である
                                          それは、 比較による同等ではなく  比較のない対等である
 
  すべての人に 同じ価値がある横の関係】 
                                   横の関係であれば、「愛:慈悲」を実践することは 容易だろう。

  わたしたちは、「違い」 に注目し過ぎていたのではないか? 
  暮らしの中の  「型のない瞑想」 によって   みな  同じ」 であることに 心底気づいて、
  すべてが わたしわたしが  すべて【梵我一如】であることを  完全に理解したなら、
                                                                          様々な問題が ぜんぶ 解決するだろう。


  とは言えやはり、  現象は 様々に異なっている。
                                           そして 世界の多様性は個体の特異性に 支えられている

  わたしたちは みな 違っていて、好きなことも 得意なことも違う
  どんなときに 心安らぎ、   何をしているときに 心ウキウキするのか、   みな違う

  踊るのが、 描くのが、 スポーツが、 商売が、 考えて 新しいアイデアを思いつくのが、
  誰かのために何かをして 皆んなを仲良くさせるのが、  好きな人・得意な人がいる。

  様々な人たちがいて、 みな  それぞれに違っている。   そして、女と男も また違う

  個体の違いとは別の  「性の違い」 がある。
  男と女も異なる二つの次元男性性女性性 同時に生きていて 棲み分けている

  女と男は、想像できないくらいに 驚くほど違っているが、その違い 気づいていない。
  そして その違いゆえではなく互いに それに気づいていないために 苦しんでいる

  男性性は 生き延びるために問題解決を重視し、女性性は 仲間を大切にする共感性を重視する。

」だけが その違いを気づかせてくれる
             その違いに気づけば  「愛」 が生まれる。  愛の「苦しみを通してを知る


  それぞれの「自分らしさがある。 どんなときに 自分自身でいられるのか、みな違う
  自分らしくあるとき、 心安らぎ 力が満ちる

  それなしでは、 人生を楽しめないだろう。
                       笑いながら イキイキと生きることなど できやしないだろう。
                         自分らしく  自分だけのダンスを、   誰かと  一緒に踊るのだ。

  その楽しさ・安らぎ・幸せを 追求するべきだ。
  自分らしくあることを 「 などと呼んで、安易に捨て去ってはいけない

  自分らしくあること の 心地よさは 愛するときの 心地よさと同じで、
「どうだ やったぞー」というような  承認欲求達成の 心地よさとは別物だ。

  わたしは どう在りたい(being)のか?  本当に やりたい(doing)こと何か 
  わたしが  わたし自身で在る(being)こと、   そのこと  そのもの に価値がある

  だからと言って、
  自分らしさからくる   自分の好み」 を   他者に 押しつけてしまうのは よくない
「自分の好み」 は 自分だけのものであり、  自分自身にしか   適用できないものだ。

  他者が賛同してくれないときは、自分一人 「だけ」 でそれをしよう。
  結局のところ 「自分しかいない」 こと知れば、一人だけでも淋しくないだろう。


  生きとし生けるもの すべて、その根源的在り方は みな同じだが、
                                                                         「種しゅ」 は 様々に異なっている

「種」 のレベル 人類はみな同じだが、 構成員である個人は 様々に異なっている

  人類(ホモサピエンス個体の多様性は、 
                                                  まるで種の多様性のように  豊かに広がっている。
  そのくらい 一人ひとりが  特異であり 違っている

いのちは みな、
  相似と相違あいだを生きながら、たがいに「関係」 し合って生きていて
                 いのち 以外とも 関係 を持ちながら、そして「一つのものだ

  梵我一如【ワンネス】は 縁起ネットワークという形をしている。




  今日(2020年7月27日) とても参考になる文章を見つけた。
                                           スポーツドクターで、メントレの指導者である辻秀一という方の文章である。

  常に周りと衝突する人が 近くにいないでしょうか?
                  もしかしたら あなた自身が、 人とうまくやっていけないと悩んでいるかもしれません。

  ですが、人と意見が食い違い 争いに発展することは誰にでもあります。

  意見だけではありません。様々な違い・・・
  経済力や政治思想、宗教、肌の色などが 争いの原因となってきました。

  なぜ、このようなことになるかと言うと、
                            私たちの脳には [違う誤りだと 思ってしまう 思考のクセがあるのです。

  違いに目を向けると、 私たちは どうしても ノンフロー【想行識複合体状態】になってしまいます。
  それは、自分と違うものを 「間違い」 だと認知しているからに他なりません。

  一方で、同じところに目を向けると、私たちは フロー【マインドフルネス状態】になります。

  初対面の人が 同じ出身地や 同じ年齢だつたりすると、うれしくなりませんか?
              相手と同じところを見つけることができれば、私たちは幸せな気持ちになるのです。

「違い=間違い」という思い込みのまま  違いばかりに目を向けている人は
                                             どうしても  その違うところが  許せなくなってしまうでしょう。

  だから トラブルが絶えないのです。 違うのは 何も悪いことではありません

  同じが良い ということでもないのです
  同じでなければならないという思い込みは、同調圧力を生み 排他的な考え方を生むでしょう。

  真に良い人間関係をつくれる人は
                      同じ ところと違う ところを  同時に見ることができます

「同じ」 であることにこたわりすぎてしまうと、 「違い」 が許せなくなります。
「違い」 にこだわりすぎてしまうと、「同じ」 が見えずに 間違いだと思います。

同じ違いバランスよく見ることで良い人間関係をつくっていけるのです



(最終改訂:2023年2月24日)